2025/09/30 10:00

あすから10月、あと3ヶ月ですね。
どうされてますか?
この酒場でも、街中でも、ラジオでも、あと3ヶ月で今年が終わる、早い、早すぎる。
そう声が漏れ聞こえるし、もちろん自分も早いなー、と思う。
以前どこかで書いたけれど、歳を重ねれば重ねるほどに早く感じるのは、
残された年数に応じて分母が小さくなる、例えば残り20年だったら1/20年、
残り50年だったら1/50年ということになって、感じる速さになっている、
とどこかで誰かが言っていて、なるほどと妙に感心したことを覚えている。
まあそうは言っても、あと3ヶ月で2025年、令和7年が終わり、2026年、令和8年が粛々と始まる。
これは単純な時間の流れで、その流れのなかで自分が何をしているのか、
ということが大事なんだろうと思うけれど、自分自身は特に何をということはなく、
ひとつひとつの物事や事象を大切にしていくのだろうと思う。
ということで、出雲国以外では神無月、神の国ニッポンの新しい月がはじまる。
世界では相も変わらずワサワサしている。
世界各国が協力するために80年前に創設された会議の場では、
各国が宣伝のような演説をしているし、自国第一主義というよりも、
自分第一主義としか感じられない発言をする大国の首脳がいたり、
その機を狙って、ここぞとばかりに協調路線を出してきて、
世界で足並みを揃えましょうと発言するアジアの大国の首脳がいたり、
それをただ放送しているメディアばかりだったり…。
それぞれの国や地域で生きていること民については、そっちのけな感は否めない。
目線を移してわが国ニッポンでは、総裁の椅子を巡って、
一般人には選ぶ権利のない討論会や選挙演説をメディアも盛り上げて論戦を広げている。
昨年と同じ顔ぶれのなかの誰かがまた、とりあえずの首脳になるのだろうけれど、
一年前にも同じこと、あれはたった一年前のことだったのに、
もっと遥か前のことのように感じたり、その前の首脳は誰だったっけ?とか、
暗殺されたのはいつだったったけ?と、わが国の政治については特に時間軸がずれている。
TOKYO2020を2021にしたのが5年前の首脳で、その間に何人だっけ?みたいな、
半ばあきらめに近い不思議な感覚にもなっている。
人類にとっては唯一平等なこの時間がそれぞれにどう感じられたんだろうか、
と思うけれど、熱弁を振るう彼らを眺めながら、また来年の同じ時期がどうなっていて、
もしかしたら同じことをまたしていたりして、とか考えてみたりもする。
けれど、想像もつかないこの世界情勢のなかで、この国の将来をどう導いてくれるのか、
導いてくれる人物が出現すれば正直なところ誰でも良いし、この混沌とした世の中で、
それぞれが生きていけるようになることが一番大切なんだろうと思うし、
私利私欲ではなく公人として強い力で率いて欲しいと思う。
そんな冷めた熱弁のなかの言葉を聴いていると、命をかけてと言っている人がいる。
本当に命懸けで生きている人がこの世の中にはたくさんいる今、
この時代に軽々しく、もちろん軽々しく言ってはいないんだろうけれど、
そう熱く語っている言葉を聴きながら、本当に命を懸けてるんですか?
そう訊ねてみたくなるなーと思いながら、一生懸命という言葉を考えてみた。
一生命を懸けて取り組むという意味なんだから、そういうことなんだろうし、
言い換えれば全力を尽くす、一心不乱とか、そういうことなんだろうけれど、
そもそも「一生」懸命は「一所」懸命で、まだサムライの時代の話で領地を持った武士が自身の土地を命を懸けて守る、
ということから生まれた言葉で時代とともに「生」と「所」が混同されてきて、
今では一生懸命が広く使われているようになってきたはずで、
まあ、だから政治家のみなさまが日本という領土を命懸けで守るという意味では
合っているんだろうけれど、本当にそうですかねと、半信半疑であることは間違いない。
武士の世界では本当に命を懸けていたはずだし、切腹など自死を選択して、
その責任を果たしていた時代なのだから、まさに一所懸命だったんだろうと思う。
なんて色々なことを考えながら徒然と書き綴ってはいるものの、
誰にとっても2025年、令和7年の終わりまであと3ヶ月であることは事実だし、
命懸けでとは言わないまでも、みなさま大切に生きていますか?と思うこともある。
もちろん自分にも…。
かかる時間や経費の効率だけで考えてませんか?
時間がかかることにあえて取り組んだり、
自分に投資と思ってお金をかけることも大切じゃありませんか?
かかった時間や経費に対する価値だけで動いていたら、
殺伐とした世の中ななりませんか?
どんな時間も無駄な時間はないと思いますよ、たぶん。
最近特にそう思っています。
あと3ヶ月ですよ。
だからと言って焦る必要はないと思いますがね。
時間は勝手に流れますから、自身のリズムて大切に生きてみたら良いと思います。
もちろん、関わる人との約束だったり、家族、大切な人との時間だったり、
そういう大事な時間は死守したほうが良いと思います。
相手のことを想うことが大切なことだと心から思っていますし、
自分にも言い聞かせています。
そんなこんなで新しい月があすからはじまりますね。
私にとっては新たな一年のはじまりの月です。
だからまた、日々を楽しみながら生きてみます。
身体はしんどくなって、どこまでもつかなと思ったりしますが、
気力と体力の均衡は保っていますのでご心配なく。
出来るだけ良いカタチで歳を重ねていけるような気がします。
周りからどう見られているかわかりませんが、自分はそう思っています。
今「一生懸命」に、あと17回の秋を楽しむために生きていると思います。
今朝、東京メトロの券売機で困っている外国人観光客の家族がいました。
日本人乗客の対応をしている駅係員がいたから大丈夫だろうなと思っていたら、
すぐにいなくなってしまいました。
だから、何かお手伝い出来ますか?と声をかけたら、ありがとう、大丈夫。
今主人がスイカを買いに行ったから。と聞いて安心したので、
良い一日を、と挨拶をしたら、あななたもね。と返してくれました。
最近特に、このやり取りと言葉が好きです。
人にも街にもやさしいニッポンであって欲しい、そうつくづく思います。
令和七年 東京の空にいわし雲を見た朝に
栗岩稔
