2026/05/05 10:00


一年の1/3が終わった。
5月2日に迎えた八十八夜は立春から数えて88日で西暦で数えた120日が過ぎてほぼ1/3が終わった。
5月1日はメーデーで、150年近く前のアメリカ、シカゴの労働者が「8時間労働」を求めて
ストライキをしたことから由来しているこの日、ヨーロッパでは五月祭で休日もあるらしいけれど、
日本はメーデー、平日で最近はあまり見かけなくなったように感じている集会が、
以前は青空の下で開催されていて幾分休日感があったけれど、今は普通の日で今年は金曜日。
5月2日の朝の報道で改めてメーデーを思い出される、夏も近づく八十八夜で今年は土曜日だから
世間は休日で連休が延びているし、ついでに飛んで飛んで5月6日は5月3日の振替休日らしく、
合計5日間の連休になっているようだけれど、全く関係ない曜日通りの一週間で5月がはじまった。

5月3日はこのところの論争の中心にされてきた改正されるかもしれない日本国憲法の憲法記念日。
昨今特に今の憲法が役割を果たすような事案も発生しているから焦点がどうなるかが気にかかる。
次の5月4日はみどりの日で昭和生まれの人間には平日感が強いこの日がいつの間にか休日になった。
昭和の人間にとって、みどりの日は4月29日だけれど、平成に入って昭和の日になって、
5月4日が国民の休日として制定されたけれど、昭和天皇崩御に強烈な印象を持っている自分には、
寂しさのようなものを感じるけれど、みどり美しいこの季節には似合いなのかもしれない日で、
緑豊かなこの国で自然に親しみ、その恵みに感謝する心を育むことを目的として定められた。
農家はそろそろ田んぼに水が張られ、田植えの準備に入る頃だから良いのかなと思ってみたりする。

そしてそして、5月5日はこどもの日で古くから端午の節句で跡継ぎ重視の時代には男子の健康を願い、
成長を喜び、その母にも感謝する日でどちらかというと男の子の日で女の子は3月3日の桃の節句で
ひな祭りだったように思うけれど、昨今は男女問わずのこどもの日に感じるけれど、
都会の狭い空に鯉のぼりが泳ぎ、兜のお飾りが目につく日だから男子なんだろうけれど、
ひな祭りほどには男の子に寄せていないように感じるジェンダー重視の時代のこどもの日。
そして今年は振替休日の5月6日で民族大移動的な大型連休が終わりを迎えるこの期間の報道では、
国のお偉方が外遊に出たと伝えているようで、そりゃ外国にとっては平日だし日本は結構な休みで、
動きが止まっているから海外でお仕事をされるんだろうけれど、まあ政治家の皆様も休みは必要たから、
外交名目でお出かけすることは否定しないけれど まあそんなものかな、と思ってみたりもする。

そんな世界各地、この国も含めて、戦争、侵攻、国際規範無視の攻撃が絶えず、それに伴って
株価乱高下、物価高、物資不足になったり、何だか国民無視の目的の違う諍いが頻繁しているなかで、
一般庶民が振り回され、巻き込まれ、犠牲になっているし、そんな人間社会に警告するかのように、
大地震、山火事、優しくない雨風に襲われているし、これからますますの備えを喚起する巨大地震の発生についても報じられる反面、猛威を震った山火事を
鎮めた優しい雨が震災に襲われ続ける地域を救ったりと、何だかとてもザワザワして、
胸騒ぎばかりの世の中が続き、これから更に混迷を極めるようになっていく気配が伝わるけれど、
時は自然に流れ、季節は移ろい、人類唯一平等の時間は刻々と刻まれて120日が過ぎた。

個人的なところでは、社会に出て以来大型連休がゴールデンだった記憶はほとんど、全くなく、
いつも働いていたり、走り回っていたように思うし、そもそも社会人生活40年近くの間に、
週休2日、有休代休、賞与を受けとったことがないし、そもそも連休は忙しい期間だったし、
これはこれでわが人生だと思っているけれど、子供のころはどこか遊びに連れていってもらったし、
楽しかったんだろうと思うし、中学高校は部活に励んでいたから、それはそれで楽しかったし、
その後の社会人生活もそれはそれで楽しんでいたように思うから、連休を羨むようなことは全くない。

