2026/06/23 10:00

バーテンダーという仕事を始めたきっかけを訊かれることがよくある。
多分、他のみなさまとは何かが異なるように感じているからなのか、よく訊かれる。
特に生き方に少し迷いが感じられる若い世代の男性に、よく訊かれる。
確かに、30歳からこの仕事の見習いからはじめているから異例といえば異例かもしれないし、
20代の頃はアパレルブランドの社員から始まって、今やビジネスマンが持っている
アメリカのラゲッジブランドの販路開拓の仕事をしていたから異例なのかな、と思う。
けれど、自分にとっては流れに任せて自分の意思でこうなったから自然だと感じている。
この流れの大きな理由は、好きなモノ、酒場、そこに集う人、音楽が集約された空間で、
この仕事自体が世界共通で扱うモノや作る酒がコミュニケーションにもなることと、
死ぬまで現場にいられる、どんなカタチに変わろうと最期まで現役でいられるし、
豊かな老後の保障は何ひとつないから、きっと自分は死ぬまで働くんだろうと思っいたし、
決してネガティブな感情ではなくて、老い衰えれるまで社会にいられたら、
それが幸いなことだし、そう出来たらそれが良いと思っていたところもあったし、
若い頃には想像すら出来なかった還暦を間近に控えた昨今は特にそう思っている。
高校の頃に観たと思うけれど、映画「居酒屋兆治」のなかで、
高倉健が演じる造船会社を辞めて函館の街で小さな居酒屋を営む兆治と、
その居酒屋に集う人々と兆治の人生模様が描かれた作品で、
これを観た時には腕一本身体ひとつで何とか食っていけることもあると知った。
二十歳の頃に観た映画「カクテル」では、野心を抱いてニューヨークに来た青年が、
受けた挫折と違うカタチで生きていく再生みたいなものを描いた作品で、
夢に破れた青年がバーテンダーとして、戸惑いながらも生活を始めて、
いつしかそれが生業になっていく様子を観た時にも、腕一本でどんなカタチでも、
どんな街でも食っていけるし評価されて仕事を依頼されることも知った。
どちらの作品も生き方に迷いながら、行き場のない生活のなかで観て、
目の前のことに必死で先のことなど、考えられなかった時に出会えた作品で、
生き方とはとか、仕事とはとかを考え直すことになったんだろうとも思っている。
ただ、二十歳から働きはじめていたアパレルブランドが全盛期の時代で、
泡沫経済の世の中をふわふわと流されるように上京して激動の日々が過ぎて、
公私ともに忙しく、文字通りの心を亡くしたままに20代を終えようとした頃に、
ふとしたことで迷い、当時の感情を思い返し、企業や組織に属することなく、
看板を背負わずに生きていくことを考えはじめた頃だったし、
身体ひとつで生きていくことを選ばざるを得なかった失望感も覚えている。
どこにいても身体ひとつで技術さえあれば、どの街、どの国であっても食っていける、
そう決めたところがあったけれど、旅をしながら生きていけたらという淡い考えもあったし、
最終目的地をニューヨーク・マンハッタンにして、あの街で生きるという、
一度は破れた夢をいつしか実現したいという想いもどこかにあった。
あの頃からずっと地元に帰るという選択肢は持たず、東京に長くいる気もなかったから、
ひとまず修行をして技術も身に付けて時間がかかろうとも、いずれは旅に出る、
そう考えていたところもあって、だいぶ若気の至りな部分はあるけれど、
何となくそう思いながら、あまり深く考えを突き詰めることなく判断したところもあったし、
根拠のない自信や自分自身でも知ることのない未知の仕事で食っていこうと決めた。
そんな30代を迎えようとしていた記念すべき30歳の祝いにと初めて、
長らく通っていた自分のなかの東京の象徴のようなバーでボトルを入れたくなり、
マスターに伝えたくなり、地下に降りる階段に足をかけた時のことをよく覚えている。
その重い扉から洩れるいつもながらの心地好い音楽とざわめきに誘われるように、
扉を開けていつものように長いカウンターの端の席に足を向けた自分にマスター自らが
カウンターの真ん中、その店の中心に案内され、少し戸惑いながら緊張しながら、
日頃から遠くから眺めていたカッコ良いオジサンたちと肩を並べたその日、
今日はこういう日なんだと考え、30歳記念にボトルを初めて入れたいと伝えると、
いつも通りの美味しい生ビールをまずは何も言わすに目の前におき、
いつも飲んでいたジンのまっさらな未開封のボトルが続いて目の前におかれた。
その流れるような仕草を眺めながらまた、今日はこういう日だと思い切り出した。
「今更ながらバーテンダーになりたい」に、タバコに火を点けながら、
「栗ちゃんだったらさ、うちで働いてみる?他のみんなは同じ世代なんだし。」との言葉に、
「お願いします」と即座に応えた、深く酔ったその日から全ての流れが変わり、
年棒何百万から時給千円の生活がはじまって苦しく、大変な日々だったけれど、
とても刺激的で辛いことはなく、マスターを支えるスタッフの皆が快く迎えてくれて、
終電が早い自分のためのシフトを組んでくれて、忙しい時間帯を一人で回してくれたり、
(もちろん、早番で入り掃除、仕入れ、開店準備をひとりでこなしたけれど)
新人に何かと教えてくれたことがとても嬉しく、励みになったことを覚えている。
しんどくても、身体の芯から沸き上がってくる何かに突き動かされるような日々に、
生きていることを実感しながら、都会と海辺のメリハリのある暮らしが始まったあの頃。
あれからもうすでに30年近くが過ぎて、世界のどこかでも旅することもなく、
もう20年以上銀座にいて、今この酒場で目の前にいる人に向き合い酒を作り、
酒場という空間を作っているそのことが、とてもありがたいことだし、
現場にずっといられたことを実感しているし、今だからこその海外からの来客に、
言葉ではないモノでコミュニケーションが出来ることも実感している。
先日、銀座の手仕事という企画でバーテンダーとしての手を撮りたいという話をいただいた。
長年お付き合いいただいている写真家からの紹介だけれど、そもそものご縁は
鎌倉の酒場にはじまるもので、30年近く経った今にも繋がっているご縁を感じている。
果たして私で良いのか、こんな子どもみたいなバーテンダーの手で良いのかなどと、
自分に対する半信半疑はあるけれど、ありがたい話として快く了承した。
客観的に他人が見た自分の手を見ることが出来るということに期待しながら、
大きなケガなどしないように気をつけながら、楽しみにしながら、仕事をしている。
もちろん鎌倉にはじまるご縁だけでなく、新宿で出会った当時の先輩方が
同世代だったこともあって、今でも付かず離れずの関係は続いているし、
共に40代、50代を迎える度に乾杯をしてきて、今は還暦に入ろうとしている。
全員が無事迎えられたら、また乾杯に行きたいと今から楽しみにもしている。
そんなこんなで始まったバーテンダー人生がきっと死ぬまで続けていくと思っているし、
これ以外には今さら考えることも出来ないし、まだまだ道半ばな気持ちもあるから、
頑張り過ぎないように日々勉強しながら、出来るだけ楽しみながら向き合っていきたい。
この街でずっとかもしれないし、別の街かもしれないけれど、
もう二度と骨折などしないように、出来るだけ無事に現場で最期を迎えたい。
令和八年 一年の折り返しの夏至の頃に
栗岩稔
