2025/11/25 10:00

2年前、この酒場がこの町に開かれた時に20年暮らした男がこの町を離れた。
故郷ではなく、全く別の西の町に専門的な仕事も辞めて移り住んだ。
その最後の時には使い込んだ革のトランクを持ってこれから東京駅に向かうと、
シャンパンを一杯、旅立ちをひとり祝うかのように飲み干していった。
あれから2年後、以前と全く変わらない様子で満面の笑みで現れた。
若干若返った感じで、聞きなれた関西弁の穏やかな口調で年月を感じさせないほどに、
今の暮らしのこと、お互いにジャンルの違う音楽や映画のことを話した。
そのなかで、還暦を迎える時にそれまでの仕事を一切辞めたと彼が言った。
その後は、エッセンシャルワーカーとして社会を定点観測し続け、
人とのふれあいや様々なことを学び、今は何もせず見識を広めるために旅をしたり、
色々な人に会うようにしていて、それが何よりも楽しいし刺激的だと。
そして、人生100年時代と言われている今、自分はあと41年働き続ける、
そう、確固たる口調で熱く楽しそうに、けれど何かを見据えるように語った。
確かに元気そうだし身体も健康そうだから出来るのかもしれないけれど、
41年という年数は彼が社会人になってから、これまでとほぼ同じ年月を、
そうはいっても衰えていく身体で働き続けることは果てしなく途方もない、
そう思ったし、自分のことのように目が眩むような感覚になった。
自分には到底無理だと思えたし、そうはしたくないと素直に思った。
以前から考え公言していた還暦までのラストランを過ぎたその後は、
70歳までクールダウンのような助走を終えたいと改めて思った。
結果的にはそのくらいになるんだろうし、終わってみなければわからないけれど、
今の自分を省みるとそうだろうと感じるし、人生100年だとしたら
自分はあと43年は、普段は使わない言葉だけれど、絶対に無理だと言える。
そんなことを考えながら、目の前でこれからの計画を楽しそうに話す彼が、
今回の楽しみにしていた、久しぶりの東京で行きたい場所、会いたい人を
深夜の仕事の合間にリストアップしてメモにつけながら待ち望んでいたと、
その見せてくれた一覧の上位にこの酒場があったことがうれしく、ありがたいことだけれど、
今まで知らなかった彼のプライベートな部分を覗き見したような気分にもなった。
最後に珍しく語気を強めて若い友人たちのことを話し始めた。
彼らは株や投資の資産運用を中心に人生設計をしていて、
出来るだけ働くことを減らして人生を送ろうとしていると。
そんな彼らに働くことの楽しさや大切さを話しても全く響かなかったし、
自分も試しに資産運用してみたら、だった1か月で給与以上の利益が出たけれど、
自分はそれをせず、働くことを決めて、そうすることで体現出来れば良い、
どれだけ、それで得られる人やモノとの出会いの大切を話しても伝わらないから、
と少し寂しげに残念そうに話して大きな窓べりのベンチ席に移り外を眺めた。
その後ろ姿を眺めながら、何だか格好良いと思った。
これから43年は無理だけれど、誕生日が1日違いの彼を出来るだけ、
先に還暦を越えた彼を追走してみようと思えた夕暮れだった。
たくさんの人が行き来するこの酒場で現役で前線にいられることに感謝した。
そうして迎えた終わりと始まりの境目で休日の今日は
11月23日日曜祝日勤労感謝の日。
長年この日は変わることなく移動することなく刷り込まれていて、
慣れ親しまれ、馴染んでいる国民の祝日にふと、彼の言葉を思い出し、
自分自身のことも振り返りながら、毎日毎日感謝しているのに、
何故11月23日だけが特別に国民の祝日とされているんだろうと思い、
浅い知識を深めたく、知っているようで知らなかったことを減らすために調べた。
「勤労を尊び生産を祝い国民を互いに感謝しあう」ことを目的として、
昭和23年、戦後の復興の最中の日本で日々身を粉にして働いていた国民に、
感謝することを目的として制定された国民の祝日で、今の女性初の首相からは
想像も出来ないほどの時の政府の公式文言にふとまた、何故この日?
それをまた調べてみると、皇室が宮中行事として今も受け継がれている
重要な行事で祭祀のひとつの新嘗祭がその年に収穫された新穀を神に捧げ、
その収穫に感謝するもので、明治の頃にそれを国民と共に祝うことを目的として、
旧暦に起因するこの日に定められ、戦後には神格化されていた天皇が、
現人として国民に知らしめることになった際、宮中行事と国民の年中行事を
切り離すために時の政府が改称し制定し、その後現在に至るまで
国民に広く浸透した国民の祝日となっていると、もうご存じの方ばかりだろうけれど、
自分にとってはまたひとつ新しい知識を得たことで、やはり死ぬまで勉強、
その想いを強くしながら改めて、神の国ニッポンにおいて、
神事祭事を規範とした年中行事を基に暮らしてきたニッポンの歴史を感じられた。
あと40年以上は絶対に無理だけれど、だいぶ遅くに気付くことが出来た、
暮らしや働くこと生きていることに感謝を忘れずに、これからもいたいし、
美しい国ニッポンであることを実感するこの季節を楽しみながら、
忙しなく慌ただしい日々れが待ち受ける師走、年の瀬を迎えたい、
そしてまた、旧暦ではないけれど迎える大晦日ぎ穏やかで優しい時間でありたい。
これから迎える本格的な冬、あと13回の冷たい空気を全身で楽しみなから、
今が一番美しいと心から思える木々や空や風を週に一度の休日に感じながら、
あと何年現役で現場に立ち続けられるかわからないけれど、
出来る範囲で心身の痛みを治めながら自分自身に真正面から向き合い、
衰えていく自分を受け入楽しみながら、老人力を発揮して、
老害と言われないように、数年前の映画「PLAN75」のような国にならず、
美しくない時の日本の首相が掲げた「美しい国ニッポン」が
本当に美しい国ニッポンになることを祈りながら、生きていきたい。
令和七年 今が一番美しいと思えるニッポンで
栗岩稔
