2025/05/06 10:00


今日で終わりのゴールデンウィーク、NHKでは決して使われない大型連休の終わり。

かつて映画産業が隆盛を誇っていた頃、この時期にあわせて、
洋画、邦画それぞれに公開、封切り(今はこの言い方ってしない?)される作品が数多く、
輝かしい売上を狙う期間だから黄金期、だからゴールデンウィーク。
たしかに遠い記憶では、この期間にあわせて、こちらも当時は隆盛を誇っていたテレビでは、
そのコマーシャルで数々の映画の宣伝があって、こども映画まつり的なものもあったような気もするし、
大好きだったドラえもんの映画は決まってこの時期が新作公開だったように記憶している。
今では映画そのものの見方が変わり、製作の仕方も変わり、公開されるメディアは特に、
映画館だけ、ではなくネット上だけのものもあるし、ましてやこちらのほうが、
予算も潤沢で大量に早く作られているような気もするけれど、
毎年変わらず催される、アカデミー賞授賞式やカンヌ国際映画祭が例年のように続いていることは、
うれしい限りだし、その場で紹介される数々の映画作品には時代を反映するものが多く学びになる。
多種多様に変化しながらも映画というものはなくならない、そう感じられることは、
映画好きにはそれがうれしいし、失くならないことを切に心から願っている。

かといって、映画業界から命名されたゴールデンウィークにはよく映画を観たかと訊かれると、
決してそうではなく、子供の頃には一番心地好い季節で、宿題のない長い休みには、
地元の高原や湖畔、父親の実家の山々に遊びに連れていってもらっていたから、
映画よりも外遊びのキラキラした期間で、大人になったらなったで、
長らくの仕事柄からこの期間は仕事だったから映画どころの騒ぎではなかった。
そもそも両親や姉が映画に興味を持っていたとは思えないから、
映画が選択肢のひとつに含まれるはずもなく、子供の頃の映画鑑賞といえば、
もっぱらテレビ各局のゴールデンタイム(これもゴールデン!)で競うように、
曜日を変えて持っていた映画枠で観て楽しんでいたことのほうが記憶に強く残っている。
なかには子供にとって大人過ぎる内容に気まずい空気が流れていたことも覚えている。
お茶の間映画という感じだったから未だにNHKBSで定期的に放映されている映画のなかから、
観たいもの、見直したいもの、気になるものを選んで録画予約をしておいて、
自分の都合の良い時に観るという独り善がりな鑑賞のほうが楽しめるのかもしれない。

自分にとっては映画館という特別な場で時間であるから、時間潰しで観るということはなく、
しっかり選んで、吟味して行くこと自体が大切なイベントであるから忙しいことを言い訳にして、
必然的に映画館に行く回数が減っているし、必ずひとりで行きたいから、
自ずと自分の予定のなかで順序が出来てしまい、行きたいけれど行かないということになる。
ところで、何故ひとりかというと、それは映画の感想や感情を他者と共有したくないから、
自分が抱いた感情にひとり浸っていたいから、ひとりでいたいし、
終わった後に映画館を出るまで、同じ作品を観た他者の言葉も遮断しているようにしている。
なんとも自分勝手なことだとは思うけれど大切な時間のための自分ひとりのルールかなと。
けれど、誰かと一緒に行ったことは当然あるし、それぞれが良い記憶として残っている。
ただ残念ながら、作品の記憶にその日の行動が加わっていることで、
映画自体の印象が薄れてしまっているような気がするから、後になって見直すことをしてきた。

