2026/09/01 10:00


少しだけ気温が下がった日の朝の玄関ロビーのベンチで、

デイサービスの迎えを待つ杖を手にした高齢女性と介護サービスの男性が話していた。
「最近は地震とか大雨とか大変ですね、この前の大きな地震は大丈夫でしたか?」
「そうね、ひとりでいるから怖かったけれど、もうこの年だからね、もうね‥。」
独り暮らしの高齢女性がひとりこの集合住宅で深夜2時過ぎにあの大きな地震、
しかも上階だから揺れも強かったはずのあの夜をたったひとりで体験して、
特に高齢者が多く暮らすこの集合住宅の他の挨拶をしたりするみなさんも
どう過ごしていたんだろう、長年ここに暮らしているとはいえ、孤独な夜を過ごし、
地震のあとはエレベーターも朝まで止まって、外に出ることも出来ず、
不安で仕方なかっただろうと思い、何だかとても切なく、悲しくなってきた朝だった。
最近特に世界各地で大きな地震や豪雨、つい先日の都市型集中豪雨もあったり、
それに加えて災害ともいえる酷暑や熱波などのたくさんの事象が起きているし、
また比較的元気な自分にしても参っているし心配だし不安になっているのだから、
孤独に暮らす高齢者や社会的弱者は気が気でないだろうし不安で仕方ないだろうと思う。

つい先日もネパールの国境付近で大洪水と土石流が発生した。
原因は温暖化による氷河の溶解らしいけれど、これまてに見たこともない、
山崩れや峡谷の崩壊やその規模に地球の怒りのような断末魔の叫びのようなものを感じた。
極々身近なところでは好きだったはずの雨に恐怖を覚えるような降り方だったり、
風か吹いてもその吹き方に過剰になっていたり、不安のようなものを感じたりしている。
今のこの時代にはどこに暮らしていても安心出来る場所なんてないことに改めて気付くし、
地下にシェルターでも作らなければどうしようもないんだろうかとも思ったりする。

実際にここ東京では100年ほど前に関東大震災に襲われて大きな被害を出している。
そのもう少し前の江戸時代、安政の大地震もそうだけれど、そのあとに生まれた、
地震雷火事親父という江戸の町人のユーモアとあきらめのようなものを含んだ言い回しでは
到底収まりきらない世の中になっていることを感じるし、方や人間界についていえば、
最後の親父だけとっても、当時の父親像と今はだいぶかけ離れているし、
自然の脅威と同じくらいに脅威だったはずが、暴力的な恐怖を感じる事柄が多く、
江戸の頃のユーモアを込めてなんて、洒落でも言えない親父がいる世の中になっている。

そもそも、この地震雷火事親父の親父は元来親父ではなかった、ということを最近知った。
江戸時代におけるキャッチコピーのようなものだったんだと思うけれど、
親父は親父ではなく、今で言う台風を大山風(おおやまじ)だったものが、
語呂合わせやリズムや韻を踏むことによって、おやじになり、当時の父親像から親父に、
という諸説あるなかでは一番附に落ちる説だと思うし、結局のところ時代は変わっても、
やっぱり地震雷火事大山風は恐怖の対象で自然の脅威なんだということを知った。
ただ、今の時代の過剰な情報量やメディアが多様化したことによる情報を目にするから、
より一層恐怖を感じるし、自然の脅威を感じるし、この先の地球環境が心配になる。
そもそも一番変わったのは人間で、人口が増えて生活様式が変わって、
この地球上に生きる人の数が圧倒的に増加して、80悪人にもなろうとしているのだから、
その人間界が自然界に多大な影響を及ぼさないわけはどこにも見当たらないと思う。

日本だけみても、江戸時代の人物は3400万人だから3倍もの人口になっている今、
被害の規模は甚大で町も拡大発展しているのだから、生活全般、産業構造も変わり、
想像に絶するようなことになるのだろうと思うし、天災だけど人災になるということも、
つい15年前にもあったわけだし、入ってくる情報や広がり方、真偽も含めて
だいぶ変化してきたんだと思うけれど、人類は過去に学んできたと信じたいし、
地震大国日本では特にそう思いたいし、そうだと思っている。
地球全体でみても現実的に産業革命以降の平均気温が上がって、
極地の氷が溶け出して海面上昇して水没する危険に面している島国があったり、
ネパールのように氷河も溶解しているのだから、とんでもないことになってきている。
そんな自然の脅威だけれど人間は自然に守られてきた部分もあるのにも係わらず、
その自然の恩恵を踏みにじるような産業の発展、身近なところだと、
1970年代の日本の林業の発展の結果、今になって山の斜面が雪崩のように
表面が崩れ落ちることもあるわけだし、今この地球の行く末を握っている人類が
どうにかしなければいけないんだろうと思うけれど、どうなっていくのかば全くわからない。
その人間同士が争い、破壊していることが絶え間ないし、自らが苦しめているように思う。

この独り言のような散文が更新されるま9月1日は関東大震災の発生日で、
当時10万人以上が犠牲になって、町は一面の焼き野原になったこの東京がたった100年で
何事もなかったかのように発展して人を集めて人の生活がそこにあるこの街にまた、
大きな災害が起きたらどうなるのだろうかと思うし、100年前の2倍の人が暮らす今、
被害も2倍というわけにもいかないだろうし、高層ばかりの街並みはもちろん、
経済損失もとんでもないことになるのだろうし、国全体の問題になるのだろうと思う。
だからといって何も出来ない自分がこの街に生きているし、この先もまだいると思う。

何があっても人は酒を飲むことをやめないという想いもあって生業にして生きてきたけれど、
いざそうなったら、酒どころか水の確保や食べることも儘ならなくなると思う。
もちろん酒どころではないし、生き延びることが大切だけれど、
これを生業とした人生をやめることはないし、生き残っていたら再開するのだと思う。
東日本大震災の時もパンデミックの時でも人の拠り所に少しでもなれれば良い、
そう考えていたから酒場を開けていたし、自分には何も出来ないからという想いだけでしていた。
けれどどこかで、考えが甘いのかなと思っている自分が今いたりする。
あの朝耳にした会話であの夜の自分の気持ちを思い出していた。
もちろん守るべきものは守るし、生き残る努力はするけれど、
どこかで、このまま終わっても良いかなと思っていた自分もいた。

子どもの頃、地震雷火事親父の親父は脅威だったけれど、今は年老いて、
たまに会いに行くたびに小さくなっていくように感じるし、
居間のいつもの席にいた当時の面影はなくなっている。
家のなかを移動する時に自分の肘に掴まる弱々しい様子に切なくなるし、
この大雨や地震や酷い暑さを一人でどう思いながら過ごしているんだろうかと思う。
けれど、幸いにして都会とは違う近所付き合いが昔からある家だったから、
近所の人たちに見守られていることも知っているし、このお盆に実感して感謝したけれど、
何も出来ない自分がいたし、その代わりに義兄や姉や近所の人たちに頼り切っている、
そんな自分が情けなくなるけれど、今自分が暮らし生きているのは東京だし、
ここで生きて死んでいくのだと思うけれど、遠く離れたこの街から、
この夏を乗り切ることが出来た、関東大震災から10年も経たずに生まれた父が
少しでも穏やかに暮らせれば良いと願っているし、たまには会いに行くつもりでいる。

令和八年 地震雷火事親父を考える日に
栗岩稔