2026/09/29 10:00

東京では台風直撃かと言われていた日に、今年もまた稲刈りの手伝いをしてきた。
と言っても刈るのは義兄でその後の稲の束を運んで支柱にかける「はぜ掛け」
今では手間と労力がかかるために刈ってすぐに機械で乾燥させることが増えているなか、
太陽の光に晒して天日干しをすることによる米本来の旨味と適度な水分を保つという、
古来脈々と受け継がれてきたはぜ掛けの作業の手伝いをしてきた。
東京とは違って前日には晴れていたために昨年のようなぬかるみの少ない田んぼのなかを
一歩一歩、長靴を履いたいつもより重くなった足を引っ張りあげるように歩みを進めて、
淡々と、雨が降りだして作業を止めるまで黙々と進めながら、故郷の山々を眺めながら、
まだ若い頃に読み漁った、学校には行かずに読書と独学と労働から学んだ社会哲学者、
エリック・ホッファーの沖仲仕として働きながら思索を深めて執筆した、
「波止場日記ー労働と思索ー始まりの本/みすず書房」のなかで労働と余暇を利用した読書と思索、
そうすることの意味を日記のなかで説いていて刺激を受けたことを思い出していた。
当時はヘンリー・D・ソロー「森の生活」を読み直したりする日々だったから、
社会のなかで働き、生きることの意義を強く感じたし、
島暮らしを考えていた自分をすべて白紙に戻して町に生きることを再認識させてくれたり、
その労働に対する自分への対価も意識するようになったあの頃を思い出しながら、
昨年は稲の束を一度に5束が限界だった自分が7束に増えたことか純粋に嬉しくなって、
自分を誉めてみたり、義兄が言っていた稲の品種を倒れにくいものにしたことで、
背丈が低くなったことや、はぜ掛けした稲の広がりや掛けられる量の違い、
雨に濡れているかいないかの水分の重さを体感して、水田とはよく言ったもので、
水の扱いが収穫や作業を大きく左右する稲作の奥深さを知ることが出来た。
昨年とはだいぶ違う地面の乾きを足の裏と歩く速さに感じながら、
足元ではね上がるアオガエルのまだ蛙になったばかりと思われる小さな体で、
こちらの一歩に合わせるように跳ねる様がとてもかわいらしく、
間違って踏みつけないように気をつけながらその様子を楽しんだ。
歳を重ねたことをそれを楽しんでいられる自分に感じながら、
怒涛のように過ぎた10代の終わりから20代の終わりまでの10数年を終えて、
息切れ気味の頃に出会ったエリック・ホッファー、自分探しをしていた高校時代、
その頃に読み更けった哲学書とはまた違う社会哲学というジャンルで、
晩年はカリフォルニア大学に籍を置くまでになった知識と教養を読書と独学と労働から修得した
その生き様にも惹き付けられて、ほぼ全ての著作を読み漁り、
「人間とは何か/河出書房」まで読んでいたあの頃に大学に行かなかったことについて、
卑下していたわけではなく、その意味を見出だせずに行かなかった高校卒業時に比べて、
学びたい学問があったから特にエリック・ホッファーのような生き様自体に惹かれた。
けれど、その波乱万丈な人生があったからこそ、そうなったんだろうか、
自分のようにぬるま湯で生きてきた人間には無理なのだろうかとか考えながらも感銘を受けた。
その波乱万丈なエリック・ホッファーの人生はドイツ移民の子としてニューヨークに生まれ、
7歳の時に母親が他界、その後に突然視力を奪われて盲目生活になり、
その8年後に突然視力が回復、その間の失った過去を取り戻すかのように読書に没頭。
1920年、18歳でカリフォルニアに渡って職を転々としながら生活するなかで、
1934年、32歳の時に失業独身者を収容する連邦キャンプで社会不適合者であることを
自分のなかにも発見、その思索を深めていくなかで偶然出会った
モンテーニュ「エセー」が文章を書くことのきっかけを与え、
