2024/02/17 10:00


1月最後の土曜の午後に開催した「栗岩稔と人間学第11回 -人生の設計図って描いていますか?- 」

今回は、YUさん、Fさん、CUさん、NIさん、少し遅れてのKIさん、5名の参加となりました。(発言順)
栗岩(以下栗): みなさん、こんにちは。今回は人生の設計図を描いていますか?ですが、描いてますか?
一同: …。
栗: あれ?描いてますか?
YU(30代後半): 自分が話すと話が終わっちゃうからなー。
F(40代前半): 設計図、ね…。
栗:設計図って色々あるじゃないですか。きっちりしたものじゃなくて、こうしたい、とか。
そういう感覚的なイメージみたいなことでも。
F: ボンヤリとはありますけどね。なんか設計図っていうほどのものじゃないですけど、
こうなっていたいぐらいな感じはあるかもしれないですね。

○社会に出た頃に
栗: 今、みなさんの年齢になるまでに思い描いていたことってありますか?
じゃあ、20年前に今の自分を思い描いてました?
CU(40代半ば): 20年前かー…。
F: 20年前…。
栗: じゃあじゃあ、社会に出た頃に今の自分を思い描いてましたか、にしますかね。
YU: 思い描いてないですね。Fさんもそうだと思いますけど、転職組は描いていないはず、ですね。
栗: あ、そういうものなの?
F: いや、まあ、まあそうですね。
YU: 仕事中心に考えたら、ですけどね。プライベートだったら、当時はまだ世間の価値観に迎合してたから、
多分結婚はしてるんだろうなって思ってましたね。22才の頃ですけど、意味もなく。
結婚はしたいかなって、思っていたと思いますよ。
一同: ほー。
CU: 私は逆に結婚してないと思ってたけどしてる、ですね。
YU: 就職先を選ぶ時には男女比率とかも見ましたね、一応は。結婚が目的ではないですけど。
出会いとかきっかけとかも含めてですけど、最後は全く気にしていなかったけど。
出会い云々よりも組織として正常、健全かなって思って見てましたね。
NI(30代半ば): 私も見ておけは良かったかな…。私の場合は95%と0.5%で女性ばかりでしたね。
一同: えー、そんなに!
F: 社会人になった時や20年前の自分は思い描いていなかったし、まあ、あの時とは違うだろうなって。
仕事もそうですけど、家族を持っているかとか、二つの側面があると思っていて。
プライベートでは結婚しているんだろうなって思ってましたね。
だけど、してなかったからなぁ…。仕事だけはずっとしてますけど。
YU: 我々の15年から20年ぐらい前って、結婚するのが当たり前でしたよね。
だけどだんだん、日本が変わってきて、性差なくとか世の中の風潮も変わってきて、
晩婚化とか、結婚しないことを選ぶとかになってきて。個人的にも興味がなくなってきましたね。
家庭環境からも結婚に希望を持てないところもあったり、世間に即して興味を失ったところもありますね。
F: 人生設計するうえで大きなポイントですよね。仕事の仕方も変わってきますしね。
YU: 結婚するしないで設計図の必要性は変わっちゃうんじゃないのかな。どこに住むかも、ですし。
CU: 今になっても設計図はない感じですか?
YU: 何も描かない、というか、どうとでも動けるようにしついるんですかね。
CU: 場面場面で、こうなったらこう、とかも考えていない?
YU: 考えていないですね。そろそろ引っ越そうかな、ぐらいですかね。
F: お二人はどうでした?
CU: 私は就職の時にはイメージを持たずに今の職場に入った感じでしたけど。
大学時代からずっと持っているクロッキー帳があって、そこに年齢を書いて、だいぶ先まで
このへんでこんなこととかを書くっていうのを結構やっていて。
一年後とかにまた開いて今を書いてまた書いて、みたいなことを90才まで書いていましたね。
細かくじゃなくて、異動とか親のこととか、地震が来るかもとか。
貯金額はこのくらいで、老後はこう、とか。俯瞰して見ることが出来るから面白いですよ。
45から55才、55から65才とか、ずっと書いてありますね。
栗: それは全部とってあるんですか?
CU: ずっと残してありますね。20才ぐらいからありますから、見返してみても面白いですよ。
F: そのきっかけはあったんですか?
CU: 当時流行っていた言葉で、キャリアデザインっていうのがあって。
職場でも何故か20年後の計画書を出せみたいなこともありましたね。
きっかけとしたら、その言葉かもしれないけど、書いてみると、それはそれで面白いなって。
悪い時間ではないですね。ただ、私はあまり変化はしていなかったですね、これまでは。
職場を決める時も画家として希望していたわけでもなく、働かなくちゃいけない状況だったし…。
でも数字を書いていくだけでも俯瞰出来るので、おすすめですよ。
最初は100才まで書いていましたけど、今は10年短くなって90才になりましたけどね。
NI: そこはそのままで良かったんじゃないですか、今の時代は伸ばすぐらいでも。
CU: 不安だから長生きにしていたんですよね。生きちゃうとヤバいから、どうしようって。
YU: 聞いていて思ったのは、親のこととか、環境のこととかの外的要素が書かれているところ、
そういうところがすごく良いなって思いますね。それだけでもやろうかな。
CU: 外的要素って突然じゃないですか。忘れた頃に来るから、だいたい。だから忘れないように、ですね。
主人も年が離れているから死別もやってくるだろうし、みたいなことも。NIさんはどうですか?

