2025/12/09 10:00


諸外国ではホリデイシーズンに入り、外国人観光客が増えてきた、とこの酒場で感じている。
個人的には今が一番美しいと思う、このニッポンの彩りの季節を見て感じて、
楽しんでもらえているのであれば、とてもうれしいし、自分事のように誇らしく、
思う存分満喫して美しい記憶を刷り込んで楽しんでもらいたいと思っている。

ある夜には、午後10時頃までひと言も日本語を使わない時があったり、
深夜零時の閉店に日本語ゼロで終える夜があったりと、国際色豊かで彩りのある、
小さな酒場に身をおきながら、今更ながらに英語力が問われ試される日々が続いているけれど、
うれしいことに、おかげさまのこの2年間の実地訓練を半ば強制的に受けたことで、
耳が慣れて聴く耳が育ってくると自然に言葉が出るようになってきたように感じている。
もちろん、知っている単語を並べるだけの中学生レベルだけれど、
なんとかかんとかコミュニケーションがとれていると思っているし、そう信じているし、
他に誰もいないので必然的にそうせざるを得ないから自然に向上するのかもしれない。
まあ何となくだけれど、来訪してくれたみなさまにはそれなりに(もっと良いほうがいいけれど…)
楽しんでいてくれているような気がしているし、みなさまが酒の時間を
日本独自性のスタイルのバーて楽しんで行ってもらいたいし、
だいそれた言い方をすれば、日本を代表して対応する心持ちでしている。
この国の観光産業に貢献しようとか、そんなことではなく、自分自身が海外で体験した、
酒場で過ごした楽しい時間のお礼として、今ここでお返ししている気持ちのほうが強い。
訪れた人々みなが口にするのは、大概日本は素晴らしいし美しい、食事も街も文化も
信じられないほどだ、と言われることがうれしいけれど、
東京を始め各地に多くの人がいて大変だったという話には致し方ないのかな、
そう思いながら、それぞれの国や地域で感じ方が違うし、宗教感や文化的な考え方が違うことも、
充分に理解しながら日々脳ミソをフル回転して、楽しみながら過ごしている。

そんな酒場の日々も師走に入り、毎年必ず思い出す、ジョン・レノンの命日を迎えた。
パートナーが日本女性ということもあってか、度々日本に来ていたし、
東京だけてなく、わが地元の大好きな町、軽井沢にも行っている。
存命だったら85歳の彼が今の日本を見たらどう思うのだろうと思う。
45年という年月で日本だけでなく世界が変わってきているけれど、
彼が望んだ戦争のない平和な世界には確実になっていないし、
あの頃に端を発している戦争が悲惨さを増して続き、自然災害も多発している今、
85歳なりに考え方は変わるだろうから全く想像すら出来ないけれど、
少しだけ、彼の言葉や音楽を聴いてみたかったと叶わぬ願いがあったりする。
けれど、あの日で時間が止められたのがジョン・レノンであって、
それ以上でもそれ以下でもないんだろうなと思うけれど、
多感すぎた十代の終わりにはだいぶ、音楽はもちろん生き様や容姿まで感化された。
わかりやすいところでは、長髪で髭で同じサングラスを購入して身につけていたし、
未だに、サングラスが老眼鏡に変わったぐらいで、長髪に髭であることに変わりはない。

ニューヨークにも行って、ジョン・レノンが暮らし最期を迎えたダコタハウスも訪れた。
セントラルパークを歩き、ストロベリー・フィールズの前で祈りを捧げた。
そうしている自分に酔っていたけれど心底、訪れたことに感動している自分もいた。
その後は毎年のようにあの街を訪れ、ある時にはバーニーズニューヨーク本店で、
ジョルジオ・アルマーニのセール品、アメリカ人には小さすぎて余っていた自分サイズの
ネイビースーツをアルマーニしかないフロアで買っている自分に酔っていたけれど、
日本から訪れた若造のためにきちんと接客してくれた老齢の男性が格好良いと思ったし、
後になって影響してくる体験だったことは間違いないし、
今ではあまり着ることがなくなっだけれど、大事にしまってある。
当時在住していたジャーナリストの女性と一緒にちょうど今頃の華やいだ町を歩き、
アルマーニのスーツに着られて、アラン・デュカスの開店レセプションを訪れ、
だいぶ背伸びしている自分に気付いていたけれど、その場にいる自分と酒に酔っていた。
残念ながら、目の前の美しい女性に見とれ、その緊張で味は全く覚えていない。
その後で前日に拙い英語を使ってリンカーンセンターで手配した、
リバーサイドチャーチで観賞したニューヨークフィルの五重奏が演じた、
ヘンデルのメサイアに素晴らしく感動した、今でも鮮明に思い出せる経験になった。
何事にも変えがたい夜だったけれど、背伸びしてカッコつけていた自分が、
気恥ずかしく思い出すけれど、とても美しい夜だったことは間違いない。
終演後、教会の外では小雪がちらつくマンハッタンの夜空の満月に、
「あ、ブルームーン、ですね。」と教えてくれたあの瞬間が特に忘れられない。

今となっては、まず行くことは出来ないし多分行く機会に恵まれないと思うけれど、
あの頃、年に2回は行っていたあの街が懐かしく鮮明に思い出せるし、
この経験が出来たこと自体が、とてもうれしく、ありがたく、
自分の糧となっていることに感謝しているし、この酒場で実感している。
幸いにして、欧米アジア各地に行った経験とその地での体験があるから、
様々な国や地域の人々ともコミュニケーションがとれているのだろうと思う。
あるとないとでは大分違ったんだろうと思うし、こういう経験をさせてくれた、
先輩方、上司恩師、背中を押してくれた友人に今改めて感謝したい。

ここ数年続いている感謝の気持ちを忘れることなく、保ち続けていきたいし、
今年もまたこの時期を迎え、ジョン・レノンを想い、ニューヨークに想いを馳せている。
そして、ニッポンの美しい彩りの時を心から楽しめていることがうれしいし、ありがたい。
こうしてまた一年が終わっていく日々が無事で穏やかに送りたいと心から願っている。

令和七年 今年もまた12月8日を過ぎて
栗岩稔