2026/04/21 10:00

バラクータG4をたぶん約40年ぶりに着た。
ほとんど記憶に残っていなかったそれが父親の荷物の片付けの際に、
子供服中心の洋服問屋に勤めていたから当然、衣類はたくさんあって、
百貨店に出入りしていたから特にスーツ、シャツ、タイが多く、
今の自分が同じ道を歩みたくなかったはずが、だいぶ父親からの影響で
洋服屋になっていたことを改めて気付かされた服の山の中から出てきた。
もう外出どころか歩くことすらままならない父にとっては不要なモノになった、
そのなかから、まだ着る意思があるかのようにハンガーにかけてある、
シャツやジャケットの重ねがけの下からそのバラクータG4が出てきた。
かすかな記憶を辿ってみても、いつ買ったのかは記憶にないけれど、
ボロ・ラルフローレン勤務になって異動で上京する時にもう着ることはない、
同ブランド以外は着ることがないだろうということと、
あまりお気に入りではなかったから父親に着るように譲って、
置いていったものだろうと思うけれど、それすら覚えていない。
ただ、服に興味をもち始めた頃に流行っていたスイングトップジャケットG9と、
ジェームス・ディーン好きだったこともあって欲しくなって、
当時でも決して安くなかったそれをがんばって買ったんだろうと思う。
けれど、今ある服全てを手に入れた経緯を覚えている割には、
それは記憶にないから、定かではないけれど、きっとそうだと思う。
ただそれが、袖口がリブタイプのG9ではなく、カフスタイプのG4だということは、
きっと購入する際にG9の在庫がなく、人気がなかったG4は在庫があって、
色もジェームス・ディーンと同じ赤ではなく、グリーン系アースカラーということにも、
中途半端な思い入れなのに、欲しいモノは欲しいという衝動と、
流されやすく、確固たる想いもなく無難なモノを選ぶ自分を示している。
だからきっと愛着が沸くこともなく、もう着ないと判断して、
父親に譲るというより置き去りにして、記憶に残ることもなかったんだろうと思う。、
けれど、結果的に今はG4タイプのほうが汎用性があるし、
今の自分のスタイルにちょうど良いから、随分勝手だけど、気に入っている。
大事にしまいこんでいたのか、忘れていたのかを今は知る由もないけれど、
少しは着た様子が見られたものの、40年近く経っても傷みもなく着られる状態で、
サイズバランスは今時ではないけれど、久しぶりに袖を通してみたら、
かえって初めて着たような新鮮な気持ちで着られることが嬉しかった。
袖を通しながら当時好きだったアメリカやアメカジと呼ばれる前の
アメリカン・カジュアルスタイルがお気に入りだったあの頃を思い出したし、
ジェームス・ディーンが好きだったことを懐かしく思い出したり、
好き過ぎて、赤のスイングトップとデニムにスニーカースタイルに憧れながら、
肥満に近い体型だった当時の自分には到底似合うはずもなく諦めたことや、
高校最後の文化祭の演し物でひとり教室に暗幕を張って映写機を持ち込んで、
どこかで借りてきた映画「理由なき反抗」をひたすら流し続けたことを、
いつぞやに書いた尾崎豊に感化されていた頃の自分を恥ずかしく思い出した。
ジェームス・ディーン熱がすっかり覚めて、社会人になった頃には、
アメリカン・トラッドスタイルになり、地元を離れて忘却の彼方にいったG4、
これに再会した今、大切にこの先もずっと着続けていこうと思っている。
最近頻繁に行くようになっているから特に、あの家にいた20才までのことを思い出す。
しかも時間が止まったかのように、そこにそのままにあるからなおのこと思い出させる。
大好きだった野球マンガ「ドカベン」は1巻から明訓高校時代までの48巻、
「ドラえもん」はボロボロでチラシでカバーまでしてある1巻から23巻まで、
当時読み耽った夏目漱石「こころ」「それから」もボボロボロのままあって、
両親が暮らした65年のうちの20年はそこに自分がいたということを実感している。
そんなことをとても冷静に客観的に、母親がいない父親ひとりの居間に、
当時は威厳に満ちた父が今は息子の手を借りなければ立ち上がることも出来ず、
きっちり四角四面だったはずが右も左もわからず、勤勉で表彰までされた人物が、
今となっては曜日感覚すら失い、ただただ自分専用のソファーに座り込んだままで、
きっとこの人はこの家と一緒に生きて死んでいくんだろうなと思いながら、
自分はいったいどういう最期を迎えるだろうかと客観的に見ている自分がいるし、
