2025/10/21 10:00

90歳も半ばを迎えようとしてもまだ新聞を読む父が言った。
「この月曜日ってなんだ。」「えっ?」「だから、月曜日ってなんだ。」
「月曜日は月曜日でしょ。昨日は日曜日で今日は月曜日。だから昨日は自分がいたんだし…。」
「そうか…。でもあれだな、この月曜日ってのはわからないな。」
逆さ霧が美しく山を降りる早朝のひんやりした町を歩きながら、
帰京する新幹線の時刻に急かされるように急ぎ足で歩き駅に到着した。
時刻表を見上げると予定より早い、たった10分だけ早く東京に着く列車に気付き、
大した予定もないのに予約変更をして自らを地元から煽り急き立てるように乗車した。
駅までの歩く速度の50倍の速さであっという間に逆さ霧がまだ残る山から遠ざかった。
ほぼ眠れていない前夜の睡眠不足を補うため、いつものように通路側の席に身体を沈めた。
休日とは違う車内の空気とパソコンをたたく音が響くなかで新聞をめぐる音に気付き、
今時の車内では珍しい久しぶりの音を近くに感じ目を開けると、
通路を挟んだ隣の席の若者の新聞を読む様子に何だかうれしくなり、しばらく眺めていた。
頁を送られるそれが朝5時に父親か読んでいたものと同じ新聞社の枠外に目が止まった。
そうだよ、今日は月曜日だよ、今ここにいる人はきっとほぼ全員、
そんなことを意識していないだろうし、休み明けの週の始まり、仕事のはじまりで、
あーだるいなー、と感じていたり、気合いに満ち満ちて始まりを迎えていたり、
様々なんだろうと思うけれど、月曜日ってなんだ、という疑問は抱いていないと思う。
自分ももちろんそうだったし、今朝まてずっとそうだった。
年老いて、少し記憶が曖昧になった父親、勤続50年で表彰までされるほどに、
勤勉に働いていた父親がわからなくなった月曜日ってなんだろうと思い、
眠かったはずの身体が覚め、沈めた身体を引っ張り上げて考え始めた。
ほぼ全員が動き出す月曜日ってなんだろう。
子供の頃は学校がはじまる、憂鬱でしかない月曜日で、社会に出た時は百貨店勤務。
だから日曜日が休みではなく、土曜日曜の繁忙のピークを越えた通過点で、
特にバブル経済期の人気ブランドのアパレル勤務だったから客足が途絶えることなく、
日曜日の夕方まで休憩がなく、誰もいないなかでテレビだけが空しく流れる休憩室で、
オーバヒートした車のボンネットから吹き出す水蒸気のようにタバコの煙を吐きながら、
ちびまる子ちゃんを観て初めて、あー、あすは月曜日なんだな、と思うくらいだった。
その後は日曜日が原則休日の会社勤めだったから、たまの休みの日曜の夕方に、
笑点、ちびまる子ちゃん、サザエさんの流れで酒を飲み、唯一の休日の夜を迎え、
酒を体内に残したままコーヒーを飲んで目覚めを迎えるのが月曜日だった。
鎌倉の酒場では月曜の定休日に外に出かけて、飲み食いするにしても周りは平日、
だからさほど込み合っていることはなく、世間が忙しなく、だるそうにはじまった月曜日、
自分は月曜日が休日の時期を過ぎた後はずっと、日曜日が一応の休日だった。
今もそう。だから月曜日ははじまりの平日であって、日本ならではの週のはじまりの日。
それ以上でもそれ以下でもなく、月曜日ってなんだ、と言われると答えに困った。
今は月に一度は日曜の夜に父親と夕食をともにして月曜日の朝を迎えている。
これから帰京して午後から仕事、という月曜日の朝の感覚に戸惑うこともあるけれど、
月曜日という意識はせずとも自然に緊張しながら、朝目覚めている。
それは自宅でも実家でも同じで、日曜日は特に早く寝入ってしまうから、
どこにいても早朝、かなり早く、今の季節はまだ陽が昇らないほど早くに目が覚める。
身体は起きて活動を始めているから月曜日は長い一日になる。
社会に出て35年あまり、ほとんど週休二日などしたことがない生活のなかの月曜日。
はじまりだったり、休日だったりの一日で、改めて月曜日ってなんだ、を考えてしまった。
月火水木金土日、欧米だと日月火水木金土、英語の曜日を覚える唄があったし、
月曜日は市場に出かけ~♪というロシア民謡の日本語訳の唄もあった。
けれど、月曜日ってなんだ!
古の人々が空を見上げた、あっちに行ったりこっちに行ったりと動き回る星を見つけ、
名付けられたのが惑う星で、惑星になり、当時は地球が中心だったから、
一緒に回る太陽と月、それ以外に見えた5つの惑星。だから日月火水木金土で、
時間と空間を支配する7つの星を神が支配しているという考えから一週間になり、
新月から満月までの日数28を7で割ったもので4週になり、誤差を調整して暦になった。
我がニッポンには9世紀に空海が修行から持ち帰り、吉凶の占いや貴族間だけで用い、
それが民衆に広まり、江戸を過ぎて明治初期の西洋化を進める政府が取り入れた西暦。
それからまだたった150年の今現代人にはこれが何の疑問を抱くこともなく、
与えられた決まりのうえで、さも命じられたように、特に日本では月曜日からはじまる。
昭和一桁生まれの父は90年以上使い慣れていた曜日に突然疑問を抱く状況になった、
ということ自体が興味深いし、そういう自分も今こうして改めて考えることになった。
刷り込まれた日曜日の次の日、火曜日の前日で一週間のはじまりということに、
何の疑問も持たなかったけれど、江戸の町の人々と今の人々では全く違っている。
たった200年ほどの間でこんなに違ってくるものなんだなと思いながら、
もう長らく社会から閉ざされた自宅の居間で唯一社会の窓口である新聞を読みながら、
思い付くままに話した疑問で気付きを与えてくれたことに感謝すらしている。
きっちりと毎朝8時15分に家を出て夕方6時には居間の自席に座り、
ニュースを観ながら晩酌を始め、この時期だったらプロ野球日本シリーズを観戦して、
時間になると寝床に入り、朝5時には起きて新聞を読むという父親の一日の流れが、
今では曜日はもとより一週間の流れすら定かでなくなった父親の時間そのものが、
止まったり戻ったり、ゆっくり流れたりしていることが理解出来たし、
自分は出来るだけそれに合わせて話したり、接したりすることを心がけようと思えた。
当たり前なはずなのに出来ていなかった自分に気づかせてくれた父親に謝りたい。
言ったところで、なんだそれ、ぐらいだろうけれど、この先数少ない二人きりの夕食、
月曜日の前日の晩酌無しの夕食を少しでも美味しく楽しく過ごしてもらいたいと思う。
そんな今までにない心持ちで向き合えるようになった自身も歳を取った。
そんな風に感じながら、また月曜日の前の夕暮れを迎えている。
今夜も早くに寝てもきっと早朝、ようやく陽が昇る頃には目が覚める。
今日は日曜日、あすは月曜日、国が定めた暦通りに一週間がはじまる。
けれど、自分にとっては大切な酒場のはじまり月曜日。
最近、ちびまる子ちゃんは観なくなったけれど、同い年のまるちゃんに会いたいと思う。
大都会の片隅で郷愁の念に包まれながら、日曜の夜を迎えても良いのかな…。
いずれにしても、あすは月曜日。今のところ誰がなんと言おうと月曜日。
令和七年 月曜日って何ですか?
栗岩稔
