2026/03/31 10:00

新しい生活が様々なところで始まっていく切り替えのニッポンの年度末に
渋谷の西武百貨店、通称渋谷西武が今年の9月末で閉店することを伝えていた。
理由は再開発を推進している地権者との条件などの話し合いの末の判断とのこと。
自分にとっての新しい生活のはじまりは6月1日だったけれど35年も前の早朝7時に
人生初の渋谷ハチ公前スクランブル交差点でこれから仕事がはじまる渋谷西武を
反対側から呆然と眺めながらあまりの人の多さとまさにスクランブルな感じに
足止めされていた時が新しい生活のはじまりの地で渋谷で、渋谷西武だった。
当時はまだ地元にあった西武百貨店のポロ・ラルフローレンから渋谷西武に異動。
それが上京の理由で、東京に来るなんて想定していなかった自分にとっては
シブヤが新しい生活の中心で、働き、遊び、酒を飲んでと暮らした街で
その街の中心にあったのが渋谷西武、愛称渋西と言っていた、
その場所がなくなると聞いた今はすっかり足が遠退いたシブヤを思い返してみた。
立ちすくんだハチ公前交差点からはじまる私のシブヤ備忘録のはじまりはじまり。
たくさんの人で溢れる道玄坂、文化村通り、通勤路だった渋谷センター街。
内緒の待ち合わせには左にぐるりと回ってモヤイ像から渡って東急プラザ前。
少しの贅沢の晩酌のつまみと夕食の惣菜選びを楽しんだ東横のれん街。
渋谷駅下「シブ地下」の煙草屋で買ったジッポオイルライター。
居酒屋「かに谷」の昼のひと腹まるごとのたらこの半焼き定食。
憧れだけで通ってインテリアを楽しんだマルイ・インザルーム。
散歩をしたり、息抜きしたり、飲んだくれてベンチで朝を迎えた代々木公園。
上から下から行ったり来たりの休日のお楽しみだった東急ハンズ。
スペイン坂の階段を上がったパスタ専門店「ホームズパスタ」
ロフトの文房具、ウェーブの最新音楽、渋谷バルコのカルチャー。
大将が絶対に教えてくれなかった「小鳥」焼きを出す井の頭線ガード下のやきとり屋。
同じガード下の老舗洋食屋の何度も真似をしも出来なかったフレンチサラダ。
文化村通りに入ってすぐの怪しいビルの最上階にあったプールバー。
その反対側で朝まで営業していた居酒屋「ぼんぽこ山」で迎えた朝。
彷徨い歩いたセンター街で何を頼んで良いかわからずの「とりあえずビール」に
叱ったバー門(ちなみに後年には生ビールのタップが並んだ)の黄色い看板。
たくさん通った台湾料理「麗郷」の腸詰めと台湾ビール。
1杯目で2杯頼んだ、とにかく旨いキリンシティのビールとジャーマンポテトの夕食。
東急百貨店の向かいのビルの最上階で黒いベストにネクタイをしたマスターが
丁寧にやさしく淹れる美味しい珈琲とJ.S.バッハを学んだ「セピアの庭で」
同じく地階のジャズ喫茶「デュエット」のフォアローゼスの溢れそうなオンザロックと
バタビーではなくソルトピーナッツ山盛り、時にはスパゲッティ赤か白。
酔っぱらいながら走り込んだ終電ギリギリの井の頭線の改札。
拾い集めた本をベニヤ板に並べて100円で売る駅前の「本屋」
そしてそして、渋谷西武地階のポロ・ラルフローレンショップ。
渋谷西武A館、B館の美しい店内と裏側の雑多さと美しいお姉様方。
たぶん今は、ほとんどがないけれど、あると知ったのはバー門と台湾料理麗郷。
それぞれの通りはもちろんあるけれど景色は全く変わり、井の頭線ガード下もない。
そもそも駅のカタチや乗り入れしているメトロや私鉄のホームも変わった。
その後、池袋西武(こちらも愛称池西)に異動になってからは訪れることも少なくなり、
通勤経路も変わり、当時暮らした吉祥寺や乗り換えの新宿が中心になった。
シブヤは井の頭線利用の時の乗り換え通過駅になり、用事がない限りは行かず、
転職してからは営業先の地域のひとつとして重要だったから行くことはあっても、
遊ぶことはまずなくなり、関東全域に仕事先が広がったおかげで、
