2025/12/02 10:00


あれ? 師走、ですね。
あと少しで令和7年、2025年も終わりますが、最近どうされてますか?

ラジオではクリスマスソングが流れ始めたり、年の瀬の情報とか紅白歌合戦の出場者とか、
来年の干支の話しとか、いかにも日本らしい季節の話題が続くなか、
街角ではクリスマスツリーやイルミネーションの準備やすでにキラキラしたり、
そうかと思えば、正月用品が並んでいたり、いつの間にかに広まった(広めようとしている?)、
黒い金曜日という販売商戦やクリスマスギフトや御歳暮商戦の和洋「中」折衷の
浮かれたミックスカルチャーの様相で、方や首相の公式発言で
本当に有事で大事になりそうだったり、世界に目を向ければ、
終わりの見えない戦争の和平交渉の駆け引きや停戦協定中に関わらず、
理不尽な理由の大規模爆撃で犠牲者がたくさん出ているし、
山林火災や港町の空き家だらけの住宅地を火が走り抜けるように焼き尽くす火災や、
高く伸びる、たくさんの人が暮らしていた高層マンションがマッチ棒のように焼け落ちたり、
悲しいニュースばかりが続くなかで、タバコ飲みの自分としては、
火の不始末だけは絶対にしてはいけないと改めて強く思いながら、
新型も混じって大流行しているインフルエンザにも警戒しなきゃと思ったり、
とにかく気が休まらない、慌ただしく、忙しないこの時節、
みなさまもくれぐれもご留意いただきたいものだと心から思う。

私的な話しでは、定期的に付き添いで訪れる病院で計っている血圧脈拍の数値が
110-70-70と何ともキリの良い数字に幸先よく走り出せそうな予感がしたり、
イイニクの日だと言われて踊らされることなく、老化が進んで代謝の悪くなった身体が、
消化消費出来るくらいの栄養を摂って、燃費の悪くなった自分に相対して、
元来あまり強くない酒もほどほどに、やけ酒をしたくなる時でもぐっと堪えて、
その時間を楽しむようにしたいと考える今日この頃の世間では、
かつては忘年会と称して公然としていた飲み会があちらこちらで深夜まで、だったこの時期、
最近はあまり見聞きすることなく、年々減少している会社関係の飲み会も、
なんとかハラスメントになったりするらしいので、当然のようになくなるんだろうと思うし、
自身の若い頃、会社員時代にはセンパイが飲み会好きだったから、
あー面倒だなとか思う時もあったりしたけれど、あの時に聞かされた、
公私問わずのグチも何だか懐かしく思い出せたりするし、
酒を提供する側になった今、酒を飲むということはなくならないけれど、
飲み方はだいぶ変わっていくんだろうなと肌で感じているし、
酒を楽しむ良い時間がたくさんあればそれで良いと思っているし、
まあいずれにしても酒の在り方は変わっていくのは間違いないし、
以前はよく見かけた深夜の路上で酔い潰れたり、自分のカバンを枕に寝たりが、
ここ何年も見かけなくなったし、まああの頃に比べれば今の世の中は、
だいぶ物騒になっているから、それはそれで良いことだと思うけれど、
あの頃のようにのんびりしていたことが良いか悪いか別にして、
あんな時もあったなー、と懐かしく思い出したりする。

今は情報が溢れすぎていて、自分自身のなかのデータ処理が追い付かず、
心身のバランスを崩したり、調整出来ない人がいたり、感情の行き先がわからなかったり、
そんな人がたくさんいるような気がするし、費用対効果や所要時間対効果ばかりで、
立ち止まったり、後戻りしたりして思考を深めたり、止めたり、
もちろん振り返り過ぎはダメだけれど、たまには必要なんじゃないのかな、と思ったり、
特にそうせざるを得ない場面が年齢とともに増えたような気がする自分の、
最近のお気に入りで処方箋(!?)は、朝日を浴びながら寒風のなかを歩き、
朝の冷たい空気のなかに身をおいて思考を深めたりすることがとても心地好く、
医療関係者の知人はそうすることが人間本来の免疫を高めるのだとお墨付きをいただき、
感覚的にそうしていただけなのに、良いことだと知って安心していたりする。

そんな自分の一日はというと、起きてすぐにたくさんの水を飲み、
コーヒーをゆっくり楽しみながら、世の中の流れを自分なりに取り入れて考え、
その日にやらなければいけないことを整理して済ませて、朝日を浴びる散歩に出て、
その後酒場の仕入れ準備だったり、他のことだったり、
これを書くこともあるし、ただ何もせずボンヤリしたり、
録画してある映画があればそれを観るし、読みかけの本を読んだりしなから、
そのまま準備に取りかかる昼食の定番は豆腐と納豆とごはんで、
最近のお気に入りは、大根の美味しい今ならではの、大根おろしを大量に作り、
その汁を鶏出汁に仕立てるおろしそば、そして時々ビールを、
酒場の入りは午後一なので、その3時間前には済ますという時間が、
ずれるとパフォーマンスが落ちるような気がする、そもそもの始まりは、
中学の野球部時代の試合の3時間前には済ませておけという教えで、
今でもそのクセが抜けないし、実際にそれが丁度良いと思うその
昼食後には自分の心身と向き合い、睡眠が足りていない時は目を閉じて休ませ、
そこに必ず流れているラジオから聴こえてくる情報が少し眠りに入ると遠退いて、
全く聴こえなくなってくる、あの無音に落ちる感覚もまた心地好く、
そして、家を出た12時間以上が過ぎて家に戻り、午前時過ぎには眠りに落ちて、
目を覚ます朝6時には、今の時期にはちょうど良い日の出の時を、
いつもの喫煙所でタバコを吸いながら、全身で街が動き出すことも感じながら、
はじまることに感謝して期待して新しい一日を始める、とこうして書いてみると、
淡々と過ぎて流れていく時間だけれど、こういうことに頗る幸せを感じるし、
特にここ数年は、起きてすぐに東京駅前に向かって始発の新幹線で実家に行って午後戻る、
という一日が定期的にあるからなおのこと、こういう一日がありがたいし、
きっと無ければ心身が保てないと素直に思うけれど、かつては一切気にも留めずに、
師ではないけれど走り回り、慌ただしく忙しなく過ぎていたあの頃、
女友達に「あなたマグロね、止まったら死んじゃうマグロ…。」と言われたけれど、
今はマグロ、ではないし、止まらないと、きっと死んじゃう…。

まあでも、こんな風に老化していく自分と向き合っていられること自体が楽しく、
これから何年続くかわからないこの生活のリズムを感じながら、
自分の使命を果たしたいと強く思う師走のはじまり、です。
みなさまにとって良い年の瀬を迎えられるようにあと少しだけ、
節目まで元気で楽しくいられますように、そして、やさしい時間でありますように。

私はいつもここにいます。

令和七年 相も変わらず散文乱文独り言
栗岩稔