2026/10/13 10:00

1968年9月20日に京都御所を出発した即位間もない明治天皇が江戸城に入城して、
皇居と定められたのが10月13日で、その100年後1968年10月13日に生を受けた。
学生時代から100年前の日本のことを特に意識して江戸から明治へと変わった時代の
様々な動きが好きだったし、その歴史にも多方面から興味を持って学びの幅を広げて、
関連書物から歴史小説まで読み、映画もその時代のものを好んで学びとして観ていた。
自分が生まれたのは長野県上田市だったから江戸、東京には縁遠いなかで育ったけれど、
今この歳になって皇居に程近く歩いても行ける距離に暮らしていることが信じられないけれど、
現実としてそうで、それを満喫するように、公共図書館で貴重な地域資料で調べたり、
以前は知り得なかった知識を深められていることが嬉しいし、楽しんでいるし、
今の暮らしに大分役立っていることも感じながら、この地域での暮らしを満喫している。
二十歳になる年、1988年5月31日深夜の夜行列車で上野、渋谷の街に着いたのは6月1日早朝。
そこから始まった東京生活、そのわずか20年前には東大安保闘争に象徴される学生運動が盛んで
遠い海の向こうの、今では東京、小笠原諸島がアメリカから返還されて、
三鷹市では三億円強奪事件が発生するなど激動だったことを感じられないほどに
異様な景況の盛り上がりを見せていた街に暮らすようになり、
1968年当時は誰も見たことがないほどの日本初の超高層ビルが霞が関に完成したけれど、
1988年にはもう誰もそのビルを意識しなくなるほどに高層ビルが乱立して、
新宿副都心の高層ビル群は風の流れさえ変えてしまうほどに上に上に伸びる街で、
上京したばかりの二十歳の頃の目眩がするほどに高いビルが立ち並ぶなかを彷徨い歩く日々。
1968年の世界では、チェコスロバキアで民主化運動が高まった「プラハの春」
フランスでは、反体制運動に学生や労働者が決起した「五月革命」
アメリカでは、ロバート・ケネディ上院議員が暗殺された同じ年に
黒人の公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたり、
日本と同様に激動で混沌とした世の中で開催された、メキシコシティオリンピックでは、
日本サッカーが銅メダルを獲得して、今のサッカー界の礎を築いた年で、
日本人初のノーベル化学賞を川端康成が受賞したのも同じ年で、
とにかく、世界中至るところが激動の世の中で学生たちの動きが目立つ時だったと思うし、
ベトナム戦争の反対運動も学生たちを中心に世界的な活動を見せていたのもこの頃で、
今からは想像も出来ないような動きが世界に広がりを見せていたように思うし、
当時の日本は高度経済成長期を迎えるなかで国民総生産GNPが世界2位になるなど、
躍動で激動のニッポンだったように思うけれど、自分はもちろん体感はしていない。
その20年後、自分がいた東京での体感は、数年前に起きたチェルノブイリ原発事故や、
ソビエト連邦の崩壊と指導者だったゴルバチョフ書記長の軟禁、
中国天安門での学生たちの民主化運動と制圧する軍隊を写し出した報道に愕然としながら、
この先の世界に漠然と不安を覚えたことはよく思い出すことが出来るし、
連鎖するように、ベルリンの壁の崩壊と東西ドイツの統一への道が開かれて東西冷戦も終結。
ベルリンの壁の上で同世代と思われる若者たちがハンマーを振り下ろす様子や、
天安門広場で声を挙げる学生たちを見て、いったい自分は何をしているんだろう、
そう考えてみたところで、バブル経済期の浮わついた世のど真ん中に生きていたから、
放っておいても実績は上がり、その波に上手い具合に乗って流れに任せて、
日々生きていることも知っていたし、これで良いのだろうかと疑問を抱いたところで、
何も出来ず、何かしようと思うことなく、ごく狭い身の回りの動きや流れに身を任せて、
判断しながら生きていた10年後の30歳ですべてを白紙に戻して一人生きる道を選び、
自分が生まれた時に日本に還された小笠原諸島父島への船旅を決めて
30時間近い航路のなかで、本土に帰ることを考えず、うまくいけば島で職を見つけて
そのまま暮らすことを探りながら、島に帰る人々と酒を飲み、話を聞きながら、
長旅を終えて島に上陸したあの日の数日後、沖で発生した台風に押し返されるように、
定期船に乗り込まされ、自分を現実社会に押し戻した台風のうねりを感じながら、
鎌倉の海で大きくなった波に乗り、また風や波の流れに任せながら、
