2026/01/13 10:00


令和八年がはじまって早二週間、酒場の新しい年もはじまりこの場でまた、
時を刻むことが出来ることに感謝しながら、あいさつ代わりに顔を出してくださるみなさまに
またお目にかかることも嬉しく思いながら、すでに一週間が過ぎた。

世の中はというと、すでに日常を取り戻す、どころかたくさんのことが起きている。
昨年来感じていた漠然とした不安とざわついた感が現実味を帯びていると思う。
国際ルールや法を無視して他国の政治干渉する利権まみれの軍事作戦があったり、
何年も続く戦争、紛争、諍いはまだ終わりは見えないままであるし、
国内では事件事故災害に人災、今年でもうなのか、まだなのか十五年を数える、
東日本大震災の原発事故の反省や教訓が感じられない発電所の建築基準数値偽装や、
相も変わらず復興どころか遅々として進まない被災地域の現状だったり、
目を覆いたくなることばかり、だけれどこれが現実で今これが世の中なんだ、
ということを実感しながら、小寒から大寒という一番乾いた冷たい季節を迎えている。

とにもかくにも着実に一歩ずつ歩みを進めて時を刻み一日一日を大切に過ごして、
人に対して真摯に向き合っていきたいと、そのためには痛いの痒いのなど、
そんな戯言を言っていられないから、歳を重ねた心身にも十二分に注意して、
自己管理をしっかりしながら生きていけたら、それが一番良い、そう心から思う。
久しぶりに読書と映画三昧の松の内が明けてすぐ、もう何度目か数えられないほどに、
たくさんたくさん観てきた「タワーリング・インフェルノ」をまた観てしまった。

五十年も前に公開された、ポール・ニューマンとスティーブ・マックイーン主演で、
子供の頃にはテレビにまだたくさんあった映画枠で何度もドキドキしながら、
大人になってからはレンタルビデオ後にはDVDで一時停止しながらじっくりと、
リマスター版が出てもまたと、物語の展開すべてを覚えているのに、観てきた。
スティーブ・マックイーン贔屓だった頃にはそう観てきたけれど、
ポール・ニューマンの良さを再認識してからは公平に二人の良さを堪能してきた。
今回もまた、オープニングから再発見と気付きの連続で、
キャスティング筆頭の二人を並べた表示の高低差があったことからはじまり、
その後の錚々たる出演者の名前にも改めて驚きながら眺めていた最後に、
世界中で人のために生命を懸ける消防士たちにこの映画を捧げます、
という忘れていた字幕に改めて気付けたことでまた、見方を変えて観ることが出来た。
確かに建築側の責任と言える超高層ビルの火災に立ち向かう消防士の活躍を描き、
建築家ポール・ニューマン、消防隊長スティーブ・マックイーン二人を中心に展開、
その内容は今さら、だから書かないけれど再発見と気付きで観終えたあとにも色々感じられ、
昨年多数の犠牲者を出した香港で林立する高層マンション火災のこともまた思い出した。

あの火災の原因も、使用してはいけないはずの素材のために延焼が広がり、
大規模修繕受託業者による発火から延焼までの人為的責任が問われている人災。
つい先日の原子力発電所の偽装のことも人命軽視と思わざるを得ないことだし、
特にわが国では、唯一の被爆国で原子力発電所の事故も実際に起きているのにも関わらす、
という現実になんとも言えず心が痛むし、全人類が文明というもを持って以来、
多分ずっと変わらない人災というものがこれまでも、これからもずっと、続くのだと思う。
かたや、個人的には身近な地域でまた山林火災が発生したけれど、
自然が猛威を振るうとは言い切れず、人間が座るベンチが火元ではと言われている。
そもそも火というものは、人類が制御する術を得たことから文明社会が発展してきた。

ヒトが人間となれた大きな要因のひとつに火の扱いを得たことであると思うけれど、
それが、その後火器として諍いのはじまりに伴って武器になり強大化してきたと思うけれど、
自然発火の山林火災にしても、文明社会に始まる環境問題が根底にあるのだろうと思う。
人間には全く制御出来ないほどの山林火災は鎮めることは出来るし実際にそうしてきた。

江戸の町にはそれぞれに火消しがいて、火事と花火は江戸の華といた時代もあった。
東京大空襲の際の犠牲者の多数は家屋火災であって、当時の日本の家屋は木造、
そのことを熟知していた米軍がそれを狙った爆弾による延焼から一面焼け野原となったり、
阪神淡路大震災では火事による延焼で地域全体を焼き付くしたり、
二年前の能登半島大地震の際にも、火事により輪島朝市を中心に焼き付くし、
一年前のロサンゼルスでも住宅地一帯を焼き付くす大火災が発生して人命を奪い続けている。

けれどその反面で、人間が一番心を鎮めることが出来る灯りは炎であると聞く。
自分は実際に暖炉や薪ストーブのある喫茶店に行きたいためだけに車を飛ばして、
季節を問わず、積雪でも軽井沢の森まで行って、行き場のない自分をそこに置いていた。
まだ電灯がない時代には蝋燭の灯りで暮らし、そのための文化も発達してきた。
金屏風や襖の金はそれを生かし、日本画もまさにそれで独自に発展した歴史もある。
とにかく人間と火の関係は切っても切れない関係にあることは間違いないと思うし、
それが人間を殺すことも事実として、これからもあり続けるのだろうと思う。

とにもかくにも空気も人も乾き切っているこの世では火の取り扱いには十二分に注意して、
暮らし生きていこうと思う今日この頃、ふと昔の標語「マッチ一本火事のもと」を
今改めて思い出した、けれどマッチを擦って火をつけることすら知らない世代も多いのかな、
なんて、そんかこともふと思ったりもしながら今日もこの町にいる。

令和八年 マッチ一本火事のもと、です、はい
栗岩稔