誰かと行った映画の記憶。
子供の頃、当時は毎日のように一緒に遊んでいた山口くんと
彼のお母さんに連れていってもらって観た「キングコング」
中学の頃、推奨作品ということで学校で配られた招待券(確か無料)で中村くんと行った「E.T.」
どちらも感銘を受けたけれど、山口くんのお母さんや中学時代の微妙な友人関係だった中村くん、
それぞれに変な気を遣っていたことを覚えている。
だから内容は覚えていたつもりでも薄れていたことに気がつき後になって見直した。
高校生の頃には、当時お付き合いしていたひとつ上のセンパイとデートの一環として
映画を観るというイベントで選んだ何故か「アマデウス」にデートでそれ?と言われても、
地元で公開されている数少ない選択肢のなかから選ばざるを得なかった「アマデウス」
映画の後でお茶をするために訪れた馴染みの喫茶店のテーブルを挟んだあの微妙な空気感。
もしかしたら、あの時に映画はひとりで、と思ったはじまりだったのかもしれない。
けれど、これも大人になって見直したこの作品はDVDを購入して持っていたほどに
人生で一番好きな映画かもしれない、そう思ったりもしている。
ちなみに、このセンパイとは大学進学して上京、たまの帰省で会うということも減り、
当時の田舎の高校生と東京の大学生の力量の差に当然のように敗れ去り、自然消滅という末路。
ただ、たまに会うセンパイが様変わりしていく様子に憧れに似た東京の匂いを感じた。

時が流れて、イケイケで働いていた自身の東京生活のなかで出会った名家の出の女性。
その学び多き時間のなかで、当時から好きだった俳優ジャン・レノの主演作品を
自分のためにと手配してくれて連れられて観に行ったその映画は、
イタリアの田舎町に暮らす、父親であり夫である、ひとりの男の生き残を描いた秀作、だけれど、
当日の行動が先に立ってしまって、どうしても思い出せない作品名。
だから、見直そうにも出来ていない自分が未だにいるし、もちろん当然のように、
独り善がりな自分の言動に、その美しい女性とは別れたから訊くことも出来ない。
そして、もうひとつ、これまたとても美しい女性とお付き合いをしていた時の話。
当時はファッションもライフスタイルもフレンチカジュアルがブームのなかで、
連れていかれた「グラン・ブルー」はとても良かったけれど、
あの映画は男女の相容れない目線で明らかに感想が異なるから、
見終わった後に口論になった苦い記憶が色濃く残っている。
自分にとってはこの時がダメ押しになって、映画はひとりで観る派になったと思っている。
かといってあの映画がダメではなく、むしろ自分のほうがハマって、
狭い部屋の数少ない壁一面にグラン・ブルーの大きなポスターを貼り、
イルカに会いたいがためだけに、小笠原諸島まで船旅をして出会い、だいぶ感化された。
はじめは連れていかれた感(当時の自分はアメカジ、彼女はフレンチカジュアル!)の映画だったけれど、
自分のほうが好きになったことは間違いなく、ただ口論になった内容については、
真意を確かめることもなく、その後は別れたのでその術もなく今にいたっている。
もちろん、当然のように後になって見直したこの映画は歳を重ねれば重ねるほど、
興味が薄れてきたように感じるし、あの時の自分ととも、若気の至り、なのかなと思う。

結果的には全てひとり見直している映画。ひとりで観ることを楽しんでいる映画。
どちらにしても映画好きであることに変わりはなく、それぞれの人たちに全く責任はなく、
かえって申し訳ないと思う映画好きで、今もたくさん、季節を問わずに観ているから、
自分にとっては年がら年中がゴールデンウィークなのかな、なんて思ったりもしている。

民族大移動的ゴールデンウィークが終わった静かな今週末にはまた地元に行く。
あの頃、憧れではあったものの、何だか寂れたように感じていた映画館。
三本立てのロードショーが遅れて廻ってくるそこしかないから選択肢はなく諦め半分だった映画館。
あの場所が今になってレトロブームなのか何なのかは知らないけれど、人気のスポットらしく…。
久しぶりに行ってみようかしら、なんて思う今日、ゴールデンウィークの終わりの日。

令和七年 人生で一番で最期に観たい作品について考えるこの頃
栗岩稔