2025/05/20 10:00


家族ぐるみのお付き合いというよりも大変お世話になった方に、ほぼ50年ぶりに再会した。
父親が長年、びっくりするほど長い間勤めた会社の社長だった方で、
当時の会長がまだ健在で社長だった頃から、父親はそのもっと前からお世話になっていた会社。
その会長は当時まだ小学校では誰も履いていなかったナイキのスニーカー、
色やカタチ、手触りまで未だにはっきり思い出せる、コバルトブルーのラインの入ったものをいただき、
すりきれるまで大事に大事に履いて愛用していたそれだけでもどこか、ハイカラな感じのする一家だった。
もちろんいただいたものだけでなく、公私に渡りお世話になった会長が急死して、
後を継いで長男が社長になり、そのまた長男は自分と同い年で同じ小学校も同級生でよく遊んでいた。
幼馴染みの自分にも目をかけてくれていた社長は、当時では珍しい高い身長ながら、
それを感じさせない物腰の柔らかさや言葉遣い、振る舞いがハイカラに感じていて、
どうしても、自分の父親と見比べてしまうほどの身のこなしが格好良い存在だった。
あの頃にまだ知らない都会の社長というものはこんな感じなんだろうなと思ったりもしながら、
そのお宅に遊びに行っても、父親と夏休みに会社に手伝い(遊び!)に行っても、
その雰囲気に少し緊張しながらも、憧れのようなものを感じる存在だったことをよく覚えている。
その方の奥様、社長夫人、友達のお母さん、こちらもまた背が高くきれいな女のひとだと、
子供でも感じるその方にも格別に可愛がってもらっていたように記憶している。

その方が亡くなったと知らせを受けた時には、自分は東京で仕事、両親は身動きが取れない身体、
だから、お通夜にも告別式にも行くことが叶わず、自分がいける少ない休日の日曜日、
家を代表して、お悔やみとお線香をあげるために、そのお宅を訪問した。
50年も経ったその町があまりにも様変わりしていて道に迷いながらも変わらない玄関先を見つけ、
恐る恐る呼び鈴を鳴らし返答を待っていた矢先に顔を出した女性に、あれ間違えた?と戸惑いながら、
明らかに怪訝そうな顔をしてるその若い女性に、そりゃそうだ、
この町で日曜の午後に突然のロン毛にひげ面だからなー、と内心考えながら、
「栗岩です。」と伝えた途端に変わった表情に安心しながら、改めて挨拶をして玄関に入ると、
「あれ?どちらさんで?」と出迎えてくれた長身のその方に「稔です、栗岩稔です」
「あー、稔くんか、よく来てくれたね、さ、どうぞどうぞ」と仏前の居間に案内してくれた。
その遺影には記憶に残る頃と変わらない笑みを浮かべる社長夫人で奥様で、友達のお母さんがいた。
静かに父親と自分の分の線香をあげて手を合わせ、お悔やみを伝える間も後ろで控えてくれたその方は、
奥様の闘病の様子を話し、両親の現状に気をかけていることを話し、いつか顔を出すようにしたい、
と、以前と全く変わらない語り口でお話をすると、「まあ、お茶でも」と居間に案内するその姿に、
無事に家を代表してお参り出来たこと、再会出来たこと、快く出迎えてくれたことに嬉しく思いながら、
年老いて身動き取れない両親が家で待つからと挨拶を済ませて早々に失礼しておいとました。

帰りの道すがら、懐かしすぎる町を歩きながら、ふと10才の頃に爪切りを頂いた時のことを思い出した。
海外出張のお土産にと、自分にまで考えていてくれたこと自体嬉しかったし、海外のモノに触れること、
ドイツ製だったそれに、海外に行くってどんな感じなんだろうとワクワクしながら開封した時、
そこから出てきたのは、皮革製のケースに収まったハサミ型の爪切りと爪やすり、
そのキラキラした刃物と舶来品というだけで嬉しくなったあの時の心持ちは今でも覚えている。
あの時に、爪を切る時には慣れなくてもこれを使う、と決めたし、自宅では今でもそれを使っているし、
もしかしたら、野球のグローブと並んで一番長く自分の人生を共にしているモノかもしれない、
ドイツ、ゾーリンゲンの爪の手入れセット、ふと自分の指を見たら珍しく爪が伸びていた。

