2025/06/10 10:00


何かと節目のような境目のようなケジメのようなものを毎年感じる、

5月のおわりから6月、そろそろ雨の季節に入ろうかという天候が続いたある日の夕暮れ、

しばらく顔を見ることのなかった、長年のお付き合いをいただいている男性が座った。

気付けば50歳を越えた彼の話によると、持病が悪化して少しだけ入院していたとのこと。

健康そのものでスポーツマン、ゴルフはプロ並みの腕前で「病」という文字は辞書にない、

そんな風に感じていた人物だと思っていたから、大きな驚きと、歳を重ねたことによる、

肉体の衰退、老化という現実を自分自身にも改めて投影しながら話を聞き、

彼はいつものジントニックとハイボールを2杯、いつものように飲む様子に安心した。

 

そんな彼が言った。

人間は生まれた時から死に向かって生きているのだと。

確かに常日頃そう思っているし、体感しているし、初めてそのことを考えた遥か昔、

中学2年の夏を思い出し、あれから45年も過ぎたことに感慨深く感じ、

その思考の闇に入ったきっかけになった、夏目漱石の「こころ」を読み直そうと思いながらも、

衰えた視力には旧仮名遣いの近代文学はきついかなーと言い訳と自身に対する諦めも感じた。

 

昭和生まれで旧知のなかの二人、互いに人生五十年という節目を越えた二人が語り合った。

昭和100年、戦後80年、一度ならず幾度も国土と社会が崩壊した国、日本、

こんなわずかな年月で現代社会が成熟するはずもなく、積み重なっていく社会問題や事件事故、

そんなものはあって当たり前だし、発展の速さと人間本来の速さの乖離が及ぼす影響は多大だと、

だから、社会のなかの人間というもののそれぞれの存在価値が危ういものになっているのではないかと。

いつも二人きりになると自然と始まるいつもの対話を終えたころには日が暮れて、

彼は帰宅し、ひとり残された酒場でしばし、また、正解の見えないことについて考えた。

 

たしか今年あたりには男女雇用機会均等法成立のあとに社会に出た女性たちが還暦や定年を迎える。

このことにしたって、たかだか40年ぐらいしか経っていないのだから、

いまだに「平等」になるはずもなく、政治「屋」の先生方が出生率や少子化やら高齢化やら、

夫婦別姓やらについて議論したところで、まだ成熟していない日本という国ではまだ手探り状態だし、

流行り物のようにしてしまった米の問題も、

令和の米騒動のような言葉でメディアに振り回される国民に対して、

選挙に向けた票集めでしかないのかなー、と感じる部分もあるし、

そもそもの戦中戦後の米国からの農政指導と農政改革の問題が蓄積したものなんだろうと思う。

世界的に物凄いことになっている、歴史的な転換期の今現在とここ数年、

そもそもの人類のあり方が問われるんだろうなと考えたりもする。

最近の米国研究機関の報告書には、人間の知性をAIに問う論文とその影響のようなものもあるし…。

 

いずれにしても、今の時代にまだ感度を維持しながら生きていられることに感謝しながら、

もう少しだけ、この現代社会にいて、先を見たいと思えた夕暮れになった。

 

6月が始まり、新しい週が動き出した月曜日、63日に長嶋茂雄さんが亡くなった。

自分にとっての昭和という時代がまたひとつ終わった喪失感を覚えながら号外を手にしていた。

その年表を読みながら、自分にとっての巨人軍について考えてみた。

長嶋茂雄さんの現役時代の記憶はなく、まだファンだった巨人の監督としての記憶と印象が強く、

江川と西本の同じチーム内のライバル関係、壁際の魔術師だった高田の三塁手へのコンバート、

そして、王貞治の一本足打法で放ったホームランの世界記録達成。

その後の桑田、斎藤雅樹を柱とした豊富な投手陣と槇原、駒田、吉村の50番トリオ、

そして、高田を追いやって三塁手になった原辰徳に世代交代を目の当たりにした野球小僧だったし、

その小僧が住む町では、球場に行くことも出来ず、巨人戦の野球中継しか観ることがなく、

父親が巨人ファンだったから必然的に自分もそうだったという地方暮らしを経て、

だいぶ年月が過ぎた50歳を迎える頃に初めて、元後楽園球場の東京ドームで巨人阪神戦を観た。

江川が広島の小早川にホームランわ打たれて膝を落とした姿を見て巨人ファンを終えて以来、

久しぶりにドキドキ、ワクワクしながら、感動する自分を想像しながら向かった内野席、

はじまった試合をはるか遠くに感じ、一気に熱が冷めていく自分に気付き、

自分にとっての巨人軍は永久に不滅ではなく、かえって消えたことを漠然と感じたあの夜。

 

長嶋茂雄さんが亡くなり、久しぶりに読売巨人軍を感じたその日の夕暮れ、

巨人ファンで相撲ファンで同県人でお世話になっている男性が霧雨のなかで顔を出してくれた。

今日は来てくれるかな、と考えた矢先に現れた彼が選んだ酒は、

長嶋の頭文字「N」が大きくラベルに付くウイスキーのソーダ割り。

「今日は献杯だから一杯だけ。」と言いながら、傍らに置いた号外を酒のあてに、

長嶋茂雄さんがいた昭和のこと、長嶋茂雄ファンで巨人ファンだった共通の知人で、

生きていれば長嶋茂雄さんと同世代の人のこと、故郷のことなどなど、

たくさんの話で昭和を締めくくったように感じた令和の初夏の夕暮れになった。

 

高度経済成長期のはじまりで、一挙手一投足で一喜一憂していた当時の日本、

メディアがラジオからテレビに変わり、その姿で職業野球の全体の価値を上げた長嶋茂雄。

亡くなる寸前まで令和の時代になっても国民に知られた存在が消えた今、

現役引退してから50年あまり、たった50年の年月で日本という国が成熟するわけもない、

そう改めて思えた月曜日、自分にとっての昭和が終わり、不滅ではなかった巨人が消えた。

 

あと何年経ったら日本という国のカタチが整うのだろうかと思ってみたりもした月曜日。

あれから、あっという間の一週間、梅雨入りの気配も近づく今日はもう第二週の火曜日。

 

令和七年 昭和、平成、今は令和の酒場にて

栗岩稔