2026/05/12 10:00


酒場に出入りするようになったのは、いつからだろうと考えている。
はじまりはすべて地元のごく限られた地域のとても狭い範囲だけれど、
何となくふと、それぞれを思い出しながら書き出してみた。
40年近く前で過ぎた日のことだから、時効、ということでご勘弁いだきたく‥。

はじまりは18歳で全国チェーンの居酒屋の美味しいと思っていた料理と特大生ビールから、
カウンタースナックでは初めて瓶ビールは小瓶と覚え、お通しのポテサラで、
大好物になり居酒屋に行くと必ず、になった酒のつまみの大定番を覚えた18歳。
シャーリーテンプルしか飲ませてもらえなかったバーで音楽と遊びを学んだ18歳。
当時流行りで田舎町にもあった、深夜営業のカフェバー、プールバーも18歳。
カウンターだけのやきとり屋で覚えた、旨いやきとりとウーロンハイも18歳。

上京してからは、すべてが二十歳の終わりからはじまった。
地元には絶対にない高架下の居酒屋、やきとり屋、洋食屋、
街中に普通にあるビヤホール、ビヤパブ、地階に降りるバーでは、
酒場の心地好いざわめきを知った、そこで覚えたスクリュードライバー。
個人的には酒場に入れたい、身の丈ちょい上のすし屋、天ぷら屋、「東京」のそは屋。
すべてが上京してすぐに、何か居場所を探すように酒場巡りをしていた20歳。

大学時代がなかった分、だいぶ早くからひとりで出入りしていたことに気付くし、
自分のカネで行ったところに限定してみても、わりとガンバッテいたことに
我ながら感心したりするけれど、もっと違う方面に使っていたら
もう少し違う人生だったんだろうかと考えてみたり‥、後悔はないけれど先に立たずで‥、
ということで、客観的にみてもだいぶ早くから出入りしていたことを改めて知った。

最近は特に、外で酒を飲むことが減ってきているから、若気の至りのあの頃が
懐かしくもあり、だけれど昨今の若者のなかでは飲む人が減ってきているようだから、
特に早いと感じるし変わりモノにすら思えたりするけれど、
学び多い日々だったことは間違いなく、つい先日もこの酒場で、
長年お世話になっている日本を代表する企業の男性が配属された新入社員を連れてきた。
案内してくれたことはいつものことながら、とてもうれしいし、
これもまた自分の役目だと思いながら、緊張した面持ちの彼らと話してみると、
酒は飲むけれど、バーはもちろん、こういうところは初めてだと話していた。

そんなものなのかな、と比べる対象にしてはいけないけれど、自分と比べてみると、
仕事以外の部分で、たくさんのことを学んできたと思っているし、
それが仕事に結び付くこともあったし、現に今は酒場のこちら側の人間として、
それを生業として生きているし、きっとこのまま最期までいくと思っている。
生き方や考え方が違うから何が良い悪いではないし、関係のないことだけれど、
自分には世間が広かったし、見識が増えたし興味の対象が広がったんだろうし、
学び直しのきっかけになって、学問だけでない勉強の場で酒場だったと思っている。

呑まない、飲みに行かないは否定しないし、人それぞれだと思っているけれど、
自分にとっては、よっぽどこの酒場という人生の学びの場のほうが楽しかったし、
だいぶ痛い目にもあったし、失敗もしたし、ケガもしたし、荒れていたときもあった。
けれど、自分にとってはずっと酒場があったことに改めて気がついた。
というのは特に休日に酒場に行くことがだいぶ少なくなり、ほぼ無いに等しい、
そんなことに改めて寂しさだったり諦めだったり、出かけられないもどかしさもあるから、
だけれど、まだもう少し何も考えずにふらふらすることは出来ないし、
これがもうしばらく続きそうだけれど、いつか、の日を楽しみにしながら、
今はこの酒場で仕事として、思う存分時間を費やしたいと思うし、
楽しみたいと思うし、これまでの酒場でのご縁や恩をこの酒場でお返ししたい、
そう思いながら、飲まずに酒と人と時間に向き合いながら生きていこうと思っている。

