2026/08/11 10:00


夏の全国高校野球、甲子園が始まり、8月6日は広島、8月9日は長崎の悲しい祈念の日。

街中では通学する子どもはいなくて、昼日中に公園で遊んだり、習い事に通ったり、
コンビニでアイスやお菓子を買ったり、楽しげにしている様子の傍らには、
暑さと何かに負けたような大人たち(自分も含めて‥)が仕事と生活に励んでいる。
気温が高すぎるのか、日中は蝉の声が聴こえてこなくて、蚊もいないように思う。

もう立秋を過ぎたけれど夏が始まった感、夏というか夏休み感を街中に感じている。
個人的な夏休みの記憶や想いについては何度かここに書いたけれど、
相変わらずザワザワした感じで少し苦手な春のような浮かれた感じとは違った何か別の
浮かれた感じをまた覚えながら、今日は山の日、あすは日航ジャンボ機墜落事故の発生日。
そして、8月15日は、若い世代には知らない人もいると知って悲しく感じている終戦記念日。

世界中で戦争紛争が無くならない今だからなおのこと心身ともに重い旬間を今年も迎えた。
いつもは人の少ない東京の街中で迎えるけれど、今年は久しぶりに地元で迎える。
お盆休みというものをいただいて実家に終日いることになるからなおさら、
口のなかのほろ苦いザラザラした感じを覚えながら過ごすことになると思うけれど、
久しぶりのお盆という行事を少しだけでも楽しめたら、それはそれで良いと思うし、
この春から続いていた長男の役目というものも、夏の終わりとともに一区切りで、
実家とか帰省とか家族とか、寺とか墓参りとか何だかニッポンの夏的な感じで迎える。

何度も観ていたけれど、忘れかけていた映画をこの夏に思い出すことにもなった。
2008年公開、是枝裕和監督の「歩いても歩いても」は、原田芳雄、樹木希林、阿部寛、
YOU、寺島進などなどの名演技が織り成すその物語は、年老いた両親の元に
久しぶりに集まった家族の情景を静かに表現しているホームドラマというジャンルの作品。

夏の終わりに阿部寛演じる息子は子連れで再婚した妻子とともに実家を訪れる。
開業医だった父親(原田芳雄)と反りが会わず、失業中だったこともあって気が向かず、
気が重いままに久々の帰省をする実家では明るい姉(YYOU)家族も揃って、
静かだった家に笑い声が響き、賑やかになり、得意の手料理を振る舞う母(樹木希林)と
家長としての威厳を保ちたい父のありふれた家族の風景が繰り広げられるなかで、
15年前に亡くなった長男の命日を理由として集まった家族が食卓を囲むうちに、
それぞれの心のなかにしまっていた想いが滲み出してくる。

小さな子どもを助けようとして亡くなった、家を継ぐはずの長男の死を受け入れられない両親と、
元々反りが合わず離れて暮らしていた次男(阿部寛)の生活の違いから生まれるすれ違いや、
葛藤のようなものがありながら、長男の代わりを担う役目を終えて帰路に着く、
その24時間のなかに様々な人間模様や家族の肖像が綴られた素晴らしい作品で、
その物語の撮影した地がかつて暮らした海辺の街の近くで身近に感じることもあって、
好きな作品だったけれど、忘れかけていた今この時期に改めて思い直すと、
今の自分と照らし合わせてみるとまた、その良さがわかるだろうし、
これまでと違った父、母、姉と家族、自分などが心に染み入るような気もしている。
要素や家族構成は違うけれど、なんとなく通じる部分がたくさん感じられるからなおのこと、
このありがたいお盆休みのなかで観てみたいし、それが実家ではなく、
東京に帰ってから自宅でひとり観るべきだろうと思っている。

そしてもうひとつ、ほぼ毎年これまで何度も観ているけれど今年は絶対に
自分のために観なければいけないと思っている作品、それは小津安二郎監督作品「東京物語」で
これもまた、母親がいなくなって実家にひとり残る父親を残して
東京に帰ってから観ようと思っているし、きっとこれまでと全く違う心持ちで
観ることが出来ると思うし、もしかしたら、この夏の終わりに初めて涙を流しながら、
ということになるかもしれないけれど、今年ばかりはそれで良いと思っている。

この映画は、高度経済成長期、ちょうど自分が生まれた頃、戦後20年ほどが過ぎて、
急速に発展していく日本のなかでも、東京などの都市部と地方の暮らしの違いや、
話す言葉の速さすら違ってくるように感じるスピード感の違い、
故郷を離れた子どもたちと両親のすれ違いを夏のある日常のなかに淡々と描き、
遠く離れた街から夜行列車で行き来することしか手段がなく、
子どもの顔を見ることだけでも長旅で大きな行事となっていたあの頃、
連絡手段も電話か手紙、急ぎは電報だった時代のなかでも慌ただしく過ぎていく東京と
地方の時間の感覚の違い、金銭感覚すら違っていたように思えるこの親子の描写と
その静かに過ぎていく風景描写にも切なさが残る、自分にとっては人生の一本に入る、
この「東京物語」を今年は絶対に観るべきだと思っている。

歩く速度の50倍の速さで運ばれる現代、自分の初の上京の日は夜行列車で運ばれた。
深夜に地元を出た列車が翌早朝に上野に着いたあの日から自分の東京物語が始まった。
その後、帰省するには特急列車を利用するようになって便利さを感じながら、
2時間半の列車旅に対する準備と心構えがあったけれど、
今は朝に出発して昼には帰京出来るし、実際にそうしてきた2年間だった。
今さらだけれどもう少し、帰省するという気持ちをたった数時間の滞在でも
持っているべきだったと思いながら、もう終わったものは仕方ないし、
あの日に深夜の改札口まで見送りに来てくれた、まだ少しだけ若く、
今の自分と同じ年頃の二人の姿はもう二度と見ることは出来ないし、
当然のことだし、もう40年近く経ったのだから仕方ないことだと思っている。

その言葉の意味すらよく知らずに帰省とか帰郷とか考えずに使っていた。
帰京はもちろん東京に帰ることだろうけれど、すべてに「帰」が着くのだから、
一体どこに帰るのかわからない、帰省、帰郷、帰京、そんな言葉も感慨深い。
その帰省とは、実家や地元を離れて暮らしている人がお盆や正月などの行事にあわせて
一時的に故郷に戻り、親や家族と顔をあわせて安否を伺うことで、
帰郷とは、生まれ育った土地や故郷へ帰る、ということで親を見舞うことに限らず、
地元に帰る全般的な意味を持っていて、その大きな違いは期間と目的で、
帰省は一時的で、帰郷はUターンなどの長期的な移住の意味を含むことを知った。

詰まるところ結局は、これまでずっと自分は帰省で帰京だったものの、
帰省の本来の意味でもある、両親を見舞うことをしてきたけれど、
どこか義務的で事務的だったように思っているものの今さら遅いし、
たぶんきっとこの先もずっと帰郷することはないだろうから、
この先は帰省の本来の意味、今はひとりになった実家に父を見舞う旅にしたいし、
この秋に早速すべての行事が落ち着く、お盆が明けたらそんな旅が出来たら良いし、
たとえ短時間であったとしてもその心持ちや心構えを忘れずにいられたらそれで良いと思っている。

そんな自分の「東京物語」を感じる夏が終わって、あっという間に秋になる。
そしてまた、ひとつ歳を重ねる。

令和八年 歩いても歩いても東京物語を
栗岩稔