2026/02/17 10:00

銀座三越新館屋上の公園。
テーブルセットがあり、花壇もあったりの寛ぎのスペースで、その周囲には、
テレビ中継では必ずと言っていいほどに銀座を映す場所を上から見下ろし、
地上を歩いているだけではあまり見ることのない、それぞれのビルの最上階、
大きな看板や屋上を眺めながら、またひと味違った銀座を感じることが出来るし、
平日はあまり人がいないこともあって、喧騒から逃れられて一息つける公園が、
以前から時間がある時にはそこに行ってしばらく本を読んだり考え事をしたり、
ボーッとしてボンヤリと座っていたりしながら、時を過ごすことが多々あった。
五年前の始まりもそこだった。
美術大学の学生二人とその場からはじめて話しながら歩いた。
銀座に居を構える資生堂と武蔵野美術大学の産学共同プロジェクトの一環で、
そのテーマを「銀座の人」として作品を発表するという課題のなかで、
幸いにして素晴らしいご縁をいただき、銀座の人の五人のなかの一人として選ばれ、
そうは言っても自分で良いのかどうかの半信半疑ながらも光栄なことと思い、
それぞれに自由なやり方で銀座を伝えるとのことから、自分にとっての銀座、
余所者として生きてきた二十年間で感じたことを包み隠さず感じるままに話した。
晴海通り、良い気の通り道を真っ直ぐに歩きながら、当時託されていた、
銀座の象徴で大きな使命を持って取り組んでいた場まで歩きながら、たくさん話した。
銀座四丁目交差点を和光側に渡り、数寄屋橋交差点、現在のGINZA SONY PARKの前身、
銀座の歴史を作ってきたSONYビルの取り壊し最後の地階部分にあった酒場、
創業者でSONYビルを設立をした盛田昭夫さんが銀座の入り口で庭とした場所、
その地下の同じ場所でその名を冠した「BAR MORITA」に向けて歩き、
終着点はその酒場のカウンターを挟んで銀座の酒場のことや自分にとっての酒場を話した。
その二人が創出した作品は「花す/話す」だった。
花言葉も盛り込みながら二人が感じた銀座を表したその作品に感銘を受けたし、
自分がほんの少しでも役に立ったことを実感出来たうれしい瞬間のその後、
資生堂ホールで開催されたトークセッションの壇上でホンモノの銀座の人と並び、
その場で語っていることには緊張と喜びと感謝でいっぱいになりながら役目を終えた。
十五年前の立春に銀座の端っこ一丁目、旧木挽町の路地裏で酒場を開き、
十年後には写真のなかにだけカタチを残し、銀座の象徴的な土地で酒場を預り、
世界に誇る企業に携わる仕事を賜り、銀座を象徴する企業で銀座を語り、
銀座の仕事に一区切りとなったあの日、ありがたく感謝いっぱいの一日を終えた。
あの日から三年後、導かれるように同じ路地裏に戻り酒場を預かることになった今、
立春を過ぎたばかりのある夜に若い女性がひとり酒場を訪ねてきた。
頭のなかにだけある相関図を引っ張り出しても、二十五年分の記憶を辿ってみても、
どうやっても結び付かない女性がこちらのことは周知の様子で訪ねてきた。
少し緊張気味にカウンター席に座りながら自ら名乗ってもまだ自分の答え合わせが出来ず、
続けて話した資生堂の話でようやく理解出来たものの、社会人となり、
学生だった時とは違ったその美しい女性に戸惑いなからもまた嬉しい時間が訪れた。
聞けば、すでに社会人三年目となり、人生初のBARは栗岩のところでと、
作品作りを共にした友人と決めていたものの、その日は都合が付かず、
二人共には改めるとして今日は勇気を出して訪ねてみたとのこと。
立派に働いているその近況が我が子のように嬉しく、その話を聞いた。
人生初として選ばれたことをありがたく、うれしく思いながらも、酒場の醍醐味で、
そういう時間を作り出し、出会えることに喜びを感じなから楽しみながら、
かたや、その酒場の景色を客観的に眺めている自分がそこにいることにも気づいた。
入り口側には早めに稽古を終えた歌舞伎役者の若者が先輩と共に語らい、
その反対側では、二年近く前に旧知の仕事先の男性が連れてきて来てくれた、
老舗和菓子屋の十六代目が銀座の仕事の折りには必ず再訪したかったからと、
また別の連れと語らい酒を楽しんでいて、自分の目の前では若い女性がひとり、
少し緊張しながらも楽しそうに話し、酒そのものも楽しんでいる。
その真ん中にいるのは自分だけれど、決して主役を演じることなく、
徹底して黒子であるべきとの信念のままにそこにいながら話の輪に入り離れ、
話しすぎずに話すことを心掛け、流れによっては隣同士を巻き込みながら、
酒場で話すことの空間を作り上げている、つもりでいるし、そう信じていたい。
他にもその空間の創出に必要な要素がいくつかあるなかで、
自分が好きで得意分野でもある音楽がその場に及ぼす影響は多大であると思うし、
そこにいる人の年代や好みを推し量りながら、時には話すことなく音楽で会話すら出来る、
そうとも考えて、会話のなかに出てきた楽曲やアーティストの曲を間に挟んだり、
そうしている自分も楽しみながら選曲をしているし、空間の強弱も調整出来ると思う。
それを知って音楽を楽しみに来てくださる方もいたりするから、そうなんだと思う。
けれど、酒場の中心にあるのはやはり人と酒で、その酒がうまいことは当たり前で、
自分の役目は作り手が心を込めて作り出した酒を一番美味しいカタチで伝えること、
そう思っているから、これみよがしな作り方は好まないし、今までそうしてきた。
それが良いか悪いか、それはいずれ答えが出るのだろうけれど今はそう思っている。
酒と人がそこにあれば会話は必ず生まれるし、その会話の内容だったり、
話し方もまたとても重要で、もしかしたら「話す」ことが一番大切な要素なのかもしれない、
最近そう思うところが少なからずあって、元来話すことが苦手な自分、
今となっては誰も信じてくれない苦手な話すことがとても大切なんだと思う。
それは、話さないという話すことも含めて、とにかく音楽を通して、酒を通して、自らを通して「話す」ことが空間演出に必要で、
その全体を演出することが自分の仕事で、バーテンダーではなく、
酒場の、酒の番頭、酒番で黒子であるべしという思いを強くした夜になった。
夜も更けて、それぞれの一日の終わりの帰り際のひと言。
役者の若者「おかげさまで良い時間になりました。ありがとうございます。」
十六代目「こういう場に来るとやっぱり、だいぶ刺激を受けますね。
色々勉強になります。今日は来て良かったですよ。ありがとうございます、また。」
人生初のBAR体験の女性「人生初が栗岩さんのところで良かったです。次は二人で。」
ありがたく、うれしい言葉がたくさん綴られいただいた酒場の夜に、
その一日の終わりに感謝しながら、もう一度、日々精進の思いを強くした。
少しだけの春を感じる夜風のなかを一歩一歩確かめながら帰路に着いた。
令和八年 話すことが花となるよう自らを律する春に
栗岩稔
