2025/12/23 10:00

雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう♪と始まる楽曲が今年も巷に流れてくるこの時期、
この歳にもなるとクリスマス気分も何もないけれど、聴くたびに様々なことを思い出させる。
初めて観た、聴いたのはJR東海のテレビコマーシャルのシンデレラエクスプレスシリーズが、
クリスマスエクスプレスに変わり、楽曲も松任谷由実さんから山下達郎さんに変わった時、
二十歳そこそこの頃であんな状況は全くなく、夢のようなどこか遠いところの空想の物語、
そう思いながら聴いていたけれど、あれから四十年近く経った今でもラジオから流れて、
風物詩のようにも思えるから名曲で、今でも色褪せない楽曲の作り手の山下達郎さんはじめ、
当時のアーティストの多くが現役どころか、第一線で大活躍されていることに、
長期に渡り存在し続けることの大変さもわかるし、それに感服し尊敬すらしている。
自分にとってアパレルブランドに従事していたこの時季は特にただただ忙しい繁忙期で、
休む間もなく働いた終業後には疲れ果てて、その日最初の食事変わりにビヤパブでお腹を満たし、
酔っ払った深夜の帰り道の街灯が冷たく寒々しく灯っていた記憶ばかりのなかでも、
女性とのそれなりの時間はあったけれど、申し訳ないことにほとんど記憶に残っていない。
けれど、懐かしかったり、ほろ苦かったり、苦しかったりの心象風景は覚えているから、
それなりだったけれど、公私ともにあの頃の自分は反省とお詫びばかりの日々だった。
男女問わずに迷惑をかけ、不義理をしたりと今のように人の縁のありがたさを知ることもなく、
そもそもこの街に長くいることすら思わず、暮らし続けることなど出来ないと感じていたし、
何かに負けて退散して地元に帰ると思っていたから、今でもいること自体が驚きでもある。
今ラジオから帰省という言葉について語っていて、改めて漢字の意味合いに気付かされた。
故郷に帰ることを意味する「帰省」は分解してみると「帰って省みる」ことだと、
そういう意味も含まれているんだと教えてくれているパーソナリティーのうち、
東京生まれの自分は帰省することはないから、人生を省みることがなかったと、
苦笑混じりに話していた二人の会話を楽しく聴きながら自分にとっての「帰省」を考えた。
確かに、盆暮れ正月に帰っていた頃には地元の駅に着く前から「帰省」だったと思う。
何かの扉のように改札を抜けながら色々なことを思い出し、あえて歩いて帰る道すがら、
出身校の前を通ったり、馴染みの公園を抜けたりしながらたくさんのことを省みていた。
今では月に二度三度とトンボ返りをしているばかりだからそんな暇はないけれど、
あの頃は実家の居間にいてもそうで、あの場所が一番強烈に省みて、
いたたまれなくなって、すぐに駅に戻って一番早い特急列車に飛び乗って二時間半後、
東京に戻れたことで帰ってきた感と安心感を馴染みの酒場で感じた自分がいた。
新幹線が開通して久しい今では、ひと眠りしたら到着するまでの一時間半となり、
距離は違わないけれど、時間的な距離が縮まったおかげで考える暇を与えないのかもしれないし、
省みることよりも今後のことをたくさん考えなければいけないことがあるということもある。
まあ、これはこれで東京に暮らす人になったんだろうと感じることもあるし、
そもそも、まだこの街に暮らしていることが面白いし、よくぞ生き残ってきたと思う。
これも何もかもが人の縁のおかけであって、正しくおかげさまであることは間違いない。
あと何年この街にいるのかは考えてもみないけれど、馴染んできたせいか、
この街が好きでいることに改めて気付かされるし、たくさんの物事を知れば知るほど、
興味が湧いてくるこの街を離れることがあるとしたなら、そのときは東京に戻る、
帰って省みる帰省になるんだろうかと思っているけれど、帰る家はないのだから、
帰るではなく来るが正しいことは理解しなから帰るという言葉が相応しいと思うし、
生まれた街より長く、倍以上暮らしたこの街のことのほうが省みことが多いことは間違いない。
酸いも甘いも苦いもすべてのことがこの街には、知人も多いから来るのではなく、
帰る街になったんだと思える東京が年々好きになってきていることを感じている。
今では深夜ではない早朝の独りシンデレラエクスプレス的に便利に利用しているなかで、
交通網の発達は距離を縮めても気持ちを引き離す速度が高まったように思う。
離れた気持ちは離れたまま、置いてきてしまっているようにも感じているけれど、
あの頃からどこか余所者感があった東京という場所が今はだいぶそれが薄れてきているし、
もしかしたら、地元の街にいる時のほうが余所者になっているのかもしれない。
実家以外に行く場所もないし、知った顔も知人も近所のおばちゃん以外にいない。
誰かに会いたいからどこかに行くわけではないけれど、
東京にいるとあの町やあの場所に行けばあの人がいるのかなとか、
ふと思い出すことがあるから、そういうことなのかもしれない。
生まれ育った街と暮らす街が別であれば、その長さによるけれど、
暮らす街のほうが余分に結び付きは強いのだからそうなのだと思う。
付き合いの深さや関係性の作り方によって差異はあるから一概には言えないけれど、
自分はある程度の距離感を保ってきたところはあるから最近そう強く思うことがある。
それに人と接する仕事を長らくしてきたから、そういいこともあるのかもしれない。
だから、地元の街と東京の街を比べると東京の余所者感がだいぶ薄れてきているから、
なおさら好きになってきたのかもしれないし、東京にいればなんとか生きていける、
そんな気もしているし、良い歳になって、とお叱りを受けそうだけれど、
生きていればなんとかなる街がここ、のような気もしている。
あともう少し、どの位いるかわからないけれど、それもとても大切なことなんだと思う。
長らく暮らしてきた東京の街の変容もたくさん見てきた。
物流関連の生業中心の街が高層マンションだらけの高級住宅地になったり、
身近に感じていた東京の台所の市場か遠くはないけれど他所に行ってしまったり、
一所懸命働き、遊んだ慣れ親しんだ街が迷子になる街になったりを体験してきた。
数え挙げたらキリがないほどに変わり続けてきたこと自体が東京なんだろうと思うし、
百年間変わり続けてきたことでこの街が人を集めているのだと思うけれど、
この大きすぎる街で人混みに紛れ込み過ぎないように生きていけたらうれしい、そんな風に思う。
令和七年 浮かれ気分を知らないクリスマスイブイブに
栗岩稔
