2026/04/14 10:00

2025年に日本で公開された「ドライブ・イン・マンハッタン」を観た。
活躍していた劇作家が書いた舞台脚本を自らが監督として制作したこの作品は、
W主演として、ダコタ・ジョンソンとショーン・ペンのほぼ二人芝居となっていて、
夜のタクシー車内での会話ではじまり、100分間の会話だけで描き出されていて、
ショーン・ペンが演じるタクシードライバーと故郷オクラホマから戻った、
マンハッタンに暮らすプログラマーのダコタ・ジョンソンという役柄。
その始まりは、JFk空港を出たタクシー乗り場で唯一、別の登場人物となる
タクシー配車係に行き先を告げ、ショーン・ペンのイエローキャブに乗り込み、
定額料金となって久しいタクシーチケットを受け取った彼が車を出しマンハッタンに向かう。
その車内では、始めは会話もなく今時らしくスマホを取り出し、
2週間待たせた彼氏との連絡をはじめるものの、微妙な関係の彼とのやり取りにふと、
手を止めて窓の外を眺めた彼女に、20年のキャリアのドライバーが育んだ会話術で、
2人の距離感を縮めていき、その洞察力で彼女がニューヨーカーであることを、
行き先の伝え方やニューヨーク観光案内の電子掲示板を慣れた仕草で消したことから見抜き、
それに対する彼女の返しは、あと1年でニューヨーカーだと、
故郷を離れて久しいことを告げ、そのままウィットに富んだ会話が続く。
プログラマーであることやオクラホマからの帰りであること、ひいてはその生い立ちまで、
更にもっと、赤裸々な私生活まで会話がつながり広がっていき、その心を開いていく。
都会の暮らしや愛とは何かといった現代の生き様を静かに奥深く描いた作品だと思うし、
とにかく、その表情や視線、声質での名演技に惹き付けられたし、
彼女が話した0と1の話しに、オンとオフのスイッチだと言い換えて、
デジタル社会のなかでの生き様に置き換えて伝えるような名言がちりばめられた作品だし、
20年というキャリアをタクシーという限られた空間から感じる世界の流れを見続けている彼が
キャッシュレス決済が普通になっている今に淋しさだったり、殺伐とした世相を話したり、
その観察力や乗客から見えてくる世の中を肌で感じとっている静かな演技がとてもよかった。
その初見からはじまる探りあいのコミュニケーションから個人的な話や悩みまでも
話し尽くしてしまう彼の会話術に学びが多かったし、この仕事にも通じて共感出来た。
そして、何よりも30年も前に初めて訪れたニューヨーク・マンハッタンまでの
イエローキャブ車内の空気感、知らない街へ知らない異国の運転手との緊張感、
まさに映画のような車窓の景色への感動と憧れからくる期待感を思い起こす良い時間で、
そうして最後まで、じんわりとゆっくり染み込んでくる2人の様子が最後まで続く良い映画だった。
ところで、邦題の「ドライブ・イン・マンハッタン」よりも原題「daddio」は
スペイン語を学んでいる彼女の生い立ちと現在の彼氏の関係からのこの題名のほうが良いのかな、
そんなことを思いながら、とにかく20年というキャリアが作り出す人間力を感じられたし、
自身のこの仕事での新人時代、もうはるか30年近く前のコミュニケーションが取れなかった頃や、
初めて酒場を預かることになった25年前の自分を思い出し、こんな自分でも20年以上のキャリアで
それなりにはなるんだと、しみじみ懐かしく思い返してみてもいる。
自分に満足することは決してないけれど、今この酒場に25年分のお客様が訪ねて、
酒を飲みに話しをしにきてくれる、そこにひとつの答えがあるのだろうと思う。
先日、原点回帰、初心忘るべからずと久しぶりに訪れた鎌倉の海を見ながら、
当時を知る人たちから「丸くなった」と言われるようになった自分が今いることを再認識したし、
まだまだ、この先も何かしらお役に立てるのかもしれないと感じられた日になった。
今はここ銀座でもう少し生きていけるのだろうな、と漠然と思ってもみたりしている。
この銀座に来たのはショーン・ペンのドライバーと同じ20年前、鎌倉から銀座のど真ん中にきて
オーダークロージングサロンを始めたあの頃は勢いに押されるように、波に巻かれながら、
あっという間に流れ流されたような当時の仲間にも言われる「丸くなった」に、
当時はどれだけ強く周りの人に対して接していたんだろうと猛省するけれど、
社員を40人近く抱えてそうならざるを得なかったあの頃を懐かしく、ほろ苦く思い出している。
今もまだ銀座にいられるんだと思いながら歩く街中には新しい制服や服に身を包んだ人を見かける。
元スーツ屋として以前は気になって仕方がなかった服の着方や服そのもの、
新人を連れ立っているセンパイに対しても、仕草や歩き方や靴までもが、
心のなかで舌打ちするほどに気にかかってしょうがなかったけれど、
今はそんな風に見ることもなくなった自分に気づき、我ながら「丸くなった」と感じている。
そういう自分もスーツよりもジャケットとパンツ、革靴よりもスニーカーと、
自分の年齢と身体に対する労りからたいぶカジュアルにユルくなっている。
寛容になったとか包容力が高まったとは言えないけれど、時代の流れと自分の変化を受け止めながら、
今はこの街に暮らしている、いられることが何だか面白いし、ありがたい。
ショーン・ペンがキャッシュレス決済の世の中な嘆きながらも素直に受け入れていたように、
自分も時代の流れに上手に、でないけれど何とか乗っていられることもまたおかしい。
もうたぶん、行くことはないだろうけれど、おかげさまで20代の頃には何度もたくさん、
行かせてもらったニューヨーク・マンハッタンはひとりで、とにかく大変だったけれど、
それでも、楽しく刺激的な体験ばかりで少しでもあの街を知ることが出来たということに、
改めて感じているしながら観終えた、この春知った「ドライブ・イン・マンハッタン」だった。
けれどやっぱり、死ぬまでにはもう一度行きたいかもと思いながら過ごした翌日、
同じ時間枠で1980年の映画「グロリア」が組まれていることを知って当然観た。
40年以上も制作年が違うから画面も画質も違うのは当たり前で、
70年代の荒廃したニューヨークを舞台にした物語のなかにも時代の変化を感じながら、
マフィアとの孤独な戦いという全く趣向の異なる作品も面白く観られた。
たったなのか、もうなのかの40年間で街も人も何もかもが変わる、諸行無常だと思えた。
それにしても、ニューヨーク、ニューヨークとフランク・シナトラのように見せつけられると、
行けってこと?と勝手に思ってみた春の日に、いずれにしても今自分は、
銀座という街で酒場という限られた空間で訪ねてくれる人々とのコミュニケーションを
今でも試行錯誤しながら、答えはそこにはないけれど、その人それぞれの正解を探しながら、
刹那的にそれぞれの時間を過ごし、この先もずっと、それぞれ心地良い時間になるように、
ただ何が正解かどうかは、こちらではなく相手方か決めることだから、
上手く出来ているかどうかはわからないけれど、30年も前にセンパイから注意されたことや、
20年前に多大なプレッシャーを抱えながらも「緊張感のある自然体」と決めたあの頃を思い返し、
今の自分と照らし合わせて、見つめ直して、今の自分にあわせて進化、精進すれば良いのかな、
そんな風に思える、少し苦手で少し恥ずかしいソメイヨシノを終えた今もこの街の、
この酒場にいて、訪れるその時間を待ちながら、すべてのことに改めて感謝出来たこの春。
令和八年 マンハッタンのサクラを思い出したニッポンの春に
栗岩稔
