2026/05/19 10:00

ことりのおかあさんは、あかちゃんをおいて、しんでしまいました。かなしいでした。
それでおかあさんとぼくでえさをくれています。一の一 くりいわみのる
昭和50年6月26日 西校新聞「うれしいな たのしいな 一年生」より
「うれしいな たのしいな~」ではないけれど、こんなことを書いていたらしい。
50年も前のことだから全く覚えていないけれど、こういうことがあったんだろうと思う。
担任教師の文章も載っているから、学校から保護者や外部向けの配布物だったと思われる物が、
片付けをしているなかから見つかった、わら半紙の印刷物に50年前の自分に再会した。
たしかに子供の頃には家でインコを飼っていた。
ツガイで買ったインコがたくさんの卵を産んで雛がかえり小鳥が増えて、
小さな鳥かごから父親が廃材を利用して作った大きな鳥の家のようなものが、
縁側の端にあったことを覚えているし、日曜日にはペットショップにエサを買いに行くことが、
親の楽しみだったように思い出すし、そこまでの15分足らずのドライブが楽しかったように思う。
けれど、家の軒先は野良ネコの通り道で、たびたび襲われてインコの水色や黄色の羽が、
散らばった跡とインコの数が減っていたその光景がひどく悲しかったことも、
フラッシュバックのように思い出したけれど、「あかちゃんをおいてしんでしまいました。」
のおかあさんインコはもちろん、あかちゃんも全く記憶にないけれど
こんな風に書いているのだから、その母子のインコを可愛がっていたんだろうと思う。
これとは別の死の場面はとてもよく覚えている。死の場面というか、自分が殺めた瞬間のことを。
生まれたばかりのインコを巣箱から出して、小さな匙でエサをあげながら世話をしていた、
というよりも遊んでいた時に、飛ぶことはまだ出来ずようやく歩き始めた青いインコ、
たしか、ビーちゃんと呼んでいた小鳥を居間のすみで遊ばせて、遊ばれながら、
こちらもまだ子供で気もそぞろで、ほかのことに興味を奪われて立ち上がったその時に、
足の下にいたピーちゃんに気付かす、右足のかかとで踏み、そのままピーちゃんは起きることなく、
死んでしまったあの時のかかとの感触や横たわって呼吸が薄くなっていく姿は忘れないし、
目を背けることなく、見つめていた自分が何歳で誰といたのかは記憶にないけれど、
あの様子だけは色濃く残り、ひどいトラウマのようになっていた時期もあったから、
他のインコの世話をすることがなくなり、眺めることすらしなくなったことを思い出した。
あれ以来、自ら動物を飼うことはなく今に至るけれど、動物は好きで特に鳥が好きでいる。
かえって鳥は好きすぎて、子供の頃には、その羽を図鑑で見ながら書き写したり、
段ボールに書いて切り取り、鳥の羽だけをいくつも作っていたし、
その生態によって違う羽のカタチを興味を持って調べて書いてみたりするほどに、
鳥というもの全体が好きで、空が飛びたいとかの夢ではない違った、それぞれの生態や、
摂食の仕方で特徴がそれぞれにあって、もちろん羽のカタチが異なることに一番興味を持った。
空高くから急降下して小動物を捕獲する鳥や、木の実や小さな虫を捕る、あまり飛ばない鳥や、
何万キロも海をわたる鳥の羽など、それぞれが違うことがとても面白く、
たくさん書いて切り抜き、比べてみたりしていたなかで、一番のお気に入りはハヤブサだった。
そんな鳥好きが実現することなく終わりそうなハングライダーに憧れていた頃には、
父親の実家の山にあったハングライダーの降下台があり、そこから長い間眺め、
ハングライダーが飛び立った先に広がる田園地帯と広い空をただだ眺め続け、
いとこに急かされるまで気付かずにそこにいたし、いつかやってみたいとも思っていた、
そんな自分やあの景色や子供の頃の叶える術を知らないままに抱いた淡い夢も思い出した。
今この歳になっても鳥はついつい、だいぶ嫌われものになっているように感じる、
