2026/03/24 10:00

ミラノ・コルティナオリンピック、WBCが終わって春になり、
大相撲春場所が千秋楽を迎え、入れ替わるようにセンバツ高校野球が始まった。
オリンピックは深夜にNHKで楽しんだけれど、WBCは地上波ではなく、
Netflix独占放送だったから観ることもなく、報道で確認しただけだった。
実際に東京シリーズを観戦した人曰く「今まではリプレイ映像を待っていたけれど、
今回はすぐにその場で自分の手元で観たい、確認したい場面を見直せて、
ほぼリアルタイムで観ることが出来て楽しみ方が変わったし、
きっとこれからはこうなっていくんだと、時代の流れを感じた。」
確かにそうだと思うし、スポーツっぽく勝ち負けでいえば、
地上波各局は負けたんだろうと思うけれど、自分にとっては、
なかなかな画面を観る時間が取れない分、民放ラジオ局2社がリアルタイムで
完全生放送だったから、担当している実況と解説者との相性(好き嫌いもあり…)で、
聴き比べしながら、自分の好みで聴き分けながら存分に楽しんだ。
千秋楽を迎えて霧島関が優勝した春場所もやはりラジオで楽しんだし、
情景描写や取り組みの早さに負けない実況にも感心しながら聴いていた。
今まだ始まったばかりのセンバツは、午前中は画面を観ながら音声を消して、
ラジオの実況放送を聴き、観られない時間になるとラジオだけで楽しんでいる。
以前から高校野球はそうして楽しんでいたから、やはりラジオは良い、と思う。
そのラジオに興味を深めた、これまた大好きな映画作品にあった。
誰が出演していてどんな内容だったかは覚えていないけれど、
ローカルFM局を開説するために奮闘する若い男女の物語を描いた
「波の数だけ抱きしめて」というものがあったあの頃は上京したばかりで、
海辺の暮らしに憧れを持ちながら観た気がするけれど、
バブル経済崩壊前夜、みたいな頃のホイチョイ三部作のひとつだった、
そう記憶しているぐらいで、それ以上でもそれ以下でもなく、
同じ頃に公開された桑田佳祐監督、もちろん楽曲も担当した、
プロモーションビデオみたいな映画「稲村ジェーン」は割りとちゃんと観て、
サザンオールスターズの音楽が好きだったあの頃に追い討ちをかけるように、
鎌倉や茅ヶ崎に暮らしたい、という想いが強くなったことも覚えている。
その後ほどなくして、偶然とは言えないご縁から鎌倉に暮らすことになった。
今思えば、あの頃がだいぶ遅くに巡ってきた青春時代だったのかもしれない。
20代後半から30代はじめまで、苦しかったけれど、楽しかった暮らしだった。
なかでも、共に遊び、過ごしてくれた、サイトウくん、エミさん、ニシオカさん、
ケイくん、ミカさん、タカコさん、の面々を鎌倉のあの頃とともに
懐かしく思い出されながら全員がおじさん、おばさんになっただろうし、
でもまた、そんな面々に鎌倉で会ってみたいとふと思い出すこともある。
そんななかでも、別格はフジイさんで、学んだことはブルースとトム・ウエイツ、
そして、彼がいなければ鎌倉に10年もの長い期間を過ごしていられなかったと思う。
彼がいなければ海辺に暮らすことの楽しさや同じ流れ者としての有方みたいなもの、
そんなことも知るることなく、弾き出されるように鎌倉から去っていたと思う。
長崎から上京した2つ年上のフジイさんは、当時飼っていたマロという名の
バーニーズマウンテンドッグと共に暮らし、時には白のフォルクスワーゲン、
幌を下ろしたオーブンカーで葉山の海沿いのバーで酒を飲み、
彼が営んでいた稲村ヶ崎の海沿いの酒場では朝方まで酒を飲み語り明かした。
とても穏やかな語り口で声を荒げることのなく、笑顔が素敵な彼に助けられた。
先日、何十年かぶりに彼に会いたくなって春の鎌倉を訪れた。
長く暮らした町が懐かしく、けれど、どこかすっかり余所者になった、
そんな感じを覚えながら、長年暮らした由比ヶ浜の裏道を抜けて海岸で時間を潰した。
ほぼ毎日訪れていた海岸は時の流れを表すように砂浜の形が変わり、
いつも過ごしていたあの頃の夏には。潮焼けしたTシャツとサーフパンツで
夕暮れまで過ごし、晩酌のビールもそこで楽しみ、時にはそのまま寝入ったり、
寒い季節には、バタゴニアの重ね着したフリースの襟を立ててLevi's501の
擦りきれた膝を抱えながらワインをラッパ飲みをしたりした岸壁の突端、
砂に埋もれた岸壁を見ながら海辺の暮らしから離れて20年以上が過ぎたことを知った。
由比ヶ浜からの帰り道、ビーチバイクに乗ったおじさんから「栗ちゃん、じゃね?」
そう声をかけられたのは、ともに砂浜で過ごしたウメザキさんだった。
涙が出るほどにうれしく、ほぼ30年ぶりの再会にも関わらす、
声をかけてくれたこと、まだ「栗ちゃん」だったことが何より嬉しかった。
あの頃の短パンおじさんがジャズおじさんになり、ラジオおじさんになった。
ありがたいことにラジオ番組を持たせていただくご縁にも恵まれ、
鎌倉コミュニティFMでは土曜の午後に、ニューヨークに暮らす彼女と、
サーファーの設定で実際に知人女性と実際に電話を繋ぎ、
ニューヨークと鎌倉でクロストーク番組をやったりしていて、
まさに「波の数だけ~」な感じを終えて、東京に暮らした時には、
いただいた中央FMのご縁で平日深夜零時前の10分間の番組を、
ラジオエッセイとその日の曲で編成し、ひとりしゃべりで全80回を務め、
今ではインターネットラジオ局で不定期で世代間のトークのなかに
時代や生き様を語り合うカルチャートーク番組を持たせてもらっている。
本当に心から幸運な男だと、ひと言でいえば簡単だけれど、
本当に本当にありがたい人生だったと今改めて思っている。
ところで、再会出来たフジイさん、お互いに当然のように歳を取り、
彼は還暦を迎えた今は鎌倉裏駅の商店街で酒場を営んでいる。
変わらない笑顔の彼の作る酒はやっぱり旨かった、けれど、
だいぶ時間が流れたことを感じる時間にもなったし、長年暮らした町が、
やっぱり好きだと思えたけれど、また暮らすことが出来るかどうか、今はまだわからない、
帰る町なんだろうということをわかりながら、横須賀線で東京に帰った。
令和八年 今でも波の数だけラジオがある…
栗岩稔
