2026/03/10 10:00


15年前のあすは何をしていましたか?私は自身の酒場を開いて1か月と少しが過ぎた頃で、
春を感じる風を酒場に取り込もうと扉を開放して15時の酒場のはじまりを待っていました。
そうしてすぐに、あの大きな揺れが続いたあと、この先どうなってしまうんだろう、
そういう不安に襲われながら、隣近所暮らす高齢者の安否を確認したりしていました。
開店時間を過ぎると馴染みのみなさんがポツリポツリと集い、帰ることの出来なくなった夜、
どうなっているのかわからず、とても不安な時間を酒場で過ごしてもらっていました。
少しでも不安を和らげてもらえればと思い、その夜は酒を飲んでも飲まなくてもとやかく言わず、
あっという間に買い占められた近所のコンビニで購入出来たわずかな食べ物で空腹を満たしながら、
交通機関が一部再開する深夜まで過ごしてもらい、誰もいなくなった酒場を終えて帰宅しました。
そこで初めて目にする映像や流れ続ける情報に、それが現実であることを目の当たりにして、
目をそらすことなく、向き合って情報を受け止めて見届けなければいけないと思っていました。
その夜はほとんど眠ることが出来ないままに、この先に大きな目に見えない不安を抱えなからも、
あすからもずっと酒場を開け続けることしか出来ないし、そうするべきと決心した夜でした。
非日常の日々を出来るだけ日常を心掛けて、喪に服したような暗く沈んだ不安な街で、
あかりを灯し続けることだけを意識して、節水節電を心掛けながら、誰も来ることがないかもしれず、
酒を飲んでる場合ではないかもしれないけれど、扉を開け続けて、酒場で待ち続けていました。

その後も毎年のように、自然界では地震、豪雨、洪水などの大災害がたくさん発生して、
人間界では、事件事故が一向に減る気配はなく起こり続け、戦争紛争が途絶えることなく、
日本国内では、何人もの首相がこの15年間に指揮をとり、長期政権だった首相が銃殺されるなど、
混沌とした世の中で、この先もそうであるとしか思えない日々のなか、今これを書いている時も
また大国が関与する戦争中東地域ではじまり、報復攻撃がすぐに広がり、世界中が大混乱となり、
これから先の一般庶民の生活、生命そのものがどうなっていくのか不安でしかありませんが、
ちっぽけなたったひとりの人間がどうのこうのしたところで良くなることなどではなく、
まずは自分の身の回りの生活、仕事、人生そのものをひとつひとつ丁寧に、
その時間と日々の積み重ねを大切に生きていくしかないのかなと思っています。

あの日から10年が過ぎた頃、開け続けたなかでも10年間で病欠2回もしてしまった酒場を
ちょうど世界中がパンデミックに包まれるなかで、その扉を閉め、酒場の時間を終えました。
けれど、ありがたいことに、その後すぐにとても大きな、大きすぎる役目をいただき、
銀座のど真ん中で銀座の顔だったビルの地下で酒を出すことが出来ない時期にも拘わらず
100日限定の儚くも美しい酒場を本気で作って、本気でやり終えました。
けれど、路地裏の小さな酒場も銀座の真ん中の儚き酒場も今は跡形もありません。
100日間を終えると、個の力で表現し体現することを目的としたオウンドメディアを立ち上げ、
人とその言葉や自身の言葉やモノを発信を続け、跡形もなくなった小さな酒場の写真集や、
自身でプロデュースしたクラフトジンを限定販売もしてきましたが、そのなかでも人に出会い、
新たなご縁や長きに渡るご縁に感謝しながら過ごしてきました。
そのいただいたご縁から新たな酒場の立ち上げや世界的に有名な酒場のカウンターを預かったり、
酒場でない場所で人が集うことを目的として、新たな試みの酒場を運営してもきました。
あっという間に過ぎた15年後の今は、そこに確かにあった小さな酒場のあった同じ路地裏で、
新しい役目として酒場を預かるようになってすでに2年半近くが過ぎようとしています。
本当にありがたいことで、最後の使命だと自身に誓い、日々今まで以上に精進していますが、
新しいことやモノがまだまだたくさん、学ぶことばかりで、やはり人生死ぬまで勉強であると、
実感しながらまた、これまでと同じように変わらない信念の酒場の扉を開け続けています。