○子供の頃に
NI: あ、回ってきた。結論から言うと、今は描いてない、ですね。
私も就職時にキャリアデザインとかから書かされたりしましたけど…。
学生の頃に今の自分を想像していたかというと、していなかった、ですね。
それよりも子供の頃、まだ実家にいる時に想像していた自分に近づいていますね。
CU: それって、すごいことじゃないですか。
NI: その中身は、それなりに収入があって、やりたいことが出来て、それなりに暮らすだったんですけど。
だから具体的なことは書いていないんですよ。でも書いたほうが、そっちに近づくんだろうなって。
そう思いながら、今は書きたいことはない、ですね。
YU: この場にいて、いつも思うのは、みなさんからやりたいことっていう言葉が出てくるじゃないですか。
それが良いなって。自分にとって、やりたいことって、なんだろうって考えてみても、
あまりないなーって。それがないから、書くとか設計図とかの発想にならないのかなって。
栗: 卒業文集とかで将来の夢って書いた?
YU: 適当にパイロットとかスポーツ選手とかを書いてましたね。それこそ嘘八百で。
栗: 嘘って自認して書いてたんだ、子供の頃に。
F: 自分はプロボクサーって書いてましたね、真面目に考えて。今に通じるところはどこかありますね。
栗: 自分はプロ野球選手。ただ、子供の頃にコックさんになりたいって言ってたって、
大人になって母親から言われたことがあって。今はそんなにブレてないのかな、なんて。
まあ、みなさんに色々聞いてきたけど、自分は一切描いてないかな、特に若い頃は。
20才までボンヤリと流れに流されて生きていたしね。
一同: えー、あ、そうなんですか。
F: 20才からはどうだったんですか?
栗: 20才を過ぎて上京して変わったかな。田舎にすぐ帰るつもりの異動で来たけど、
帰れなくなってる自分に気付いて。あれ、どうするんだっけ自分、みたいな感じになってからかな。
あとは当時世話になった会社の上司や先輩の影響も大きかったし。酒の席とかでも、
「お前、将来どうすんだ!」みたいな。だから、どうしようかなって漠然と考えたかな。
あとは夢を語る上司が大勢いてね、昔話もだけど。だから、夢か…、みたいに漠然と考えたし。
その頃って、格好良いおじさんたちの中で遊ばせてもらってたから、
あー、こんな風になれたら良いなっていう目標が出来はじめていたのかな。
30才を過ぎて、ますます周りのおじさんたちがスゴすぎてね。それから40才の自分を想像してみたり、
そうしてやってきたけど、細かく、あーして、こーして、みたいなことは決めずにいたね。
40才から先の自分がこうなっていたいってイメージして思い描いたカタチをもとにしていたかな。
だから、一切書くことはしていないけど、CUさんのクロッキー帳の話って良いなと思いますね。
俯瞰して見ることで、もう一度入ってくるじゃないですか。だから、70才まで書いてみようかなって。
親からはどうするのとか、何考えてるのとかばかり言われていたから、
ダメダメな子供時代が成人までいっちゃったんじゃないかな。
CU: 計画ゼロでも何かこう、ウズウズして、なんかしたいとかもない、ですか?
栗: それはむしろ、東京に来て、社会的にも激動だったし、こんなことしてちゃいけない、とか、
ここはもっとこうしなきゃいけないとか、そういう風に見ることはあった感じですね。
バブル経済真っ只中のトップブランドのアパレルの仕事でも、いつまでもここにはいられないな、
こんな浮かれた時代が長続きしないんだろうなって、ボンヤリ感じていたところもあって。
NI: そこで危機感を持てるところがすごいですね。
栗: 田舎から出てきた分、余計にリアルに感じる実績やら収入やらの地方との格差、
そういうところで特に体感してましたからね。だから、荒れてましたよ、生活は。
酒呑んで酔っ払って数少ない休日を台無しにしたりして、東京を彷徨っていた感じですね。
F: そこから酒を作る仕事を選んだきっかけってあったんですか?
栗: それは、酒にどっぷり浸かってみて思ったけど…。人はどんな状況になっても酒を呑むし、
歴史的にもそうだったから、酒を扱う仕事はこの先ずっとなくならないんだろうなって思って。
この仕事って世界共通だから、日本にいるイメージを持たずに世界のどこか、
そこで腕一本で食っていく、みたいなことを考えてみたりしたしね。
特に、ニューヨーク、マンハッタンで仕事してる自分ってカッコ良い、みたいな。
まあ、でもやりはじめて中途半端はダメだと気付いて、極めてみようと思ったかな。
はじめた時は計画ゼロでイメージだけ強く持ってはじめた感じだったかな。