街中のカラスやハトも、鳥の仲間として眺めているし、最近あまり見かけないスズメもそう。
空の上で円を描きながら獲物を探しているトビや、今盛んに飛んでいるツバメもそうで、
見つけるとうれしいし、ツバメの飛ぶ高さで、あ、明日は雨かな、とか考えている自分がいる。
カラスはカラスでゴミを散らしたりするのはどうかと思うけれど、
そのなかから美味しいモノや巣作りに使えるモノを見つけて咥えて持ち去ったり、
巣作りに最適らしい針金ハンガーを咥えて飛んでいる姿を見ると、
都会に生きる知恵を蓄えていることに関心したりするし、自分の巣に近いマンションから、
巣を守るように威嚇している姿に、生き残り子孫を残すためのその様子に、
そもそも人間が暮らす街で生きることになって得た知識で生存競争を勝ち残って、
都会に暮らしながら遺伝子レベルで適応していくんだろうな、とか考えてみたり、
里山と街のカラスは人間みたいに生活様式が違っているんだろうな、とか、
早朝に見かける銀座のカラスに良いモノを食べたんだろうな、と考えてみたり、
深夜に夜道を歩くカラスに人間の姿を重ね合わせて見たりしたこともある。
この酒場の近所の人気のパン屋付近には必ずいるハトは縄張りがあるかのように、
必ずそこにいて、白い羽のハトを見つけると、お、またいるな、と喜んでみたり、
定休日を知っているかのように火曜日は一羽もいなかったりするのに、
斜め向かいのビルの窓枠にいるその場所もそれぞれ決まっているかのようにとまっていて、
パン屑を落としている人間に追い払われながら、火曜日以外は必ずいるその様子が面白い。
毎日のように暮らしていた由比ヶ浜海岸では、カラスやハトの小競り合いも観察した。
海に遊びに来ている人間のカバンのなかから菓子袋だけを引っ張り出して、
中味を出して食べているカラスが横からつまみ食いするハトを威嚇したり、
上空から横取りしようと舞い降りてきたトビにけ散らかされたりしていた。
左手に缶ビール、右手にハンバーガーを持った自分の背後からどこからともなく降りてきて、
足を使ってハンバーガーだけを足でつかみ去っていく様子に、ハンバーガーは残念だけど、
どこか、エサにありつけたトビを応援しながら見送っている自分がいたりした。
子供の頃には親の実家では食すためにニワトリをしめる作業を見せられ、手伝わされて、
食べることのありがたさをそのニワトリから学び、感謝しながらいただいたこともある。
それがとても印象的で、今でも大好物の焼き鳥を食べるときには特に感謝している自分がいる。
街の鳥、山の鳥、串刺しされた鳥、全てが好きな自分が可笑しく思うけれど、
子供の頃からの鳥好きが今でも変わることなく、食については肉食の中心には鳥があって、
血が足りないと感じる時には鳥のレバーだけを買って食べることも多々ある。
そのタレが名物「美味だれ」と命名して売り出しているほどに焼き鳥屋が多い地元でも、
長く暮らした鎌倉でも、もちろん今いる東京でも焼き鳥屋ばかり行っていたし、
どれだけ鳥が好きなんたと自分に突っ込みを入れたくなるほどの鳥好きに改めて気づいた。
まだまだ、これから先も面白いモノが発掘出来そうな実家の片付がこの夏からはじまる。
大変だけれど、楽しみにしている自分がいて、忘れていた自分に再会出来るかもしれない、
そんな淡い期待も持ちながら、いろいろなことに向かっている今の自分。
でも、きっと、ことりのおかあさんやピーちゃんの死に直面して体感したその後、
5年生の時の友だちの事故死もあって、子供ながらに死生観かあったことに間違いなく、
こんな自分になったきっかけを知った夏のはじまりになった。
ちなみに、同じく一の一のふじさわようこさんはこんなことを書いていた。
でんわりょうがたかいから、あゆみちゃんとこまで、てがみをかきました。
「なつやすみにきてちょうだい。さようなら。」あゆみちゃんはごさいです。
何だかとても思慮深い、全く記憶に残っていない同級生にも会えた、ような気がした。
令和八年 50年前の自分に再会した夏のはじまりに。
栗岩稔
