2025/07/01 10:00

7月になった。梅雨時だかなんだかわからない。
かといって梅雨明けしたところで、その後に待ち受ける酷い暑さを考えると、
待ち遠しいかどうかもわからないけれど、子供の頃はまだ少しだけ、
夏の夕立や梅雨明けが待ち遠しかったような気もするし、あの感じは好きだった。
7月といえば、山開き、海開き、七夕祭り、旧暦盆、納涼まつりに風鈴、すいかにかき氷、
京都祇園祭、大阪天神えびすさま、博多祇園山笠、花火大会、線香花火、などなど、
年中行事や楽しみなイベントが盛りだくさんの子供が喜ぶ7月だけれど、
個人的には大嫌いな水泳授業の始まりと7月後半に夏休みを控え、
その期間中もほぼ毎日通わなければいけない、皆が楽しいはずの水泳教室は、
泳ぐことが苦手でほぼカナヅチだった自分にとっては毎日毎日腹痛や風邪、
のフリをしてサボりたいほどに苦手な7月、夏のはじまり、はじまりー、で、
きっと今の自分を知る人が聞いたら、信じられないほどのインドアな子供だった。
もちろん、大好物のすいかや近所のおばさんからいただく、
高級なモノではなく庶民的だけど名前がプリンスという皮がツルっとしたメロンや、
カッブ入りのかき氷を縁側で食べたことも良い思い出だし、懐かしく思い出す。
すいかの種を取ったり出したりすることなく、メロンは種の周りも全部頬張って、
飲み込む自分を注意する年の離れた姉は種が苦手で一切れ食べる間に、
こちらは三切れ食べ終えて、いつかは出るから大丈夫などと子供ながらの主張をし、
かき氷を食べたあとの口のなかが変なピンク色を鏡に写したりしたことや、
暗くなるまで学校のグランドでしていた野球と夕暮れのカラスに追い返された山遊び、
などなど、たくさんの思い出はあるけれど、苦手なことばかりの7月の子供。
近所に友だちがいない、というよりも休日にわざわざ会う友だちがいなかったから特に、
ひとり遊びの夏で、夏休みそのものと、宿題、自由研究、天気観察日記、
ほぼ毎日の水泳教室を控えた7月はたまらなく気持ちが重かったことを覚えている。
明確に記憶していることはほとんどなく、ぼんやりと途切れ途切れの断片だけで、
家で何をしていたとか、話したことや出来事や物事は全く覚えていはい。
よほど消去したい夏休みというか7月だったのかな、と思うこともある。
かといって、当時の知人や同級生に今尋ねてみようにも縁がなくなっているから、
連絡先も解らずに同級会的な集まりに誘われることもないから、どうしようもない。
こちらから繋がりを断ち切ったり、不義理をしてきたのだから、今さらしょうがない。
だから、断片的な映像記憶をヴィム・ベンダース監督映画「パリテキサス」のように、
頭の中でアルバムのように整理しておけばそれで良いかな、と思うけれど、
歳を重ねていけばいくほど、きっとそのアルバムも消えていくのだろうから、
それはそれで、またしょうがない、と思う。
もちろん、大人になりかけや背伸びをしたり、大人になってからの7月は、
酸いも甘いも苦いもしょっぱいも、たくさんたくさん覚えている。
覚え過ぎていて、恥ずかしかったり、悲しかったり、辛かったり、苦笑いしたりするし、
それにはほとんど音楽がセットになっていて、サザンオールスターズを筆頭に、
チューブ、杉山清貴とオメガトライブ(カルロス俊樹では決してなく!)
山下達郎、稲垣潤一、テレサ・テン、吉幾三に江利チエミまで。
チューブの前田さんが叫んでいた「♪あー、夏休みー」という歌詞に、
何が夏休みだ!と突っ込みをいれたり、それぞれの歌詞に重ね合わせて聴いていたし、
スナックでおじさんが唄う上手ではないムード歌謡曲を酒のつまみに酒を呑んだりと、
まあ、いろいろあるけれど、人様に話せるようなことはひとつもない。
本や映画の中の7月、これもたくさん、いろいろありすぎて書き出したらキリがない。
けれど、今でもたまに思い立った時には読んだり、観たりする作品がひとつある。
それは、湯本香樹美著「夏の庭-The Friends-」とそれを原作にした同名の映画。
自分ではない記憶なのに、あたかもそうであったかのように7月になると思い出す。
その内容は、廃墟同然の一軒家にひとり暮らす老人と夏休みになった小学生男子3人。
高学年になって皆それぞれに何かしらの問題を抱えながら冒険したい夏に、
自分のこと、生と死、友だち、大人になることを描いた素晴らしい作品だと思う。
自分にはない思い出だけれど、10歳の時に目の当たりにした友だちの死までは、
たくさん、いろいろあったんだろうと考えてみても残念ながら覚えていない。
近所に住んでいたから一緒に山に行ったり野球をしたりしたのだろうけれど、
あの出来事以来、他の記憶は無いに等しいし、消している、ような気がしている。
彼の顔や声ははっきり思い出すことは出来るのに、それ以上のことはなく、
誰かと遊んでいた時に出来た大きな怪我の跡は膝に残っているけれど、
細かなことは全く覚えていないし、その日家に帰ってからのことは、
後になって姉や両親に聞かされたから知ってはいるものの感情も一緒ではなく、
事実として知っているだけのことだから、「夏の庭」で描かれているような夏、
友だちと過ごした時間が羨ましいと思うし、積極的に誘ったりしなかったから、
なおのこと仲間や友だちという存在が羨ましかったりするのだろうとも思っている。
子供の頃の数少ない居場所や拠り所のようなことに覆い被せるように、
嫌いで苦手なことが目白押しだった7月のことだけれど、こう書いていること自体、
記憶や思い出なのだから、これで良いんだろうなと、決して悲嘆に暮れることはないし、
かえって今は夏が好きなおじさんになった。
あーそういえば今日は姉の誕生日だ、ということは夏が終わった頃には自分も…、
あと残り13回の夏を楽しまなきゃ、ですよ。
けれど、それにしても暑いぞー、
夏は夕暮れ、夕立あとの夏の風は何処だー、
まだ東京で蝉の声を聞いてないぞー、
故郷では早々と鳴いてたぞー、
やっぱり暑すぎ、なのかな…。
令和七年 蚊取り線香の香りが懐かしい今に
栗岩稔