2025/06/17 10:00

このところ特に海外からの訪問客が多く、俗に言うインバウンド需要もあるのかもしれないけれど、
彼らの国や暮らす街にはないであろう日本のスタイルの酒場を楽しむために来てくれている、
そう思っているし、数多ある銀座地区の酒場のなかで選んでくれたこの酒場で過ごす時間が、
良い時間で日本を訪れた経験のなかで良い経験のひとつになれば幸いと思いながら、
こちらにしても、お国柄というか、それぞれの考え方や飲み方の違いのなかにある、
その国それぞれの酒のスタイルやコミュニケーションを楽しませてもらっているところもある。
けれど!唯一共通の言語となる英語のコミュニケーションで脳ミソが沸騰するような感覚で、
この歳になっても学び多く、我ながらガンバッテいるんじゃないかなー、と思う。
いつかの土曜の深夜、間もなく閉店を迎えようとする時間の満席の酒場では、
日本語が一切聞こえてこない酒場に身を置きながら、この仕事をすると決めた三十歳目前にした頃、
あの時に考えを巡らせて出した答え、扱うモノと仕事の内容は世界共通であるし、
仕事の仕方ひとつでコミュニケーションが取れて言語となるはずで、評価もされるはずだから、
日本にとらわれずに世界のどこかの街で仕事が出来るようになる、そうなりたい、
何の根拠もないけれど、強い思いは持ってこの世界に足を踏み入れた時を思い出したし、
その際に相談した、新宿の老舗バーのマスターが快く迎え入れてくれたその店のスタイルは、
日本に来ているのだから日本語で良い、郷に入れば郷に従えなんだから、と常々マスターが言っていたし、
その変わらない酒と店とマスターのスタイルで確固たる地位を得ていたし、
一切迎合せず揺らぐことのなかったあの信念や仕事の仕方が今になって身に染みると感じたし、
いずれにしても今はもうないあの酒場の時間が今につながる始まりだったことは間違いない。
ちなみに、ここまで訪ねてくれたみなさまの国や地域を挙げてみると、
米、英、仏、露、独、伊…、こう漢字の表記では戦前戦後の日本を彷彿とさせるけれど、
北中米ではカナダ、メキシコ、アジアからは中国、韓国、香港、台湾、シンガポール、
さらにトルコ、サウジアラビア、イスラエル、ノルウェー、スウェーデン、永世中立国スイス。
こんなにもたくさんの国や地域のみなさまに会うことが出来ること自体がうれしく思うし、
「ガイジン」に対する劣等感というか不慣れな、鎖国をしていた国、日本の典型的な国民の自分から、
少しだけ脱却することが出来ていると思っているし、客観的に見てみても、だいぶ遅すぎるけれど、
世界共通「言語」だと考えた仕事を選んで、続けてくることが出来て良かった、
そう心から思える日々を過ごしているし、小さいけれど世界に開かれたこの酒場で、
これからもどこかの街につながっていられれば良いと思っているし、
オーバーツーリズムではない心地好い酒場でありたいと心から願っているから、
これまで以上に精進して、脳ミソフル回転して学び続けたい、そう思える。
そんな日々のなかでつい先日、最近頻繁に行くことの多い地元の街を古くから走る私鉄ローカル線で、
終点でもあり、折り返し始発となる駅の小さなホームで列車(と言っても二両編成!)を待っていた時、
最近導入されたキャッシュレス乗車のためのQRコード読み取り機が人間にとって変わった改札で、
明らかに困惑している、たぶんその温泉地の住民と思われるお婆さんの様子に気付き、
一歩足を踏み出そうとしたその時に一足早く小走りで近づいた欧州からとおぼしきカップルの男性が
その操作を手伝い、杖をつく反対の手を引いてベンチにエスコートしているその様子に、
一瞬の戸惑いで一歩出遅れた自分と何人もが素通りしていった日本人を恥ながら、
何事もなかったかのようにのんびりと入線してきた電車に乗り込み、車内で一番端の席に腰を落とした。
穏やかな発車ベルと案内でゆるやかにのんびりと走り出した電車に揺られ、
通りすぎる田園風景に心を落ち着かせた頃、にこやかに近づいてきた、かの彼からの、
「英語、話せるよね?」の問いかけに少しだけ動揺しながら「少しだけだけど…。」と返し、
彼に続いて車内を進むとそこには、小さな紙切れを手に地の言葉でしきりに話しかけ、
何かを伝えようとしているお婆さんのその手の高齢者に配布される無料温泉入浴券二枚を
たぶん欧州からの彼らは使うことのないであろうその券をお婆さんから受け取り、
そのお婆さんの感謝の気持ちと良い旅になるようにと彼らに伝えてその場を離れて席に戻り、
のんびり走るローカル線車内で隣同士で座るお婆さんと彼らが何となく話しているその様子に、
とてもうれしく、やさしい気持ちになれた日曜の午後の出来事だった。
休日が終わり、街に戻り関東が梅雨入りした酒場の静かな夜に、
「コンニチハ!」と勢いよく扉を開けた肌が浅黒い男性と白い肌に白い髪の小柄の女性。
これまで会うことのなかった国からかなと感じながら、いつものように、
挨拶のような軽い気持ちと少しの興味を持ちながら、どちらから?の問いに、
ドイツからだと答え、そのまま何事もなく、彼らが飲みたい日本人が作る日本のカクテルを、
英語のコミュニケーションで探り、彼にはギムレットをオンザロックで、彼女にはモヒート。
もちろんベースになる酒は日本のモノを使ったそのカクテルを楽しみながら彼らは、
これまで訪れた日本のこと、知床ではヒグマに会えず残念だった!神戸牛は最高!などなどを話し、
東京に戻ってから感じた人の多さに話しが移り、世界の大都市の人口の話しになり、
そのなかでも東京は上位にあるから大変だ、などと話しが広がっていくなかで、
彼はボゴタ、彼女はモスクワの出身だと分かり、続いて言語の話しになり、
二人は三ヶ国語、自分は二ヶ国で不如意な英語の使い方を詫びると、そんなことは気にするな、
今ここにいること、だからどこから来たのかなんて、今は関係なく、三人が今共にいること、
それが大切なことで幸運なのだと彼が力強く語り、続けて、「3」という数字はとても幸運だ、
全ての物事は「3」なんだと語り、だから、今日のお別れにもう一杯ずつ同じものを飲んで帰る、
そうすれば三杯ずつだからと言った彼らに感謝しながら、興味本位で国を尋ねた事を恥ながら、
彼らのための今日という日の最後の一杯を作り、二人は日本語で「カンパイ」と静かにグラスを傾け、
帰り際に彼が「今日ここであなたの酒が飲めて良かった、ありがとう。」という言葉に、
三本指を立てながら「残り三日の日本を楽しんで」と伝えると、彼は満面の笑みで手を振り、
二人仲良く階段の先に消えていったその様子に、梅雨入りの気分を晴れやかにする夜を終えた。
これから激しい雨や台風の季節に入り、旅行客や日本語がわからない人々にもきちんと、
危険が及ぶことのないような災害対策や情報発信であれば良いし、何事もないのが一番、
そんなことを考えながら、今日という一日を終えて酒場の扉を閉めた。
令和七年 雨の季節のはじまりの酒場にて
栗岩稔
追伸、そういえば、三位一体とかTRINITYとか宗教的にも「3」だったなーと歩きながら気付き、
別れた妻と交わした結婚指輪はカルティエのトリニティだったなーと思い出した霧雨の深夜。