2025/12/30 10:00

かつてあった路地裏の酒場のたくさん並ぶ本のなかに赤白黒それぞれになぞなぞの本があった。
そのうちの赤いなぞなぞの一文に「一度出ていったら戻らないもの、なーんだ」
ルーマニアの古くからあるそれをことあるごとに思い出した一年だった。
火曜日の今日という日に終わる今年の酒場でもたくさんの人にお会いした。
どれだけ馴染みであっても、長年お引き立ていただいていても、初めてであっても、
出すお酒は同じで、もちろんそれぞれに中味は違うけれど気持ちは同じだと思っている。
長年作り続けているモノでも、注ぐだけと思われがちなビールであってもそうだと言い切れる。
それはすべてが美味しくて当たり前で、それを越えるモノを提供するべきだと思うし、
それに必要なことは、空間全体の音楽だったり温度だったり、自分の言動であり、
一度その酒を通して時間を演出したら、決して後戻り出来ないし、やり直しなんて出来ないし、
その一口目の前にはある程度、で全てはその一瞬で印象が決まり判断され、
その判断は絶対にこちらではなく、数多ある酒場のなかからこの場所を選んで、
貴重な時間を割いて足を運んで来てくれた目の前の人で、そのための酒を作るべきであるし、
来てくれたことにありがたいと思う気持ちを忘れてはいけないと思っているけれど、
それが上手に、期待以上のことが出来ているかどうかは全くわからないし、
それがすぐに答えが出ない時もあるし、明らかに失敗であったことがわかる時もあって、
それまで築いてきたであろうモノが一瞬で崩れることがあるのは十二分に知っているから、
一日の終わりには振り返りと反省の時間を費やしているものの、その答えは自分、でしかない。
だいぶ前の酒場のカウンターでその佇まいが美しいヒトが言っていた。
「信頼っていう言葉を分解してみると、人の言葉を束にして頁にする、なんですよね、
だから、その綴られた頁の厚みが信頼になるんじゃないのかな、って思いますね。」と。
本当にそうであると心から思うけれど、それが出来ているかどうかはわからない。
けれど、そうでありたいし、そうならなくてはいけないと常に思っている。
今日で令和七年の酒場の一年の終わりを迎えるけれど、今年もまた上手に出来たかどうか、
それはわからないし、一年の終わりに結果が出るものでもない。
鎌倉の海で毎日波乗りをしていた頃には、常に感じて知っていた、
一日として一つとして一瞬として同じ波はない、ということを改めて思い出しながら、
一人一人、ひとつひとつ、一日一日を大切に、すべてが新しい時間であって、
惰性で流れる時間は一瞬もないことを肝に命じて丁寧に大切にしなければいけないと、
あと十二回の一年の終わりを無事に迎えるためにも、今日もまた、強くそう思う。
令和七年の節目にまた、ありがとうございます。
そして、いつもいつも、ありがとうございます。
令和七年 おわりは短く徒然と
栗岩稔
追伸、なぞなぞのこたえは「ことば」です。