1938年に初めて、ミスフィット(社会不適合者)のことをまとめた文章を雑誌に投稿。
その後は「自由と運動と閑暇と収入のバランスがこれほど調和した職業はない」
という理由から港湾の荷役の仕事、沖仲仕として働きながら読書と大衆運動について
独自の思索を重ね、後に代表作となる作品も含めて、その思索の言葉を綴った著者を
多数世に送り出した人物で社会哲学者、エリック・ホッファー。
程度はかなり違うけれど、エリック・ホッファーにとってのモンテーニュのように、
自分にとってはエリック・ホッファーが色々なことのきっかけを与えてくれたし、
特に今回のように汗水流して自分の肉体を使って労働に励んでいる時に強く感じる。
義兄の田んぼは代々受け継がれていて、今では農協に納めることはなく自家用米で、
昨年の米騒動の時に姉が「こんなに高いんだね、お米って、家では買わないからなぁ。」
という言葉は羨ましく思いつつ、正しいことなのだと思うし、
これだけの作業を年間通してたくさんの作業の結果で得られる恵みは
十二分に受け取って欲しいと思うし、甥や銘は子どもの頃から農作業の手伝いをした
おじいちゃんの田んぼのお米で育っていたことにしてもこんなに幸せなことはないし、
今は大人になったから様々だと思うけれど他所の米や学校給食の米を食べて、
どう思っていたんだろうとか考えてみたりするけれど直接訊ねたことはない。
今年もまたそれぞれの生活があるなかでも手伝いにきている様子を見ながら嬉しく思えた。
この米はお金に変えることはないから労働と収入のバランスは知らないけれど、
日本中の農家が毎年毎年何年にも渡り同じ作業を繰り返して得られる恵みに対する
収入の調和がとれていることを心から願っているし、そんなことを強く全身で感じなから、
作業をほんのわずか、たった一日、しかも雨が降りだす前までの半日しかないけれど、
役に立てたことが嬉しいことだし、お昼ごはんにいただいたおにぎりが
とても美味しく感じられたし、珍しく空腹感を覚えるお昼がとてもうれしく、
おにぎりを3個も食べられた自分に驚いたし、嬉しい幸せな午後を迎えた。
このあとの天候次第でわからないけれど、順調にいけば2週間後に予定されている
脱穀作業も手伝いに来るつもりでいるし、楽しみにしているし、
担いだ稲が米になるところを目にしたら感動すらするのだろうと思っている。
それだけで十分労働の対価をいただいたと満足出来ることだけれど、
少しだけでも新米のお裾分けがあったらなおのこと嬉しいし、
幸せな気持ちになるのだろうし、きっと炊きたてのごはんをそのまま白米で
まさしく頂くことが出来たらこんな幸せな瞬間はないのだろうと思っている。
栗岩稔の稔という字を全身で感じることの出来た一日を終えた夜に
いつものように、帰京するための新幹線の待ち時間をいつもの居酒屋で
いつもの「電車待ちセット」を生ビールでいただいた時の旨さはたまらなく、
そのまま2杯目の生ビールを飲み干して、いつものように、
ホームに滑り込んだ新幹線に乗り込み、座席に腰を沈めたと思ったら、
もう上野駅を過ぎて終点のアナウンスの声で目が覚めた。
あっという間過ぎて夢だったんじゃないかと思うほどの田んぼの見えない街、
天気予報通りの大雨を予感させるなかをを変な汗をかきながら歩いた。
数日後、集中豪雨の被害を伝える報道のなかで、新米を納めた倉庫が冠水、
雨に浸かったたくさんの米は廃棄せざるをえないことを伝えていた。
こんなに悲しいことはないし、また大雨の可能性を伝えている。
とても心配だけれど、こればかりはどうしようもなく、ただただやさしい雨を祈っている。
全身に心地好い疲れが残ったあの日を過ぎて未だに筋肉痛はない、もう出ない、はず…。
令和八年 今年もまた手伝いが出来たことの悦びに
栗岩稔
