2025/09/16 10:00


秋雨前線の影響で久しぶりの大雨になったけれど、昨今の雨は酷く激しく、恐怖さえ感じながら、
美しい雨というわけにはいかず、被害を出すこともあるから軽々しく口にしてはいけないように思う。
けれど、やはり秋には一番美しい言葉が多くあるように自分のなかではそう思っている。
晩夏からはじまる初秋、仲秋、錦秋、晩秋という季節の移ろいを表す言葉はもちろんのこと、
秋雨にしても梅雨前線の時節のように、じめじめした季節のはじまりに気が重くなることもなく、
秋雨前線によって季節が移ろっていくことを表された文字からも感じられる。

まあただ、自分の生まれた季節だからということも大きく影響しているような気もしている。
実際に「稔」という漢字の成り立ちは、穀物がみのるという意味を持つ「念」に
植物を意味する禾偏を組み合わせ、特に稲穂が実る頃を表す形成文字なのだから、
美しいかどうかは別にして、10月生まれの自分にこの名を授けてくれた両親に感謝している。
栗・岩・稔と秋の漢字が2つも入る名前、子供の頃には堅くてあまり好きでなかった、
この名前も最近なかなか良いかもという心持ちになってきているものの。
前述の植物が成熟して充実するという形成文字の意味が転じて、
経験を積んで成熟するという人間の状態に置き換えて使われることもあるらしく、
自分が成熟しているかどうかはさておき、良い漢字だなーと最近特に感じている。

この季節が好きなもうひとつの理由に大相撲秋場所があることも大きく影響している。
その大相撲は元来、神前での奉納儀式に由来するところもおおいにあるから一番似合いの季節で、
そもそもこの稲穂が実り、刈り入れ作業が季節の移ろいに伴って稲刈り前線のように、
日本列島を進んでいく時期でもあって、この刈り入れなどの収穫作業を終える頃には、
古来からある稲作信仰の一番の季節になり、豊作を祝い、一年の苦労を労う奉納の祭りだったり
普段は雑穀などを主食としている庶民がこの時だけは新米を供えて食し、お神酒を酌み交わすという、
何かと民衆の生活に根付いた年中行事のなかでも一番盛り上がる季節だと思っている。
そんな稲作をはじめとした農家の方々には普段からありがたさを感じながら食事をしているし、
主食となる米については特に一粒も残さないように心掛け、生産者すべてに感謝している。
だから常日頃、第一次産業に携わる関係者すべてにもっと光が当たれば良いなと思ってきた。

けれどこの一年間というもの、令和の米騒動などという言葉で、ひとくくりにして報道され、
生産者そっちのけで価格の話題ばかりが報道内容の大半を締めていた。
学校で学んだ減反政策などの農業政策や流通そのものの仕組みなどの収まらない問題があって、
もっともっと市場開放などをして自由経済の市場に広げていくことも必要なんじゃないか、
などと自分なりに考えてはみるものの、これまでそういう政策で農家を支えてきたのだろうし、
古くは米が税金の代わりだった時代には、集落の支配者と収める側の庶民の関係性もあったし、
なかなかな根深い問題なんだろうと考えてみたりはしているこの頃。

この話題が出るたびに子供の頃に母親の実家の稲刈りを手伝いに行った時のことを思い出す。
両親が汗水流して手伝いをしている傍らで手伝いどころか畦道で遊んでいて、猫の手にもなれない、
たしか小学校高学年の少年にとって、本来であればありがたいはずの昼ごはんも、
田んぼのわきにシートを広げてお弁当を並べておにぎりを食べるという、
多感な頃の当時の感覚では田舎臭い感じがとにかく嫌でふてくされて困らせていたあの苦い記憶。
今となってはあんなに豊かで有難い労働と食事の時間を体験出来たことがどれだけ
幸せなことだったかと解ってはいるものの、あの頃はとにかく嫌で、翌年は行かなかったと記憶している。

学校から帰ると自分でおにぎりを作っておやつ代わりに食べて遊びにいくほどに好きだったのに、
あれほど美味しいおにぎりをまさしく頂いていることがわからなかったあの頃。
そんなことを思い出させるこの秋には、義兄の稲刈りを手伝いにいくことになっている。
年中地元を留守にしている義弟の代わりに両親の面倒をみてくれたりしていることや、
これまで35年間の東京生活を送ることが出来たことも義兄の存在が大きかったことは間違いなく、
先祖代々受け継いできた田んぼの一年の締めくくりの作業に少しでも役に立てたら嬉しいし、
あの時の自分に対しての反省と嫌な思いをさせた周囲の大人への償いの気持ちもどこかにある。
義兄の父親が他界して手が足りないことは事実でしかも日々の勤務がありながらの作業になるから、
そんな締めくくりの収穫作業に少しだけでも力になりたいと思っている。

数年前にもこの時期、確かあの時はもっと後半だったはずでその日程の前倒しにもまた気候変動を感じ、
あの時に手伝いをしながらも刈り入れた稲穂の束をはぜかけする作業がとても楽しく、
はぜかけをして風をあてて水分を少し飛ばすことで甘みが増す、脱穀精米の前の大切な作業だと学び、
労働のあとのおにぎりをとても美味しくありがたく頂いたあの時が懐かしく、
腰を悪くしていた義兄の父親が束になり損ねて落ちた稲穂を一本一本拾い集める姿に、
改めてありがたいということを感じた。

だからなおのこと、今時の報道ネタのように扱われる令和のなんちゃらに対しては辟易しているし、
もっともっと直接関わる方々のことを考えた政策なのか、流通なのか、
これまでの慣習を変えるのは並大抵のことではない「改革」がされていくことを心から望んでいる。
けれど、この国のお偉いさん方の考えなんかわかるはずもないから、自分自身としては、
この秋も稲刈りを手伝えることに感謝して、収穫することの悦びを身を持って感じたいと思っている。
決して遊びではないと自分によくよく言い聞かせながら今日も秋雨前線の行方や、
この先の気象予測や情報を東京と地元の双方を今まで以上に集めてにらめっこしながら、
現代の技術の進歩でより詳細で精度の高い予報に感心しながら、
自分が行くことが出来る日程で刈り入れが出来れば良いなーと思う大雨の夜。

とにもかくにも、実りの秋、稔という名の自分がいる。
もちろん、芸術の、読書の、も好きな秋で、
残念ながら、食欲の、はない秋です、はい。

令和七年 この季節にまつわる自分を想いながら
栗岩稔