2025/11/18 10:00

午前6時30分、ほぼ眠れていない前夜の疲れが残る寒い朝。
珍しく自身を労って予約しておいたタクシーが時刻前に到着している。
地元のタクシー会社の運転手は車外に出てお出迎えの態勢で待っている。
その姿に重たい足を引きずりながら小走りでタクシーのもとに向かう。
速やかに乗り込んだ運転手は暖房を効かせているらしい閉じられたドアを開ける。
まるで温かなお出迎えのように暖かな空気が流れ出すなかをシートに身を沈めた。
「おはようございます。新幹線に乗るので駅までお願いします。」
「おはようございます。駅までですね。かしこまりました。」
と早朝の住宅地に迷惑がかからないように静かに走り出した。
車の往来のある通りに出ると、見とれるほどの清々しい朝日を浴びながら、
遠くて早すぎる一週間のはじまりに心鎮めるように目を閉じた。
「お早い出勤ですね。」「えっ、あー、これから東京に帰って仕事ですね。」
「ほー、それはそれは大変ですね。」「実家に高齢の両親がいるので、それでですね。」
「あー、そうでしたか、それはそれは。でも最近そういうお客様が多いですよ。
このあたりは特に高齢の方ばかりですからね。だから大変ですよ、そういう方々は。
寒くなってきたし、外出するにも大変だから私共のご利をいただいているんですがね、
これから雪も降るし、だからこの車もスタッドレスタイヤに履き替えましてね、
菅平あたりは雪が積もりましたから、けど今の雪ですから、もう消えましたけどね、
この町は雪が少ないからまだ良いですがね、浅間山あたりは真っ白ですよ。
昔は15cmくらいは積もったもんですけどね、今はすっかり降らなくなって、
だから少し前の大雪の時は大変でしたね、雪掻きもしてないし、道路も凍るしで。」
「あー、ありましたね。向こうのニュースで観ましたよ、結構な量だったんですよね?」
「昨日は雨でしたけどね、上田城址公園で紅葉まつりをしてましてね、
土曜日は結構な人出だったようですよ。夜はライトアップされたり、
全国ニュースでもやってましたがね、武将まつりもありましてね、
全国から武将が集まったらしいですよ、どこの誰だか私は知りませんけどね、
真田の武将と揃って行列して行進したらしいですよ。だから観光客も多くてね、
でも上田はインバウンドはダメみたいですね。語学の学生は多いんですがね、
まあ、私らなんかは外国人観光客に乗られても困っちゃいますがね。」
内心、それだからじゃないのかなーと思いながら「確かに全く見かけないですね。」
「そうなんですよ。まあでもインバウンド頼みというのもどうなんですかね、
この町はこのくらいで良いんじゃないですかね、まあ、私にはわかりませんがね。」
紅葉まつりの話は聞いていたから、前日の新幹線車内でも到着したらきっと、
いつもよりも多い観光客がいることを期待しながら向かったものの、
まあまあ多いかなぐらいでも、それはそれで嬉しかったけれど、
たくさん、ではなく駅前には日常の利用客しかいなくて観光客は見当たらず、
ここまで惹き付けるものはないのかなー、と考えながら改札を抜けて、
いつもの日帰り湯治温泉に向かう私鉄ローカル線に乗り込んでみると、
2両編成の車両が満席で、発車ベルに駆け込みする客がいたりして、
上田市内にはいない観光客がここにはいるんだなー、とか思っていると、
目に入った北向観音64年ぶりの御開帳という車内広告に、あ、これかと気づいたり。
そんなことを話す間もなく、絶え間ない噛み合わない話しを聞きながら、
あっという間に駅前ロータリーに続く信号で停車すると、
「新幹線口でしたね。」「はい、お願いします。」「かしこまりました。」
と、するりと降車スペースに静かに停車して会計を済ませた。
「ではお気をつけて。」「ありがとうございます。」と車外に出ると、
すぐに扉が閉まりエンジン音が高まったタクシーは発車した。
なんだかなー、と思いながら、まだ目が覚めきらないままにボンヤリしながら、
改札を抜けた先にある、早朝から唯一開店しているコンビニエンスストアで
カフェラテの代金を払い機械の前でボーッとしながら液体が落ちる様を眺めた。
身体の芯を温めるひと口が喉を通ることを感じながら15分間を振り返ってみても、
なんだかなー、という感じが消えないことに気付き、新幹線ホームに向かった。
まあでも、あんな感じなんだろうなー、この町のタクシー運転手は、
とひと括りにしてはいけないと思いつつ、あんな感じという言葉が似合いの、
地元の観光タクシーと社名に掲げている会社の運転手だったなーと、
エスカレーターで運ばれた先を歩く速度の50倍で走り抜ける通過列車に煽られ、
あー、こうして都会のリズムやスピードに順応するために運ばれるんだなーと、
ホームのど真ん中にある喫煙室でその日初めてのタバコに火をつけると、
まだ燦々と朝日を浴びる室内でようやくゆっくり呼吸をした気がした。
午前8時52分の東京駅20番線、ホームから新幹線改札を抜けてコンコースを歩き、
山手線5番線ホームに上がり、有楽町までひと駅の電車を2分待ち、
到着した駅を出ると目の前の地下に潜り東京メトロの改札を抜けた最下層から、
あっという間に到着した電車に運ばれた2駅先の最寄り駅改札を抜けた、
その時刻は午前9時07分、東京駅定刻着から15分間で自宅近くを歩いている、
ということが驚きだけれど、前日ほぼ歩くことなく、実家で過ごすばかりの
停止した一日を終えて歩けば30分の距離を噛み合わない会話の15分で過ぎて、
到着した駅からそのまま流されるようにホームにいた自分を
急げ急げと急かしている新幹線をみやりながらのタバコの一服で我に返り、
早朝からの行動で眠いはずなのに眠ることも出来ないままに車内の1時間30分で、
あっという間の東京駅構内では歩く速度の早さに我ながら驚き、
スルリスルリと人波を抜けて知らぬ間に東京時間に馴染んでいる自分に気付き、
我に返った今はここ見慣れた町を何だか安心して歩いている自分にも気付き、
いつもの公園でその日2杯目のカフェラテを飲みながら流れを無理矢理止めた。
15分という同じ時間の体感差に疑問を覚えた朝に気付く足の甲の痛みや、
身体全体の重さを感じながらも、それを自ら振り切るように立ち上がり、
再スタートを切った月曜日の朝から始まる一週間、目覚めから4時間過ぎても、
まだ午前9時30分ということに、長い長い一日になりそうな予感に苦笑いしながら、
自宅に向けて季節が変わって乾いた風が吹くなかまだまだ朝日の光を浴びて歩き出し、
毎年恒例のホットワインの仕込みをしなきゃとスマホの天気予報を確認すると、
ほぼ24時間ぶりにその画面を見たことにも気づき驚かされた。
なんだか不思議な時の流れの24時間を終えた月曜日の朝だった。
令和七年 風乾き枯葉舞い散る朝に
栗岩稔
