2025/10/28 10:00


酒場の一週間を終えた土曜の深夜、すでに日付が変わって日曜日、
午前零時をだいぶ過ぎて帰路にあるコンビニエンスストアに必ず立ち寄る。
酒やつまみの買い物があるから、ではなく必ず寄るのには理由がある。

普段、平日の帰宅後のビールは350ml缶だけれど、あすがおやすみの土曜の深夜だけは、
500ml缶にするか否かという選択肢を、その週の働きだったりで判断するために設けている。
その一週間を振り返りながら、500mlを飲んで良いかどうかを自己診断しながら、
そのコンビニエンスストアに向けて歩きながら考え、その銘柄もその時の気分で変えているし、
その日に決めて買いたいから、土曜の夜の分のビールは買い置きしていない。
だから必ず立ち寄るけれど、もうひとつの理由は、土曜いるスタッフとあいさつをしたいから。
ビールを飲めない気分の時にはタバコを、タバコの買い置きなんか必要ないのに、
間違ってビールの買い置きがある時でも、何かしらの理由をつけて必ず立ち寄る。
それが一週間の終わりの大切な自分だけの帰宅時の寄り道になっている。

そのあいさつをしたい彼はスペイン語圏の地域から来たと思われる若者で、
世間が完全に週末の休息モードに切り替わっているなかでもキビキビと動き、
休日の多いであろう来客のために大量に配達された商品の品出しをしている。
初めて彼の仕事をみた時、その動きはもちろん、周囲に対する気配りと先回りの良さに驚いた。
勝手に抱いていたイメージで、深夜のコンビニエンスストアは怠惰、までは言わないけれど、
緩慢な動きで対応するスタッフが多いと思っていたし、実際にレジ付近での居眠りも見た。
だからあまり期待もせず、昨今定着してきたセルフレジでコミュニケーションすることなく、
目的のためだけに立ち寄っていたことが多かったけれど、彼がいるその夜は、
ボツりポツリと訪れる買い物客の動きを見ながら作業をしていて、
会計を済ませた客全員に声をかけ、彼の存在すら気にかけていなかった客も、
驚いたように振り返って頭を下げたりしていたりと、気持ちの良いサービスで、
しつこくない程度に程好い対応をしている、そんな彼に出会ってからは、
こちらも一週間の終わりの大切な夜を心地好く迎えることが出来ている。

そもそも彼との出会いというか、あいさつをするきっかけになったひと言は、
自分が必ず買うビールを350か500ml缶を買う気分になれずにタバコだけを買った夜のこと、
「今日はビール無し、ですね。」とにこやかに声をかけられ「あ、そうそう、今日は無し…。」
「そうですか、おつかれさまです。」という会計時のほんの数分間の会話に、
何だかうれしくなり、その後も「今日は350ですね。タバコは無しですか?」とか、
何かと言葉をかけてくれるようになり、それからは入店して見かけると
「こんばんは。」とこちらからあいさつをして、会計時には「おつかれさま。」
そんなほんの少しだけのあいさつだけの交流が続いている。
だから必ず土曜の夜には立ち寄り、彼とのあいさつのためだけに寄ることもあった。
帰宅して家人が寝静まっているなかに、物音を立てずにビールを飲みながら、
録画してあった好きな映画をほとんど無音で観ながら、とても静かに一週間を振り返る、
その自宅内で過ごす前のその日最後のあいさつを出来ることのうれしさもあって、
その場にいるほんの数分間を週末を迎えるための大切な時間にしている。

彼の名前はもとより、何故この国に来たかも知らないし、訊ねることもない。
そんなことはどうでも良くて、国籍なんかは関係なく、この町に暮らし働いている、
その事実だけで十分で、深夜の一番大変な時間帯、町はほぼ眠りに入っているであろう時に、
日曜の朝までぶっ通しで働いている、そのことに敬意を表したいし、感謝している。
きっとしんどいだろうし、酔客やらのダメな来客もあるだろうし、
それでも彼はきっときちんと対応しているだろうし、キビキビと働いている彼の姿には、
勇気すらもらえて、来週また新たな気持ちで迎えようという気持ちになれる。
月に一度、日曜の早朝に通りかかることがある時には、制服を脱いだ彼が
魂の抜けたかのように近所の公園のベンチに座っている姿を見かける、そんな時には
心のなかで、「おつかれさま、いつもありがとう」と気づかれないようにその場を去る。