それまでとは全く違う世界でゼロからはじめる新たな30歳の一年が始まり、
あっという間に10年が過ぎ去り迎えた不惑の年、40歳で独立して一人、
すべてを判断しながら、生きなければいけない人生の後半が始まり、
20年近くが過ぎた今、東京銀座旧木挽町、100年よりもっと、400年以上前に
江戸城や江戸の町を作った職人が暮らした地域で江戸を感じる町で生きて仕事をして、
2026年10月13日火曜日の今日も暮らし、仕事もさせてもらって生きている。
つい先日、久しぶりに見応えのある、以前は心に残ることなく、ほぼ忘れていた日本映画を観た。
だいぶ歳を取った自分の感性も高まり、関連する知識も多少は増えていたから、
感受性が変わってきたことを至るところに感じながら、食い入るように観終わった。
それは藤沢周平氏の同名小説を原作として、脚本監修を山田洋次監督がした「たそがれ清平衛」
主役を演じたのは真田広之さんで、その脇を宮沢りえさん、田中泯さん、大杉漣さんが固めて、
その物語の舞台は個人的に大好きな江戸から明治へと変わっていく日本、
現在の山形県の海坂藩の侍の暮らしを静かに美しく描いた作品で、
戦乱もなく平和になった時代、刀を抜くこともなく日々暮らす平侍の生活が
激動の日本に巻き込まれながら武士の誇りを美しく悲しく描いていると感じた。
主人公清平衛は、苦しい生活のなかで早くに妻を亡くし、年老いた認知症の母と
まだ幼い娘二人との生活を支えるために藩の仕事を終えて、人付き合いをすることなく、
今で言う定時の帰宅後には家事と内職に励み、その日一日を過ごす暮らしをしていた矢先、
幼馴染みの女性との再会で消し去っていた淡い気持ちとは裏腹に諍いに巻き込まれ、
それをきっかけに剣の達人であることを藩内に知られた結果から下された藩命、
藩主の死亡から発生したお家騒動の最中、切腹の命に反している藩士を討つ役目から、
思い出させる武士の誇りと侍であることから避けられない二人の静かな対話と戦い。
様々な想いに駆られながらもその戦いに勝った清平衛は大切な家族のもとへと帰り、
平穏で幸せな生活が始まったのもつかの間、時代が移ろい、激動の時代へと変わっていく。
明治のはじまりに勃発した戊辰戦争には幕府側だった藩命に従い、
圧倒的な勢力の官軍との戦いのなかで、剣ではなく銃弾に倒れて短い人生を終える。
映画の最後に娘が墓前で幸せな時間は3年半で人生を終えたと語る。
その3年半というのが、わずかなのか充分だったのかはわからないけれど、
幸せだったと思いたいけれど、時代の流れに巻き込まれながら武士の誇りを持って、
藩命に従わざるを得ないままに人生を終えたことが清平衛にとって、当時の人々にとって、
どうだったんだろう、受け入れていたんだろうか、と考えてみたところで、
わかるはずもなく、ただ現代と同様に家族のことを考えなかったわけはないし、
心残りだったんだろうと思うけれど、死について当たり前のような時代だったから、
受け入れていたんだろうと思いながら、たった100年の差でこうも違うのだろうか、
そう考えさせられたけれど、たまたまその時代に生を受けたからそうだったんだろうし、
その時代に生きなければいけないのだから仕方がないとは思うけれど、
現代では過去の歴史を知り学ぶことが出来るから、比べてみることは出来るから
当時は遠い未来はもちろん、すぐ先のことすらわからない時代だったんだろうし、
今に生きるしかないのだと思うし、文字通りの一所懸命だったんだろうと思う。
身分が違えば生活が違う時代なんて、今からは考えが及ばないけれど、
かえって今は見えない身分制度みたいなものがあるように感じているし、
それにもがき苦しみながら生きなければいけないような生き辛い時代のようにも思う。
当時の目の前の人や物事に向き合って生きるということのほうが幸せなんじゃないか、
そんな風に思ってみたりもするけれど、もの凄い勢いで進化していく今の時代、
便利になり、効率ばかりが求められているようにも思いながらも、
今こうして、きっと遠い未来には歴史的な転換期と記されるような時代に現役で、
まだこうして、前線で生きていられることが幸いだと思っているし、
元気なうちにまだもう少し、変わり行く社会を見ていられそうなことも幸運だと思っている。
160年ほど前にはまだ視野が限られていたけれど、幸せだったであろう時代を経て、
勝手に視野が広げられる今があることは知っているからまだもう少し、
こんな時代を広く見ていきたいと心から思いながらも、
これまで生かされたこと、すべてのご縁にありがとうございます。
令和八年 十月十三日火曜日に
栗岩稔