それでも、15年も過ぎて50代後半になってくると体力も落ちてきますので、
今まで以上に自己管理を心掛けながら、日々感謝して精進しながら人とモノに向き合っています。
本当に心からありがたいと思える生活のなか、一日を終えると心地好い疲れのなかにも、
無事に終えることが出来た安心感のようなものにも包まれながら終わりを迎えています。
だから、締めのビールもとても美味しくいただいていますが、だいぶ酒量は減っていますし、
食べるものの量や内容もだいぶ変わり、油ものや肉類は、ほとんど摂らなくなっています。
そんなところにも年月の積み重ねを感じるのは当然で、間違いなく15年分は歳を取って、
還暦を目前に控えた今の自分をそんなところにも感じて見つめ直しています。

あの時に生まれた子供は高校生に、5才の子供がはたちに、10才の子供は社会人になりました。
20000人もの生命を奪ったあの日から15年間でたくさんの人がこの世を去り、
43歳だった自分は58歳を迎え、年月は勝手に流れていくけれど、
その一瞬、ひとときを大切に、どう生きていくのかが一番大切なことだと思います。
生きていたくても生きることが叶わなかった生命もたくさんあります。
生きているということはとても尊いことですが、とても大変なことだと心から思うし、
実感もしてきましたが、そんなことを自然にそう思える自分が今ここにいます。

みなさまにとってこの15年間はどうでしたか?
元気にしていましたか?していませんでしたか?
同じ場所にいますか?それとも違いますか?
同じ仕事をしていますか?それとも違いますか?
生活はどうですか?穏やかな生活が出来ていますか?
みなさま一緒に15年の歳を取りましが、ちゃんと生きていられていますか?
またいつか、いつでも良いのでご足労いただき恐縮ですが、お話を聞かせてください。
もうしばらくはこの酒場にいますので、ここでしたらみなさまにお会い出来るのかな、
そう思いながら日々暮らしていますが、そうは言っても私も歳を取りましたので、
そう遠くない先の間でお目にかかることが出来たら幸いかなと、叶わなくても、です。

津波に流された町はきれいに整備されて新しい町が出来ています。
そこに暮らす人々はたくさんのことを乗り越えてそこで生きていると思います。
計り知ることは出来ない喪失感に包まれながら生きている人もたくさんいると思います。
私にはどうすることも出来ませんが、15年前の3月11日は絶対に忘れてはいけないと思います。
放射能汚染で長い間暮らしてた家や町に住めなくなった人たちもたくさんいます。
自分が生まれ育った家や町に帰りたいけれど帰ることは出来ない、
帰ってはいけない、立ち入ることすら許されない、そういう現実を受け入れながら、
今も生きている人たちがたくさんいます。けれど、いくら想いを巡らせてみても、
その心情は到底理解など出来ません、けれどそういう人たちもどこかで少しでも幸せに、
暮らしていられれば良いなと思っていますし、そう願うしかありません。

いずれにしても、15年が過ぎた今この世の中はより一層変わってきているなかで、
これから先も生きていかなければいけませんね。この先ずっと長い間かもしれません。
けれど、前を向いて生きていかなければいけないのだと思っています。
私はこれまで生きてきたなかで、過去を振り返ったり、懐かしんだりはしませんが、
人間の歴史、実際に自分が見てきた物事を再認識して、それが教訓になったり戒めになったり、
そんなこんなで、もう少し見届けられるだけの間は生きていこうと思っています。

令和八年 81年前に焼き付くされた街で15年前のあすを想う
栗岩稔