2026/02/10 10:00

上京して間もない頃の日曜日。
読みかけの本を手に井の頭線に乗って吉祥寺のひとつ手前の井の頭公園駅で降りる。
改札を出るとすぐ右手に見える井の頭恩賜公園に向かう階段を降りて公園に入る。
大きな公園の木立のなかをゆっくり歩き池の端にあるベンチに座り手にした本を開く。
すぐに突然の空腹感に襲われて数行読んだだけの本を閉じ吉祥寺駅側の出口に向かう。
営業開始間もない外まで煙が漏れ出すトタン板張りの串焼き屋「いせや」に入る。
お一人様にはお誂え向きの入ってすぐにある奥行き一尺ほどのカウンターの席に案内される。
いつものように煮込みと中華ガツとシューマイ、ポテトサラダに生ビールを注文しながら座る。
メニューを見ることなくこの店の親会社との関係から豚串焼きのみに絞り、
毎回我慢している大好物のボンジリを尻目にレバ、タン、ハツ、カシラ、シロと決める。
生ビール到着とともに注文を済ませ、生ビールと湯気立つ煮込みのひとくちに喜ぶ。
これまた大好物のポテサラと中華料理人が常駐しているこの店の名物料理、
大きなシューマイと中華ガツをひとくちずつで最後までのお供と決めて脇によける。
まだ温かいうちに素材の良さが際立つ煮込みでビールを飲み終わる頃に串焼きが届く。
そしてこれまた名物、濃い目のウーロンハイを注文しながら飲み干し串焼きの皿に向かう。
まずはレバをひとつを口に入れるとその大きめのレバにも素材の新鮮さか滲み出る。
ビールジョッキと置き換わったウーロンハイで一度口内をクリアにして次に向かう。
タン→ハツ→シロ→カシラとひとつずつなくなった串が並んだ皿に改めて向かい合う。
やはり変わらずいつも通りの順に食べ進む間にシューマイ、ガツ、ウーロンハイと進む。
ちょうど三杯目のウーロンハイとポテサラの最後のひとくちで朝、昼ご飯を終える。
満腹で至福の時を終えて駅の反対側、昼から営業しているジャズクラブ「sometime」に向かう。
都会の象徴のようなまだ知らないニューヨークのような扉を押して地下に向かう。
ほろ酔いの足を取られないように階段を降りた先のレンガ造りのカウンター席に着く。
そこに広がる空間に酔い、バーボンのオンザロックに酔い、ジャズに酔いしれる。
カッコつけのバーボンに酔った身体をまだ陽が高い街を引きずりながら駅に向かう。
帰るべき自分が負けて赴くままに黄色の看板、ラーメン「おおむら」に入る。
中華麺とビールで満腹で酒に酔った重い身体のまま公園には向かわず吉祥寺駅に向かう。
改札を抜け発車前の車内で眠りに落ちる頃に開かなかった本を落とし我に返る。
またすぐに無意識のまま最寄り駅に到着して唯一の休日の夕方を迎える。
帰宅後「笑点」を観ながら一日を終えて日曜日も終わりを迎える。
三十五年ぶりの日曜日。
正午少し前にとても嬉しく美味しい時間になるはずの「いせや」の前にいる。
変わらない日曜日の公園とあまりにもきれいに変わった「いせや」に驚く。
半地下から二階まで収容人数できっと開店時に入れるはずと期待と不安で列に並ぶ。
期待通りに入店した店内ではすでに煙が充満して活気溢れる店内を二階の座敷に案内される。
大宴会も出来そうな広間の一番奥の席に座ると同時にあの頃と変わらない注文をする。
煙の匂いがつかないようにニットの上着を脱ぎながら改めてメニューを確認する。
変わっていないことに喜び、ほくそ笑みながら一本八十円が百円でしかないことに驚く。
変わらないスムーズな流れとその味に安心して少しだけ上品になった盛り付け、
串焼きの肉のサイズが少しだけ小ぶりになったことに時の流れを感じる。
自分は変わらない順番と流れで味わいながら、新たにレバを塩、シロをタレでリピートする。
一杯少なく二杯目のウーロンハイですべてを流したあとで席を立ち幸せな時間を終える。
まだ陽が高い午後の温もりのなかを公園通りの雑貨屋、古着屋の軒先を楽しむ。
公園口駅前で立ち止まりながら、今はもう無理のジャズクラブ「sometime」と
ラーメン「おおむら」にあの頃はなかった後ろ髪をひかれながら改札に向かう階段を上がる。
各駅停車で東西線直通列車を待つホームで斜陽を浴びながら自然に微笑んでいる。
空席の目立つ車内でまだ意識があるうちに手荷物を確認してみる。
これまでの人生できっと多分初めて、お気に入りの手袋を落としたことに気づく。
これまた今日という一日と思える自分を運び出すように列車が走り出す。
すぐに目を閉じると人の気配が増えて陽光が遮断されて地下に潜ったことを感じる。
虚ろな感覚のなかでも日曜の夕方の和やかな空気の流れを感じながら乗り換え駅に到着する。
二駅で着いた最寄り駅を出て夕暮れの町を歩きながら唯一の休日の終わりを感じる。
そしてまた日曜日のだいぶメンバーが変わった「笑点」が待っている。
令和八年 久しぶり、の栗岩稔的酒場の流儀
栗岩稔
追伸、写真は榎、縁の木、マイルストーン、一里塚、ということで…。
