2025/11/04 10:00


山形県最上郡金山町に行ってきた。
昨年と同じ時期、主催者と一緒にメジャーリーグのワールドシリーズを
今年もネット観戦したから、全く同じ時期に一年ぶりに訪れた。
今回は雨が降り、気温が下がり、寒かったけれど、古くから杉の産地だった町を
抱くようにそびえる山々の霧が美しく、雨に濡れた100年前に整備された町並みが
昨年にも増してより美しく見えて、また来ることが出来たことがうれしく思える光景だった。

その町並みの中心にある美しい佇まいの屋敷でNPO法人として正式に活動を開始した、
まちライブラリー MOYA Kaneyama に集う各界、各地からの人々もきっと、
この町の美しさに惹かれることだろうな、と思える美しい朝だった。
そこに携わる関係者のほとんどが東京在住で、これからの雪深い季節には活動出来ないし、
暮らすことすらままならないだろう、ということで地元の人々からも
追いたてられるように10月最終週に町での活動を終える最後の日曜日に集いの場を持った。
BAR MOYA と名付けられた今年のお題は、つい見逃しがちな地の酒や、
豊富な果物や農産物、副産物の甘酒といった、地元では子供の頃から身近にあって、
見慣れた品々を他所からの目線で見直すとこうなります、だからもっと故郷の産物を
家庭でも来客のもてなしでも楽しみましょう、という内容で開催された。

こういう会でいつも感じる「銀座から」という枕詞のようなわかりやすい形容詞を、
魔力のように存分に使いながらも、こちらとしてはそんな風に思っていないし、
そもそも自分だって田舎町の出だということとのギャップを感じなからも、
東京のとか、銀座の、を演じているところもあったりするけれど、
そんなことは抜きにして、金山をはじめ周辺地域から訪れてくれたみなさまが、
その時間を楽しんでいてくれただけでうれしいし、そうだったように思える。
なかには一年ぶりに再会したみなさまとも懐かしく、会話の花が咲いたり、
東京と地元に拠点を持って暮らす人や、会社を持っていたりする人との会話のなかで、
今暮らしている銀座一丁目で長年お付き合いしている人の名がその場で突然出てきたりと、
人の縁とかつながりを改めて感じられて面白く、うれしく思いながら時を過ごした。
東京から遠く離れたこの地でまたひとつ、自分が役に立つことがはじまりそうな気配もあり、
それもまたありがたく、来年もこの町に来て地元のみなさまと会うことが出来るかも、
という期待と嬉しさに包まれながら、その夜を自らも楽しく過ごし、翌朝を清々しく迎えた。

心に残る話があった。
地元で生まれ、上京して設計関連の会社を持ちながら家族が出来て子供が生まれ、
それを機に地元にも拠点を構え、地域のために活動している男性が言っていた。
短い夏の終わりに開催される新庄まつりは、地元のみなが熱くなり、一年のなかで
町全体が最も盛り上がる時で、それが終わると秋になって一気に厳しい冬を迎える。
その間は閉じ込められたように暮らし、雪解けのなかに見つける小さな春が、
とても幸せな瞬間で、その時を迎え、待ちわびる前の熱く燃え尽きるようなまつりだと。
その新庄まつりは、260年前の江戸中期、凶作に疲弊していた領民を励ますために、
時の領主が天満宮の祭礼を執り行ったことがはじまりで、これを起源としている。
今は毎年8月24日から26日の3日間に渡るまつりに発展したもので、
その期間のための準備、山車作りからひき手まで町中のほぼ全員が関わる伝統的なまつり。
その歴史や意義を評価された現在はユネスコ無形文化遺産に登録もされているとのこと。
伝統とか文化とか、その地域に長く根付いた暮らしのなかから生まれたモノや事象、
そういうものを外の目線で見直し、評価されたんだろうし、
そうすることによって、長くこれからも残り続けるだろうから、
そんなうれしいことはないし、とてもありがたいことだと思う。
いつか必ず見て参加したいまつりがまたひとつ自分のなかに登録された。

そんな素晴らしい夜を考えながらも都会のスピードにあっという間に戻った今日、
11月4日火曜日、昨日は祝日文化の日で以前から何を持って文化なのかと考えている。
今回も山形への旅で改めて感じた、それぞれの地域で暮らす人々のための、
祭事や年中行事や日々の暮らしのなかから生まれる伝統や文化と言われるものだろうと。
けれど、文化の日は日本国憲法げ発布された日で半年後の施行までの猶予期間のはじまりで、
当時発布された時には日本中がお祭り騒ぎだったと、学校の教科書で絵付きで学んだ。
当時の民衆は詳しい内容までは理解していなかったんだろうと想像出来るけれど、
何故この日に当時の国民がお祭り騒ぎになったのかは想像出来ない、
けれど、これからはじまる新しいニッポンに、戦前戦中戦後の数年間、
長い長い冬のように耐え忍んで迎えた春の訪れのように喜びを感じて、
お祭り騒ぎをしたのかな、と思ってみたりしても、自分がこれまで生きてきたなかで、
日本中が喜びに満ち溢れるようなことは全くなかったから想像することしか出来ない。
当時は新しいニッポンにみなが期待して、希望を持つことが出来たんだろうと思う。

今この世の中は、新しいというより激しく速すぎる変化にさらされている。、
けれど、いつの日かすべての人が少しだけでも喜びに溢れる時がくれば良いと思う。
今年も過ぎた、どこかの町の交差点の仮装行列のようなお祭り騒ぎはダメだけど、
これから先のニッポンに少しでも期待して希望を持てるような時がくれば良いと思う。
こんなことを考えるきっかけにもなった山形県最上郡金山町。
自分が生まれた町は戦後の高度経済成長期に開発された建て売り住宅地。
金山のような町並みではないけれど、自分にとっての故郷の山があって川がある。
上京するまでは気づかなかった、地元にある旨い酒や旨いモノと人々の暮らしの歴史。
それに今また改めて気付き、見直すきっかけをくれたみなさまに感謝はもちろん、
そのつながりや縁にも感謝しながら、伝統的なまつりや文化はないかもしれないけれど、
山があって川があって旨いモノがある町に生まれて今は東京銀座旧木挽町に生きている。

令和七年 何が文化か疑問だらけの文化の日を過ぎて
栗岩稔