2025/08/26 10:00

言葉が出てこない。

毎週火曜日にほぼ3年間欠かさず更新してきたこの散文。
1000から1200文字、原稿用紙にすると約3枚ほどの言葉が出てこない。
いつもの流れだと、大概毎週土曜日には書き終えている。
それまでに感じたこと、考えたこと、酒場で起きた物語や出来事や人や酒、
散歩しながら出会ったことやモノなどなど、さまざまな事柄を
自分なりの視点、観点で徒然と独り言のように書き綴ってきた。

けれども、今週は言葉が出てこない。
まあでもさ、別に1回、2回は更新が遅れても良いじゃん、と言っている自分がいる。
いや、それをしたらまた、お前のことだから今後ダラダラとテキトーで
ダメな人になって、これまでと同じだぞ、そう言っている自分もいる。
そんなことを思いながら、今こうして書きだしている自分がここにいる。

本を読むことを老眼を言い訳にして、自身の体力の衰えや暑さを言い訳にして、
燃費よく持続させるからと言い訳を重ねて体力を保持するために、
知力向上や情報収集欲を疎かにしてきた自分にも気づいているし、
やっぱりダメな自分がいまだにいるということを思い知らされている。
だけど、ひとまず書き始めている。

こう書きながらまた、子供の頃にとても作文が苦手だったことも考えている。
宿題で出された読者感想文は課題図書のはじめと終わりの解説だけを読んで、
テキトーにまとめて読者感想ではないものを提出したり、
最も苦手だった作文についても超テキトーで、いつかの宿題では、
学校内で選ばれたものが市内のコンクールに出されるというもので、
それもテキトーに指定文字数を埋めるだけの文章を仕上げて
提出しようとしていたそれを、たまたま見つけた姉が激怒して取り上げて、
あっという間に書き直して、というより新たに書いたそれを自分が写して提出して、
結果的に、5つも年長で優等生で優秀な人が書いた文章だから当然評価が高く、
クラス内で選ばれ、自作ではないことを言い出せず知らん顔をして、
内心ビビりながら過ごしていたところに、またその先も選ばれてしまい、
コンクールに出品されることになり、もうどうしようもなくなって、
傍観者になるしかない自分がそこにいて、もっとサイアクなことに、
地元のラジオ局の番組内で朗読されることになって、もう誰にも言えない、
姉弟の秘密になり、自分は抱えこんだままに年月をやり過ごしていたこと、
もう多分時効だろうから今こうして書いているけれど、
かなりの長い期間、今でもコンプレックスになっているし、
親戚、家族、近所のおばさんたち、あの時のクラスメイト、
担任だった国語教師に申し訳なく、引け目しか感じていない自分がいる。

だからなおさら強烈にその内容は覚えている。
タイトルは「キャッチボール」で細かな文章は覚えていないけれど、
本格的に野球を始めた自分とわりと遅くに長男をもうけた父親の物語で、
高学年になると毎週日曜日のキャッチボールが父親の体力では追いつかず、
出来なくなってしまって寂しいとか、そういう内容だった。

実際にだいぶ遅い子供だったから、無理矢理頼んでしていたある日曜日に、
父親の古いグローブの革ひもが切れて、顔面に軟式球があたり、
それっきり言い出せず、やらなくなったことを覚えている。
そんなことが題材になった文章だったから、きっと良かったんだろうと思う。

放送当日、ラジオから流れてきたその朗読、栗岩稔という知らない人の文章を、
口の中に広がる酸っぱい唾液と自戒と反省のまま暗い部屋でひとり聴いた。

今でも毎週文章を書き出す時には、苦い後悔しかないあの時を思い出し、
文章を書き公開することの責任というものを肝に命じながら書いている。
その都度、本当に申し訳ないことで取り返しがつかないことをしたと思っているし、
情けなくダメな自分がこうして毎週火曜日に公開することを自戒としている。

幸いにしてあの頃から45年以上が過ぎた今では、その道のプロのみなさまから
高い評価をいただくこともあることは純粋にうれしいし、
少なからず、毎週楽しみに読んでくださるみなさまもいてくれる。
だからなおさら、あの時の事実があることを忘れることなく、
コンプレックスと反省と自戒の上に立った文章であることは間違いない。

ここまで継続しているのだから、これからも欠かさず、
犯した罪を償うためにも更新していきたいと思っている。

今ここで改めて、あの時の担任の斎藤先生、西小学校の同級生、
関係者のみなさま、ラジオを通して聴いてくださったみなさまへ、
本当にごめんなさい。

今はきちんと自分の言葉で書いていますし、これからも続けていきます。

令和七年 夏休みも宿題も何もかもが苦手だった自分に
栗岩稔
追伸、おかげさまで‥、言葉‥、出ました‥。