それにしても今時は、国内外の旅行が当たり前だけれど、以前からこうだったかなと思ってもいる。
空も海も陸も交通の便が整ったから行きやすくなったし、観光立国を目指すニッポンにしてみたら、
それはそれで良いことなんだろうと思うけれど、この世の中の情勢に反して、金銭的にも時間的にも
生活に余裕がある人たちが出かけるんだろうなと思いながらも更なる格差社会を感じてもいる。
国が定めたみどりの日のように自然を愛でるようなゆっくりした旅も良かろうにとも思う。
地方の田舎町出の自分にとっては都心の旅行については知らなかったからこれが普通なんだろうな、
とかボヤボヤと考えながら、言われた通りのみどり美しい季節を今は大都会で楽しんでいる。
陽射しの角度が変わり、日傘が増えた木挽町通りを越えて射し込む陽射しの角度が変わってきた。
緑色の風や光や青い影や碧い空に移ろいを感じる緑美しい季節になったと思う。

開店前の準備を終えて、珈琲を楽しみながら気持ちを高める時間のいつものラジオから、
旅のカタチが変わってきて、スマホに導かれる旅から
「リトリート」「デジタルデトックス」の旅、
スマホから投げつけられ与えられた情報ではなく、読書や映画の時間や街を離れて自然に身を置いて、
デジタルなものに頼らない旅になってきて 自身を癒すモノが増えてきたことを伝えている。
そりゃ当然だと、こんなに街や人が疲弊している日常にいたら心身ともに疲れるだろうし、
それから逃れたり、癒したり、自分を見つめ直したりすることが増えてくるのは当然だと思うし、
メンテナンスして欲しいし、どんどん増えていったら良いし、本来の時の流れや自然の恵みを感じて、
時間や経費の効率を度外視せた旅や生活があっても良いと思うし、時間や効率に追い込まれて、
AIに支配されてきた世界から少しだけでも離れる時間で本来の自分に再会して欲しいと思う。
けれど、この世の中に生きていかなければいけないのは仕方ないのだから、ほんの少しだけでも
そう出来ることがあれば良いと思いながらも、自分はデジタル抜きで人に対する仕事で、
死ぬまでこの生活を続けていくつもりでいるし、それを望んでいるし、そのために生きている。

つい先日もカウンター越しに「AIとか使いますか」の質問に「目の前の人間に真正面から向き合って
仕事をしているから一切使わないし使う気もないし、自分の感性や感覚を信じたい」と答えた。
もちろん、検索したりでは使っているのだからAIの世の中にいることは知っているけれど、
その程度でそれ以上でもそれ以下でもないと思うし、それが今の時代だし、それで良いと思っている。
最近は平坦な道でも爪先を蹴躓きながら歩くことも増えてきて、衰えてきたからなおのこと、
そうでありたいと思うし、あちこちに不具合が出てきた今だからこそ、自分の感性を信じたいし、
出来るだけ退化しないように生きていけたら良いと思うし、きっとそういう人生なんだと思う。

毎日の天気をベランダに出て確認することが朝の日課にしているある朝、
いつものように狭い部屋を歩いていたはずが強かに小指だけをテーブルの足に打ち付けた、
言葉にならない痛みにうずくまりながら、イライラせずに苦笑出来ている自分がいて、
足を引きずりながらベランダに出て眺めた、とても青くて美しい空がとても嬉しく思えたし、
久しぶりに笑っている自分にも気付いたし、忙しない4月がようやく終わって少しだけ安心していた。

令和八年 夏が足早に近づく八十八夜を過ぎて
栗岩稔
追伸、多くの人が経験するあの小指、何故小指だけが‥、と思う今日この頃です、はい。