2026/06/16 10:00

雨の季節になった、とは言っても毎年のことだから今年もまた、だけれど、
ここ何年かの梅雨時に比べたら少し違う感じがしている、というより、
はるか昔の梅雨の季候のようだと思う、けれど今のところはまだ、
雨の降り方や気温や湿度にそう感じているし、穏やかに降る雨が心地好い。
梅雨入りしたばかりの中休みの6月10日は時の日だった、らしく、
人類唯一平等な基準の時を同じように自分も刻んでここまで来たけれど、
最近滅法、子どもの頃や若い頃のことを思い出すことが増えてきた。
これもまた、歳を取ったということかどうかわからないけれど、
地元の街の風景や実家で過ごす時間のなかで、それがきっかけになっていることが多く、
そこに理由があるのだと思うけれど、良くも悪くも思い出というものに、
浸ってしまうことは特にこの季節が多いように感じているし、実際にそう思う。
いつの頃から雨が好きになったんだろうか、とかそんなことも考えるこの季節、
子どもの頃は雨がキライで、校庭で野球も出来ず、山の中の小川でも遊べず、
友だちが少なかったから何もすることがなく、何となくもの悲しげな感じもキライだった。
けれど、唯一夏の水泳の授業が始まる恐怖の時期、長野県の割にはまだ涼しい頃から
秋口まて続く長い長い苦手な水泳の時期の雨だけは救いの雨で待ち焦がれていた。
けれど、雨でも強行する時には二重苦でカナヅチだった自分の心までが固まって、
沈んでいくような感覚にもなるほどにキライだった雨は小中高まて続いたように思うけれど、
卒業後に夜の町や雨に纏わる歌謡曲やカラオケ画面上の雨の景色から変わったように思うし、
実際にそれまで知らなかった馴染みの町の違う部分をを知ったからだと思うし、
上京してからは特に、都会を濡らす雨やアスファルトに落ちる降り始めの雨の匂い、
街の灯りを濡らす雨の美しい光や高層ビルから見下ろすたくさんの傘の花に
雨の街の景色が好きになり、特に鎌倉に暮らすようになってからは、
雨が降るとわざわざ由比ヶ浜海岸に傘もささずに出かけて海に降る雨を眺めたり、
鶴岡八幡宮の雨に濡れる参道の砂利道をビーサンで歩いてみたりしていた。
しかもあの頃は濡れてもよいモノばかり、フリースにサーフパンツにビーサンだったから、
傘要らず、で東京では服飾関連だったから逆に雨の服の歴史や良さも知り、
雨の街を歩きたい服は一揃え持っていて、今でも当時のビーンブーツや、
オイルクロスのレインコートとつば広の帽子は大事にとってあったりする。
やっぱり都会の町を深く知って、キライだった雨がより一層好きになった。
日曜日の午後の実家の庭で静かすぎる住宅地の音を探していたらふと、
久しぶりの雨の降りだす前の匂い、慣れ親しんだ東京のそれとは違う、
土の地面に感じる匂いがかえって新鮮で何だかうれしくなった雨のはじまり、
だけれど、同時に子どもの頃、まだ家にいることしか知らない頃に苦手だった、
雨の降る時期の記憶を思い出させて、何だか少しだけ胸が苦しくなった雨。
小学校の水泳の授業や何もすることのない雨の日のもの悲しさを思い出し、
あの頃の自分は何を考えていたんだろうか、とも考えるようになっていた。
けれど、そんなことは思い出すことは出来ず、友だちは少なく社交的でもなく、
勉強はそこそこで何の取り柄もなく、ただ日々が流れるなかにいたんだろうし、
あの頃の夏休みがとても楽しみだったこともなく、苦痛だったようにも思う。
もちろん、親が遊びに連れていってくれたから楽しみはあったけれど、
陽が落ちるまで友だちと遊び呆けることもなく、家にいたように記憶している。
学校に行っても特に目標があったわけではなく、与えられた「勉強」だったと思うし、
何が楽しかったんだろうかと考えてみても、何も思い出すことはない。
けれど、よく足を運んで時間を潰していた図書館の少しカビ臭い本の匂いや、
司書のオバサンの顔はよく覚えているし、好きな本に囲まれていたけれど、
それ以外に居場所を見つけられなかったんだろうとも思えたあの頃、
フラッシュバックしたように、実家の庭を濡らし始めた匂いと一緒に思い出した。
そんなことを考えていたら、つい漏れた「あ、雨の匂いだ‥。」という独り言に、
普段はあまり反応しない父が「そうか、雨か。」とひと言だけ、呟いた。
「そう、雨だよ。」という答えには反応せずに会話にならないたままに終わった。
ただ居間に座っているだけで自分が作った庭を眺めながら雨を感じられれば、
会話がなくてもそれで良いと思いながら、ただ流れているだけのテレビ画面を眺めた。
休日に庭いじりに励んで作った父の庭が、今は荒れたり枯れたりしたものがたくさんある。
自分でも、危ないから切り倒したり、父が集めた庭石を捨てたりしてだいぶ片付けたけれど、
かろうじて、その痕跡が残っている父が作った庭に雨か静かに落ちている。
そして、父にとって何もすることがない長い長い一日が終わった。
父はそろそろ95歳を迎える。その長い長い時を刻んできたことだけで尊敬に値する。
昭和初期に生まれ、戦争を体験して激動の昭和を生きてきた人だけれど、
その子どもの頃や若い頃はどうだったんだろうと思う。
これまで、あまり会話らしい会話はあまりしてこなかったから、
どんな子ども時代だったとか、若い時の話しは一切聞いたことがない。
夢が持てない時代に多感な時を過ごしながら、夢や目標があったんだろうかと、
今になって訊いたところで、記憶があやふやだから、答えも確かではないから、
訊いても仕方がないと思って諦めているし、これまで散々苦労をかけてきたから今は、
何のお返しが出来ない分、夕食くらいは共にしたいと思っているだけだけれど、
以前のようはに晩酌はしないから、食べ終わったら薬を飲んですぐに寝てしまう。
それはそれと、どこかで諦めているし、仕方がないと思っている。
95年という時を刻んだ人には今の時代はどう感じているんだろうか、
そもそも、そんなことすら感じていないのかもしれないし、
梅雨入りしたとか暑い寒いとか、そんな感覚すら鈍くなっているのだろうから、
今は自分の時間軸だけで生きて、時を刻んで、ただただ過ごしているのかもしれない。
何だか少し寂しい気もするけれど、仕方ないことだとも思っている。
地元上田の山中で蝉の声を聴いた。
義兄がひと言「春蝉じゃないね、もう夏だね。」と言った。
ということはもう夏がすぐそこにあるということを、東京の街中ではなく、
上田の比較的に涼しい山の中で蝉の声を高い木の上に探しながら感じていた。
今年の夏はどうなるのか、酷く暑くなるのかしら、とも考えている。
そういえば今年から、気温40℃の日を酷暑日という名に設定されたと聞いたけれど、
その上もこの先すぐに出来るような気もしているものの、今のところはまだ、
子どもの頃に感じた梅雨の季候を感じられている、けれどやっぱり、
蝉の声に驚かされながらも、でもやっぱりどこかで嬉しかった。
そんな小さなことにも喜ぶことが出来る歳になったことも感じている。
95年はいらないけれど、自分もだいぶ時を刻んだものだと思った。
令和八年 梅雨の中休みの時の日に
栗岩稔
