2026/01/20 10:00

楽しみにしている花がある。
この花が一輪でも咲いているのを見つけると、とてもうれしい。
特に楽しみにしているのはこの酒場の近く、中央区指定の喫煙所が設置された公園、
まだ、水が流れていた頃の築地川、今ではたくさんの車が流れている首都高速にかかる新富橋で
平日はたくさんの喫煙者が集まり、近くの花壇では腰掛けて遅めの昼食に弁当を広げたり、
小春日和の陽射しを浴びながら午後のひとときを楽しんで(サボって!?)いる会社員がいる、
小さな小さな公園の片隅、喫煙所から漏れるタバコの煙をたくさん浴びそうな場所で、
寄り添うようにひとかたまりでそこにあって、気付いてからは毎年必ず花をつけている。
今年もすでに咲いたひとつ目の下向きの可憐な、けれど凛とした姿で咲いていたのは一月、
松の内があけた頃で早いかなと思ったけれど、この年末年始は気温が高いと感じていたから、
そうだよなと思いながら今年もまた見ることが出来たことが何よりうれしく眺めた。
これを書いている頃にはもう少し咲いているはずだから見に行ってみようと思うけれど、
いったい何人の人が意識しているのかどうか、気にかけもせずにゴミを捨てたり、
喫煙所がそこにあるのに吸い殻が捨ててあったりするからほとんどいないのかな、と思う。
善行とは思わず極自然にゴミや吸い殻を拾ったりしている自分に、だいぶ歳を取ったと思うし、
やさしくなれたのかなと思うこともあるけれど、若い頃には全くそうではなかった。
今では住まいの近隣でほぼ毎朝顔を合わせる独り暮らしと思われる老人との何気ない、
今日は寒いですね、幾分楽ですね、のような会話にうれしく思えたりするし、
しばらく姿を見かけなくなると心配したり、久しぶりに会うと思わずこちらか歩み寄ったり、
そんなことしている自分を客観的に見ても、なんだか変わったなと感じている。
この大都会に長い間生きてきても、見ず知らずの人や町にやさしくなかったと思うし、
至るところにある大小の公園の片隅の草木に生命を感じることもなかったと思う。
そもそも公園に行くこともなかったし、全く違うところを目指して歩き、暮らしていた。
今ではこの大きな街に足元を見ながら暮らしていることが楽しく思えている。
地元に暮らしていた頃には気にもかけなかった、市民に愛される山のかすみ具合、
春霞からはじまり、夏の逆さ霧、秋には針葉樹の枯れ枝と紅葉のグラデーション、
積もることのない細かな雪粒が舞う霧にむせぶ灰色の冬の山肌の美しさにも、
この街に暮らしていたからこその気付きがあったりと、何かとうれしいことが多い。
今年もまたうれしい一輪に気付けた一月、一月だから特にそうなのもしれないとも思う。
小学五年生の時に突然友人を亡くした事故、前日までいた街が崩れ去った阪神淡路大震災、
すでに二年が過ぎた能登沖大地震、そしてここ数日続いている地震や災害に、
生命の儚さや一瞬で崩れ去る暮らしや街を感じざるを得ない一月だからだと思う。
立春を迎える前の大寒の頃に堪え忍びながら花を咲かせたり、葉が落ちた冬枯れの木や、
落ちないくすんだ緑の葉にほんの少しだけ若々しい黄緑色を見つけたり、小さな花もうれしい。
けれど、このように整備してくれている人々もいることに気付き感謝しているからこそ、
空のゴミ箱の周りにゴミがあったり、吸い殻入れの前で踏み消されたタバコにも腹立たしい。
けれど見ず知らずの人に腹を立てるよりも整備してくれている人に感謝したい。
もっともっと遡ると明治初期に都市の肺臓として環境のために緑地公園を整備する法を、
先を見越して成立させた、まだ国民のことを考えていたニッポン人にも感謝し敬意を持ちながら、
今のこの国は国民の暮らしをと言いながらも全く考えていないように感じる物事にどうかと思う。
けれど、まあ政治の話はしたくないからしないことにするとしても何だかなとは思っている。
東京に限らず日本各地、どの国や地域でも生きていくこと自体が大変な時代だと感じるし、
つい先日に発生した大動脈のJR山手線京浜東北線の八時間に及ぶ運転見合せでも七十万人に
影響を及ぼしたと聞くし、それによる他の交通網での混雑を考えるととんでもないことだし、
いざ災害となると想像を絶する被害で、その後に延々と続くであろう影響を考えると
今これからの時代は自己防衛や自助と互助なんだろうと考えたりもしている。
ただ運転見合せの発生した日が将来の夢や目標のために五十万人近くが出願した
大学共通試験の前日で良かったと無関係ながらひと安心している自分もいたりする。
とにかく今の時代は暮らし生きていくことが大変だと改めて思いながらも、
また今年もモヤモヤぼやぼやとしながら、もう少しだけ上手に生きていけたら良い、
そう思うけれど、これまでがこんなんだからしょうがない、そう思う自分もいる。
これまで一度たりとも自分を褒めたり認めたり許したりしたことはないけれど、こんなもんでしょ、
そう思いながら自らの知識向上のために知っているようで知らない身近なことを調べた。
別に「雪中花」という美しい名を持つ水仙は、寒い冬に負けず美しい花を咲かせることから、
その生命力の高さや強さで縁起の良い話とされていたり、別の名「ナルシサス」は、
ギリシャ神話のナルキソスという美しい少年が水面に映る自分の姿に恋い焦がれて、
いつしか水仙の花になったという逸話から名付けられた名で、この神話からナルシズムの語源になり、
普段は気にかけることのない花言葉も調べてみると、雪中花では尊敬、神秘、気高さという、
その凛とした姿から選ばれていたり、ナルシサスからは、ギリシャ神話の逸話から
自己愛やうぬぼれという花言葉が選ばれていたりすることがととても面白く興味深く、
調べることが出来てさらに知識を深める時間でまたひとつ学ぶことができたし、
これから春先までしばらく見られる水仙の花の見方も変わることが楽しみにもなった。
水仙の時期が過ぎて桜前線がはじまる前の柳の木の芽吹きまでがとても楽しみな時季、
決して冬が嫌いとかではなく寒い季節はかえって好きだったりするけれど、
どんな町でも春が待ち遠しいという心情は変わらないものだと思うし、
あのなんとも言えない光や風がうれしいことは間違いなくだけれど、相も変わらず、
ソメイヨシノの開花の時期の華やいだ感じだけは若干苦手なことには変わりなく、
それもまた、季節を楽しむことのひとつだろうとも思えている自分もいる。
こんな風に考えている自分の歳の取り方もまあ、これはこれで良いかとも思う。
けれど歳を重ねるほどに太ることがなくなり、代謝が悪くなる身体には、
寒さや冷たい風が堪えるけれど、大好きなニットを重ね着出来るのはこの時期ならでは、
それを小さな喜びに感じていたり、綿より絹よりウールより何より一番はカシミアでしょ、
そんな体感で知識を得た自分に喜んでみたりと、まあとにかくなんとなく、
不安でモヤモヤぼやぼやしているけれど、こんな自分も楽しめているんだろう、
そんな風に思える、またしても相も変わらず、の徒然と独り言、でした。
令和八年 大寒を迎えた水仙の花咲く街で
栗岩稔