そんなことをボヤボヤ考えていたら、ふと思い出した老夫婦がいる。
かつては地上の同地で独立した店舗として営業していたであろう店が、
地階の飲食店街に押し込まれたような同じ間口で入り口から覗く店内は
カウンターだけの居酒屋で、そこは当時JR目黒駅周辺で会社勤めをしていた頃、
夜はプライベートな酒の時間がたくさんあった時代で権之助坂わふらふらしていた頃、
酒の場にも仕事を持ち込む先輩に連れていかれた、やきとり屋の隣にあった店で、
何だかとても気にかかったから、ひとり翌日に再訪したその店は、
とても質素で清潔で整った店内の壁にはきれいな字で手書きされた品書きが貼られ、
雰囲気も落ち着いていて、馴染みらしい初老の紳士がひとりカウンターで、
杯を進めながら老夫婦と話す様子がとても美しい景色でひとりで正解と思える店だった。
口数少なくと仕事をする大将と物静かに話すおかみさん二人で切り盛りする店の
奇をてらったモノではなく、旬のモノをシンプルに提供してくれる料理が美味しく、
ひとりの時はそこ、と会社の人間には内緒のひとつになり足繁く通った。

ある日、おかみさんが、田舎の漬物ですが、と小皿に出してくれた野沢菜漬けに、
心踊らせながら口に入れた途端に売り物ではない自家製のそのソウルフードに、
長野出身か否かを尋ねることなく、自分の出身を伝えたその味がとても美味しく、
懐かしくて少し切なくなるその味を求めて締めのご飯と野沢菜漬けが定番になった。
その後の混沌として激動の日々で会社が移転、自身も退職したある冬の夕暮れ、
無性に食べたくなった野沢菜漬けを求めて権之助坂を訪れ、その急いだ先には
まだ居酒屋の灯りが点いていて、ざわめきがある店の入り口を開けた先には、
知らぬ顔があり、似て非なる居酒屋になっていて、老夫婦はそこにいなかった。
多くを語ることなく、住まいも知らずだったけれど、田舎に引き上げたのかしら、
体調を崩したのかしら、とあれこれ思いを巡らせながらも若輩者には知る由もなく、
ただただ寂しさと同時に感謝と思い出の味を懐かしみながら、
キリンの小瓶2本と煮込みと売り物の野沢菜漬けをいただいて店を出た。
坂を上りながら、ただ酒が飲みたかった、のではなく、あの夫婦の側にいて、
懐かしい味に浸りながら、酒を飲んでいたかった自分がそこにいたことに気づいた。

あの時は有線放送で演歌が流れていたし、それがまた心に沁みたことや、
これまでのたくさんの酒場で記憶に残る音楽もたくさんあったことも思い出す。
ただ流れているBGMだったり、店主の意思があったりと色々だけれど、
もちろん、そこには上手ではないカラオケだったりも含めて思い出される音楽は、
40年も前、まだレーザーディスクカラオケが出始めで、8トラックと混在していた頃、
まだ1曲100円のカラオケスナックでは、テレサ・テン「つぐない」高橋真梨子「桃色吐息」
深夜なのにいつも黒いサングラスをかけていたおじさんが唄う、小林旭「熱き心に」
美しいピアノの先生が唄ったテレサ・テン「別れの予感」
カウンターだけのやきとり屋で、巨人戦しか流れないテレビの音に混ざる、
美空ひばり「悲しい酒」、新沼謙治「津軽恋女」、細川たかし「北酒場」
上京以来は行きつけになったガード下の居酒屋で聴いた、吉幾三「酒よ」
六本木で何気なく入ったカフェバーで聴いた、鈴木聖美「TAXI」に驚き、
渋谷のわいわいガヤガヤの居酒屋で流れていた、オリジナルラブ「接吻」
横浜伊勢佐木町のプールバーで思わず手を止めた、中村雅俊「恋人も濡れる街角」

などなど、もちろん自称ジャズおじさんのジャズはたたくさんあるけれど、
それはさておき、たくさんの酒と音楽と人に常に触れて暮らしてきたことに気付くし、
こんなにうれしい人生はないと思っているけれど、それが良いか悪いかの結末は、
死んだ時にわかるか否かで、最期までそれすら分からないけれど、今はそう思う。

こんな人生もまたよろしと思いながら、ざわめきが戻った町に人を感じなから、
今時に乗っかってダウンロードした完全オリジナル栗岩的昭和MIXを酒場で聴いている。
これに合う酒はやっぱりあれかなと色々思いをめぐらせながらひとり聴いている。
いずれまた、近いうちに地元の町をふらふらしながら酒を飲んで、
いろいろなことの答え合わせが出来たら良いかな、と思いながら聴いている。

まだまだ忙しなく、世の中もざわついているけれど、出来るだけ楽しみながら、
出来るだけ酒場のこっち側でたくさんのモノやコトを伝える続けることもまた役目、
それが託された使命だと、そう思っている自分が今はここにいる。

令和八年 昭和歌謡が聴きたい今日この頃
栗岩稔