それが悲しさとか淋しさということよりもありがとうございましたと言える自分がいる。
散々迷惑と心配をかけてきた父親を前に、もちろん申し訳ないことをした、
当然そう思っているけれど、95年の人生にご苦労様でした、そう思っている。
今はただ、そこにいることしか出来ない実家にあと何回行くんだろうかと、
そんなことを毎回考えながら、帰りの新幹線で超高速で地元を後にしている。
そのバラクータG4を見つけて持ち帰った日にはあの家の歴史の一部分を
持ち帰るような気持ちで帰ったし、何だか少し嬉しくなったし、帰宅してすぐに洗濯して整えて、まだ着るには早い季節から、
着られるちょうど良い季節になった今、袖を通して初めて外に出て、
街を歩いた時には特に、微妙にずれるサイズバランスや丈が短かったりするけれど、
全く気にすることなく、この先もずっと着るだろうし、
このままいったら50年モノになれるんだろうと思うと嬉しくなったし、
自分から父親そしてまた自分へと流れて今ここに残った記憶の一部を
最期まで自らの手で処分するようになるまで着倒したいと思っている。
そんなものに出会えたことが嬉しいG4にお似合いの季節になった。
街中ではアイスコーヒーを手に歩く人たちをたくさん見かけるような季候の今、
若い頃は自分も冷たいものを飲んだけれど、今はすっかりホットコーヒーになった。
今は温かいもののほうが嬉しいし、身体への優しさも感じるようになった。
(もちろん、冷え冷えのビールは大好物です、はい)
特にコーヒーはホットが好きたし、初めてのアルバイトがコーヒー専門店で、
あの頃からコーヒーが大好きでコーヒーはやっぱりホットでしょ、
と意気がっていたあの頃を思い出させるように、たくさんのマグカップやコーヒーカップが、
誰がこんなに使うんだっていうくらいたくさん、実家の片付けから出てきた。
バイト先の周年記念のマグカップ、いつ行ったのか全く覚えていない、
野沢温泉村のお土産の動物キャラクターがプリントされたマグカップ、
実家はインスタントだけだったから、たぶんネスカフェのノベルティだった、
斜めストライプの洒落たデザインの陶器製のコーヒーカップ、
初めて焼き物に興味を持つきっかけになった松代焼のブルーのコーヒーカップ。
どれもこれも、あの頃に行った先で手に入れたり出会ったものばかりで、
大切にしまってあったから、きっと大事にしていたんだろうと思うし、
何だか懐かしくなって、これらも自宅に持ち帰り、自分のためのコーヒーに使っている。
なかでも一番のお気に入りは松代焼のそれで、毎朝必ず飲んでいる、
何も考えないコーヒータイムに欠かせないものになっている。
やっぱり自分は磁器よりも陶器だな、とか改めて思うし、
安く大量に作り100円ショップで売られているものよりも、
誰かが誰かのために作ったモノのほうが格段に好きだし愛用しているし、
割れない限りは自分とともに年月を重ねて、G4のように50年モノになる、
そう思えるし、タイムマシンのようにあの頃を思い出させてくれた。
ただ、そう喜んでばかりもいられない物事が山積みだけれど、
ほんのひとときだけでも楽しめるモノに再会出来たことが嬉しい。
まだ実家にいた頃は、携帯電話もなく、電話をする相手もいなかったから、
家にいることに息がつまり、車を出してお気に入りの喫茶店巡りをしていた。
そこにいるかもしれない知った顔や、話しが出来る人が会えるかもしれないと、
車を走らせた軽井沢町の六本辻の木立のなかのオールドビーンズを
ネルドリップで淹れる暖炉のある喫茶店、駅前ロータリー脇では、
店内で薪ストーブに常に火が入っている特製のパズルが並ぶ喫茶店、
隣の御代田町では森のなかのログハウスでたくさんの本に囲まれる喫茶店、
塩田町では田んぼのなかの石造りの一軒家で暖炉が素敵な喫茶店、
上田市内では、城に向かう坂道の途中の喫茶店、繁華街のカウンターだけの喫茶店、
歓楽街の脇にある大きくて重い木製の回転扉の喫茶店、
急な坂道の途中の都会的な雰囲気で音楽を教わったレノンという名の喫茶店、
そして、バイト先の喫茶店では酒、女、遊びを学び、早朝野球も共にした。
あの頃のモヤモヤした自分が今こうしていられるのはそれぞれの喫茶店に
流れていた時間や出会った人たちにだいぶ影響をうけたそれが今のルーツだと、
そんなことを思い出し、知ることが出来たこの春の今いる銀座の酒場で、
銀座の喫茶店の話しに花が咲いた、けれどほとんどが今はもうない。
令和八年 40年も前の記憶に再会する春に
栗岩稔