彼だけでなく、町の深夜でも働いている人たちはたくさんいる。
24時間営業の店や閉店後にしか出来ない清掃などの仕事、道路工事の仕事、新聞印刷の工場など。
その多くに、自分が目にした限りでは、日本以外の地域の人たちが働いている。
異国の地に来て働いている人たちそれぞれにドラマがあってここにいるのだろうし、
どんな経緯で来たのかを映画のように想像しながら歩いている。
けれど、母国の言葉ではなく日本語できちんと話し、日本人との会話に支障なく働いている。
そのことだけでも尊敬に値するけれど、きっと伝えたいことが伝わらなかったり、
一方的に日本語で注意されたりすることもあるだろうし、精神的にも大変だと思う。
けれど、この国に暮らし、自分や家族の生活のために働いている。

自分がほぼ同じ時間帯で歩く道すがらの同じ顔ぶれには、
自分にとっては一日の終わりだけれど、今が仕事の真っ只中の人たちを見ながら、
自分に置き換えてもみると、今の酒場にはたくさんの外国からの来客があって、
その会話には英語が中心で何とかかんとかコミュニケーションをとれているけれど、
会話という意味では全く覚束ないし、伝わらないことへの心配もある。
けれど、仕事の内容で感じてもらえるはずと外国からの来客に対応している。
けれど、まともに出来ていないから、深夜に出会う人たちのように、
自分が異国の地で暮らし働くことなんて出来ないだろうなと思う。
だから尊敬に値するし、言葉を交わすことはないけれど敬意を持っている。

若い頃、ニューヨーク、マンハッタンでの仕事の話がいくつかあったけれど、行かなかった。
一日中マンハッタンを散歩しながら考えたけれど、帰国前に断りのあいさつで済ませた。
あの街で働くことを夢見ていたこともあって、すぐ目の前にある切符があったのに行かなかった。
あの時、何かしらの理由というか自分に言い訳をして、銀座に出てくるタイミングに、
それを理由にして、まずは日本、東京、銀座でと言い訳をして行かなかった。
それは理由でも何でもなくて、言い訳であって勇気がなくて逃げただけだった。
子供の頃からずっと、すぐに逃げ出す、投げ出すサイアクの自分がそこにいた。
結局流れ流れて日本、東京銀座にいる今では、逃げることもなく逃げ場を無くしてここにいる。
あの頃はダメだったな、と考えながらこの町の寝静まった時間を歩いている。

今日も明日も明後日もずっと、深夜零時を過ぎた静かな町で働いている。
ニッポンの政治の世界では、新しいというより政権交代のような新しい内閣が誕生した。
政治の話しはするつもりはないけれど、外国人に対する文言や発言が耳に入ってくる。
そんなことでこの国の将来は大丈夫なのかな、と考えている。
もちろん、不法や違法は国籍問わず誰でもダメだし、問題だけれど、
外国人がどうこうという問題ではないし、この町の暮らしを支えている人たちのなかには、
政府が言うところであろう外国人がたくさん働いているけれど、
あの人たちがいなければ、立ち行かないことがたくさんあると考えてもいる。
本当に大丈夫かなー、ニッポン…。

今までこんな感覚はなかったけれど、この国の将来を憂いている。
だいぶ前、何とか財団のコマーシャルで人類みな兄弟、と言っていた。
たしかに、そうだと思う。
人類は長い長い間ずっと、諍いが続いている国や地域はまだたくさんあって、
兄弟にはなれないかもしれないけれど、お互いに敬意を持って暮らしていけるように
少しずつ問題を解決しながら、そうなれば良いと思うし、それを願っている。
それはニッポンでも同じ、そう思いながら今日も深夜零時過ぎても明るすぎる町を歩いている。

令和七年 English Man in NEW YORK を聴きながら
栗岩稔