2025/05/27 10:00

祝いの席にお招きいただき、久しぶりに明治神宮前を訪れた。
祝いの儀や宴に参列する大切な友人、仲間のひとりとして加えてもらったことに感謝しているし、
あの場にいて美しい時間を共有出来たことがとても嬉しい佳き日になった。

その日は折角だからと思い、朝早くに訪れた神宮の参道から大鳥居にいたるまで、
それほどに多くない観光客とともにゆっくり楽しみながら歩き、朝の空気のなかで深呼吸をした。
大鳥居の前では続々と吸い込むように人々を引き寄せる力の強さを感じたし、
その力に向き合い、鳥居を前に一礼してくぐる人々、国内外問わずに、皆がそうしている様子に、
作法というか礼儀が深く浸透していることが何だか嬉しく、
もちろん自分も一礼をして真ん中ではなく端を歩き本殿に向かい、
かねてから好きな一点、左右の門が交わる中心に立ち、その清々しく静寂な気を感じ、
改めて大きく深呼吸をして今日という日に感謝し、これから始まる儀式に想いを馳せた。

儀式がはじまる頃にはたくさんの観光の人々が本殿前に集い初め、
見せ物のようにスマホのカメラが向かうなかを厳かに歩き、
用事がない人は立ち入ることが許されない本殿に一歩足を踏み入れると、
そこに広がる、外界とは違った空気の流れと一瞬全ての音が消えたあとに包まれる静謐、
そして、外の暑さを感じないほどの清々しい陽射しに何ともいえない心持ちになり、
全身が清らかに、穏やかに、沈み込んでいくような不思議な感覚に包まれた。
今後二度とないだろうけれど、東京生活の終盤に自身も歳を重ねて終盤に向かう今この時に、
この体験が出来たことはこの先一生忘れることのない感謝深く有難い時間になった。
高校時代に励んでいた弓道のことを思い出し、また再開しようかしらとも思えた瞬間だった。

明治神宮は1912年(明治45年)の明治天皇の崩御と2年後の1914年(大正2年)の昭憲皇太后の崩御をうけ、
国民からその御霊をお祀りして永久に敬い、お慕いしたいという熱い想いが沸き上がり、
神格化していた天皇のゆかり深い代々木の地に創建したもので、
今となっては都会のオアシスともいえる鎮守の杜は、全国から献木された10万本を植栽して
「永遠の杜」を目指して造成された人工林で、ゆかり深い代々木とは、
戦国時代からある代々木村で代々サイカチの木の生産地としていたことにちなんでいるとか、
今でも御苑内にある「代々木の大樅」の木が由来といわれているだとか、
いずれにしても、100年先を見越して植栽された人工林がとてもありがたく思える。

そんなことを考えながら、祝宴を終えたあとの時間をまさに、神宮から参道を歩いた。
今では表参道という別街区のような人と活気が溢れる街だけれど、
そもそも参道だった場所なんだよなー、と思いながら久しぶりにゆっくり歩いた。
当然のように、日曜の午後だからたくさんの人、人、人、人しか見えない街だったけれど、
全く景色を変えた原宿駅から、若い頃にはデートコースでもあった並木道を歩き、
見覚えのない景色、変わらない景色をそれぞれに楽しみ、まっすぐ参道を抜けて、
今は少しだけ馴染みの出来た根津美術館とパレス青山を背にして骨董通りに向けて歩いた。
20年ほど前には週に一度は仕事で訪れていた骨董通りもまた、
変わった景色、変わらない景色をそれぞれに楽しみながら、ゆっくりゆっくり歩いた。

それにしても当時の日本政府は、国民や市民の健全な心身のために、
都市の肺臓としての機能を持たせるための緑地として公園を整備したり、
江戸から東京に変わる新しい明治の時代、変わり続ける街を作り上げ、
日本の象徴といえる天皇を表向きには神格化して神とされた明治天皇のもとで、
人民を支配し西洋化を図る政治を推し進め、この表参道にしたって、
参道として人々が集っていた場所を商業化して更に人々を集めて、
今となっては東京を代表する街並みに仕立て上げる礎を作り上げ、
天皇の崩御を悼む国民の熱い想いを汲んで、神ではない明治天皇を祀る神宮を創建したりと。
中央政府の牽引力というか、指導力というか、当時の日本はなかなかやるもんだ、
なんて上から目線で考えながら、いつもと違う目線で街を楽しみ、
今日に限っては人混みに疲弊することもなく、用事を終えるとすぐに退散するようなこともなく、
午後から夕暮れに向かう、人の姿が溶け込んだ街を楽しんだ。

そして、慣れ親しんだジャズクラブの扉を開けた先には共に招かれていたミュージシャンが、
少し緊張を緩めた姿で集い、普段は上がるステージに上がることなく客席に座り、
酒を楽しみ、友と語らい、笑い、その時間に酔いしれながら、そこに集っていた。
その日本のトップクラスのジャズミュージシャンたちが観客のためにではなく
友のためにステージに上がり、リラックスした様子で演奏を始めたその様子を、
ひとり、これまたいつもと違う立場で観客として心から楽しみ、酒に酔いしれ、
これまでの縁に改めて深い感謝とありがたい、とても素敵で美しい時間に酔った。
そして、東京の日の入りの時刻に東京メトロに乗り、久しぶりに「東京」の休日を終えた。

昼から飲んでいた酒量が身体にダメージを与えることのない良い酒だったおかげで、
その夜も美味しく、いろいろなことをかみしめながら、ビールをいただいた。
とても美しく、佳き日でジャズな東京の休日、安息の日曜日を終えた。

今ラジオでは、30分ほどの森林浴の効果で身体の免疫が上がり、1カ月は持続すると言っている。
今この感じは鎮守の杜効果かな、なんて思いながら、また1カ月後、
次は雨の季節を迎えた杜を訪ねてみようかしら、なんて考えてみてもいる。
それにしても、人の力というものは、善でも悪でも多大で強大だと改めて思う。
今この時代は人間界が自然界を左右せざるを得ない状況になっていると感じるけれど、
人間と自然が共存出来る時代が出来るだけ長く続けば良いな、
100年後の東京の人たちはあの杜に会えるのかな、会えたら良いなとも思う。

とにもかくにも、
今この時代にあの杜を感じ、佳き日を迎えたことにまずは感謝しながら、また一日がはじまり、時が流れる。

令和七年 雨の季節を前に全身で深呼吸した佳き日に
栗岩稔