実家に戻り、一般的な爪切りで切ってみてもやはり、使い慣れた自分のモノが良いと思える日曜日。
今日は家を代表して弔問するという長男として初めてで少し緊張を伴う経験だったけれど、
何かとても良い一日になったし、また改めて訪問して、あの方と色々なことを話してみたい、
そう思えた、あの頃はまだ子供で悪ガキだった、今となっては還暦間近の充実した一日になった。
まあ、それにしても全てが何から何まで歳を取った、そうも痛感したけれど、数時間後には東京に戻り、
日常生活がまた再開して、そこには自分の生活が確実にあって、また時が流れてまた皆が歳を取る。

翌日、酒番の日々のはじまりに自身のコックピットともいえる場で道具を眺めた。
道具としては、たくさん色々なものがあるけれど、中でもアイスピックが一番思い入れが深いと思えた。
もちろん、よく使うし大事な役目を持つから大切にしている愛着のある道具と言える。
けれど、今自分が使っているモノは、遡ること25年前、バーテンダー修行を始めた頃に話しが戻る。
上京して初めて馴染みになった酒場であり、この道に進むきっかけになった酒場であり、
通い初めてから35年は経っているその付き合いは、酒場の主、スタッフも変わらずにそこにいて、
当時は皆が20代で共に歳を重ね、50代後半に差し掛かってもまだ、繋がりがある大切な酒場。
その仲間から、鎌倉の酒場を預かるために辞めた際に贈られた、皆と同じアイスピック。
あれ以来ずっと、使い続け、その先を研ぎ、手入れをしながら、自分の手癖が染み付いたそれは、
長さも1cmほどは短くなり、他人には使わせることない自分の手のような存在で、
不器用な自分にはそれでないと感覚がずれてしまうから、それしか使えなくなっていて、
他を使ってみたところで結局元に戻る25年間使い続けている、道具を超えた手のようなアイスピック。
そして栓抜き。
栓抜きなんてどれも変わらないでしょ、と言われるかもしれないけれど、
手のなかの収まり、そのサイズやカタチ、材質にいたるまですこぶる良いその栓抜きは、
鎌倉の酒場の主が亡くなり、たくさんの私物の良いモノが散り散りバラバラに誰かの懐に収まり、
事務所の最終の片付けにお邪魔した時には、無念や悲しみしか残らなかった10年前のある日、
「これはやっぱり栗岩さんかなって‥」と持ってきてくれた栓抜きとの再会がとにかく嬉しく、
それ以来使っている栓抜きは、今ではすっかり自分の大切なモノとして大事な道具になっている。 
人生初の舶来品となったドイツ製の爪切り、餞別のアイスピックに形見分けの栓抜き。
それぞれが用途に応じた、理にかなったカタチで美しく、持っていてもうれしくなるモノたち。
もちろん、これだけでなく他にも長年愛用しているものは数々ある。
けれども一番、モノに対する意識が変わり、それが今の自分を形作ったきっかけはやはり、
ドイツ、ゾーリンゲンの爪切りなんじゃないかと思う。
人生で初めての舶来品だったし、それを手にした時の重みや美しさ、その感動、
自分の身の回りにあったモノとは一線を画したその存在感は今でも覚えている。
これは長く使う、使えるモノだぞ!と言っているようなそれを まだ慣れない子供のころから使い、
結局今でもそれだし、刃を研ぎながら手入れしながら大切にしているし、他のモノを使う気もない。
もちろん、仕事の道具も含めて自分のモノ以外を使ったこともあるし、使いこなすことは出来る。
けれど、自分の愛用品が一番良い、そんなことを再認識した初夏、というより真夏のような今日、
こちらも30年は愛用しているラルフローレンのダスターコートを洗濯をして大切にしまった。

コートは無事過ごせればまた来年、爪切り、アイスピック、栓抜きはきっと、またあした。

令和七年 爪の伸びる速度が遅くなった年頃に
栗岩稔