2026/03/17 10:00


校舎の影 芝生の上 吸い込まれる空 幻とリアルな気持感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り 何に従い従うべきか考えていた
ざわめく心 今俺にあるもの 意味なく思えて とまどっていた
放課後街ふらつき 俺達は風の中 孤独瞳に浮かべ 寂しく歩いた 
笑い声とため息の飽和した店で ビンボールのハイスコア競いあった
退屈な心 刺激さえあれば 何でも大げさにしゃべり続けた
行儀よくまじめなんて出来やしなかった 夜の校舎窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いのなかで 許しあい いったい何解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解っていたこと
この支配からの卒業(尾崎豊/卒業より)

2つ年上のアニキみたいな存在だった尾崎豊の突然の死の報道には驚き悲しみ、
けれど疑問に思ったり、妙にどこか腑に落ちたり、複座な心境で受けとめていた。
当時、周囲のセンパイ達からは「栗岩クンに似ているね」と言われたりして、
どこかで嬉しかったりもしていたあの頃はもうすでに東京に暮らしていて、
尾崎豊の楽曲から、子供がある日を境に突然アンパンマンから離れるように卒業していた。

その存在を知ったのは高校の同級生で、同じ部活で弓道部長と副部長という間柄の、
高田クン(もちろん彼が部長)でクラス内では地味な存在で多くを語らず物静かで、
けれど、どこか確固たる自分の立ち位置を決めていて、群れないスタンスだった。
そんな彼がフラフラした感じの自分に「栗岩さ、尾崎豊って、知ってる?」
そう言われたのがはじまりで、初めて聴いた時には彼がこの楽曲を聴いているんだ、
と少し驚きながら自分のほうがハマり、Jazzでしょ、などとカッコつけていた
高校時代の後半は全てがオザキになったし、自伝的な小説も読み耽った。

野球ばかりしていたけれど、成績重視の教師たちに対する不満ばかりで、
クラス担任とは特に生徒会でも対立していた中学時代を過ごしながらも、
県内でも有数の進学校に進んでしまった高校でもどこか疑問を感じながら、
悶々と日々をやり過ごしていた自分に突然飛び込んできたオザキが代弁していた。
「15の夜」「17歳の地図」だったり、どれもこれも少し年上のアニキの言葉が響いた。
TDKのカセットテープが伸びて擦りきれるまで何度も何度も聴いて、
その歌詞をノートに書き写したりしていたなかでも一番はやっぱり「卒業」だった。

そろそろ卒業式に向かうのか終えたのかの、ハレ着の人たちを見かける。
卒業式シーズンだからといって、自分の卒業式に何か淡い思い出があるかというと、
全くないし、そもそもの記憶がほとんどない小学校については、
45年間も前のことだから当然といえば当然だけれど、中学校も40年あまり前。
ただ、覚えているのは式を終えた皆が中学の校庭に集まる様子で、
言葉を交わしたり感動的な別れがあったわけでもなく、端っこで見ていた後、
さっさと校庭を出て、特に後ろを振り返るでもなく、誰かと一緒でもなく、
ひとりで急な坂道を下って帰宅して学生服を脱ぎ捨てたことだけは覚えている。

当時流行っていた学生服の第2ボタンなどは当然なく、野球部の面々との別れは、
もちろん寂しかったんだろうけれど、ラストゲームが残念な結果だった自分にとっては、
後悔しかなかったから挨拶もそこそこだったんだろうと思うけれど、
そんなことすら不確かで曖昧な記憶だから後になって自分で勝手に脚色して、
記憶として色付けしているのかもしれない中学の卒業式から3年後の高校時代、
オザキの時代からの卒業式は自らの意思でそうしていたように思うから、
その卒業式の日の行動、式を終えて正門前にに集まる同級生の間を抜けて、
立ち止まることなく、後輩からの花束を受けとることなく真っ直ぐに、
旧二の丸門の校門を抜けて真っ直ぐ真っ直ぐに、世話になった珈琲専門店に向かい、
マスターに挨拶を、深々と頭を下げてしたことをよく覚えている。
一杯の珈琲をご馳走になり、何かようやく終えることが出来た安堵感に包まれながら、
どことなく漠然と将来、社会に出ることへの不安に襲われた感覚も覚えている。
不確かなその先から逃げるように、焼き鳥屋「鳥友」で食べて飲んで、
同じビルのスナック「好美」でママに卒業報告をして大人の社会に迷い込んだ。
それが、自分にとっての卒業式だったから、なおのこと鮮明に覚えている。
式自体や式辞や送辞など言葉の数々は全く覚えていない、というか消した。

一般的な卒業式の記憶はないけれど、自分の行動は覚えているのだから、
それが自分にとって人生最後の卒業式ということになるのだろうと思う。
ただひとつ間違いないのは小中高全ての同級生には、それっきり会っていない。

そんな昭和の校内暴力や非行が社会問題になっていた時代に過ごした自分にとっては
オザキのすべてが同じように本人が歳を重ねていたから心に響いていたし、
あの頃はそういう時代だったんだろうと思うけれど、今の時代はそうではないらしい、
あの歌詞のなかにある感情や行動が全く意味が解らない、とラジオで語っていた。
規則を破ることで主張をしたり、言葉が見つからないから行動で示したり、
やり場のない不安や不満に対して憤りを感じたり、が理解出来ないらしい。
校舎の影で寝転んで時間を費やしたり、タバコを吸ったり、盗んだバイクで走ったり、
そんなことをすることが無駄、ぐらいに思うらしいけれど、そりゃそうだろうとも思う。
けれど、今はスマホやSNSで誰かとつながっていて、友だちがたくさんいる、
そう思い込んでいて、呟いたり吐き出したりする場があると思っているのだろうけれど、
それは実在なつながりかどうかということも実際にある、そう思うし、
リアルなのかどうか、バーチャルとリアルの曖昧な時代は深まっているように思う。

だから思い悩む子供たちは未だにいるし、かえって増えているようにも思う。
実際に未成年の自殺者の数が昨年が過去最高だったと報道が伝えていた。
そういう未成年者が居る場所や逃げ場がなくなっているから更に殻にに閉じ籠り、
思い詰めて死を選らんでしまうのではないのかな、とも思っている。
リアルな場として、そういう声を聞いたり受け止めたりする人や場があれば、
少しはよくなるのかな、せめて近しい人たちに話を聞いてもらえれば良いのに、
そう思うけれど、そういうことすら出来ないこともあるのかもしれない、
そんな不安ばかりの時代なのかもしれないし、この先もまだまだわからないし、
世界中の人々がほんの少しでも幸せを感じる時間があれば良いのに、と思う。

自分はきっと、どうすることも出来ないけれど、きっと聞くことは出来ると思う。
時代は違っても同じ土俵に上がっていたから出来るのだろうと思う。
けれど、全く行動に移していない情けない自分も実際にここにいる。

還暦を少し前にして何十年かぶりに「卒業」を聴いた。
何だか懐かしく切なく恥ずかしく、でも心に響いた。
たしかにオザキの時代だったあの頃を思い出した。

令和八年 斉藤由貴でも菊池桃子でもなく尾崎豊で
栗岩稔