全く別の街にいろいろな新たな発見が増えて楽しむ場所も広がった。
そうして、担当地域を仲間に引き継ぎ、業務内容も変わり、すっかり遠退いた。
あの街で出会えた、フクダさん、イノウエくん、アライちゃん、
ヨモギタさん、ヨシミさん、クリハラさん、「セピアの庭で」のマスター、
巨人が負けると不機嫌でファンだったことを知った「デュエット」のマスター、
何も言わずにたらこをこっそり半焼きにしてくれた「かに谷」のおばさん、
門のマスターも、きっといない。自分もいないし行くことすらなくなった。
最近では2年前だったけれど、あまりの人の多さに目眩がしてきて、
すぐに引き返して銀座に戻り、こちらも懐かしの高架下のドイツビヤホールで
ビールとソーセージを楽しんだあの時以来行っていない。
すっかり変わったシブヤの街で渋西が終わる、これは諸行無常だな、と。
こういう知らせを耳にすると、すぐに帰るか逃げ出すだろうと思っていた東京に
長く居すぎたのかなと思うことがあるけれど、今さら地元に帰ったところで、
何があるわけでもなく、実家があるから住まいの心配はないけれど、
何があるのかはわからないし、暮らしていけるかどうかもわからない。
悲観しているわけではないけれど、自分の居場所だったり居た場所だったり、
今いる銀座だったり、たくさんの何かがあるのだから今さら、
何十年も経ったところでしょうがないとも思っているし、すでに余所者だとも思う。
ざっくりと吉祥寺に5年、鎌倉10年、中央区に20年住んで暮らしてきた。
今はここ銀座に20年以上働き、この街で生きてきなかでようやく、
この街の大きな力強い何かに馴染んできたようにも感じているし、
居心地すらよくなってきて、だいぶ興味深く街に暮らし好きになった。
この20年間を見てきただけでも、拡大増幅し続けているこの街では、
何か象徴的なモノがなくなるということはまずないと思っている。
かえって再開発やら何やらで拡大し続けている銀座という名の下で、
その地域が、ここって銀座?というところまで広かっているようにも思う。
銀座、GINZAの名を冠したモノがあって、人が集まっていることを見かける。
そうして皆が生きているのだと思うけれど、その影では長年親しまれてきた店、
菓子パン、惣菜パンの店、昼の魚定食の名店、鳥専門のやきとり屋、
老夫婦が長らく営んでいたサイフォンコーヒーが旨かった喫茶店、
椅子が4つの人通りに面た家族経営のコーヒースタンドの濃いコーヒーと厚切りトースト、
他にも個人店や地域の店がなくなり、気づいたら更地になっていたり、
何もそこにはありませんでしたと、きれいな高級マンションになっていたりと。
それを非難したり否定したりは全くなく、これもまた時の流れで、
人の流れで営みで、これまた諸行無常ということを日々感じている。
だから自分も長く居すぎたかもと思ったりもしたけれど、
これもまた必然で居るんだろうなと思ってみたりもする。
先日、酒場のカウンターである人が語った。
「時間なんて、ひとつの定規みたいたもので、人それぞれに時間の尺があるんだから、
ひと言で還暦でとか言わずに自然の流れに任せたほうが良いし、そのほうが幸せだ」と。
確かに人類唯一の平等なモノだとわかっていながら、最近は捕らわれ過ぎていた、
そう気づかされたから、あくまでも目安として人生のひと回りの還暦を通過点として、
ここに暮らしてみてみようかと思っているし、この先も流れに任せて、
どの街に暮らして生きているのか、先のことなんか全くわからない時代だからこそ、
今の風のような流れを感じて生きていきたいと、渋西がなくなることで考えた。
これもまた、シブヤに初めて着いたあの日からの人と時間と時代の流れなのかなと。
ところで、あの頃の自分のシブヤの音楽もあわせて思い返していた。
大瀧詠一、オリジナルラブ、小田和正、鈴木雅之でした、はい。
ということでまた、これからもここで。
令和八年 今日もシブヤで5時♪と口ずさんでみた春に
栗岩稔
