2025/04/29 10:00


今日は4月29日、昭和の日という祝いの日。

何をもってゴールデンなのかは知らないけれど、
俗に言う、ゴールデンウィーク、大型連休のはじまりの日。
その後半には5月3日に憲法記念日、4日にみどりの日、5日はこどもの日と続く、
祝日が控える、まさに昭和を感じる期間で民族大移動的な休日の期間。
あれ?5月4日がみどりの日?いつから?4月29日じゃなかったっけ?と思い、
頭の体操と浅い知識を少しでも深めるためと老化が進み、
忘れやすい脳ミソに刺激を与えるように調べてみた。
知っているようで知らないことばかりの日本のことを。

昭和天皇崩御で昭和が終わり、平成という時代を迎える境目が1989年1月7日。
その平成元年に祝日法が改定され、古くは天長節と言われ天皇が神だった時代を経て、
天皇誕生日の祝日とされていた4月29日が、昭和天皇が植物に造詣が深く、
研究もされていたことなどから「みどりの日」と定められ(やっぱり、そうだった!)
平成天皇の誕生日が12月23日だからその日が祝日となり、令和は平日。
そして、2007年平成19年に、自然に親しむとともに、その恩恵に感謝して、
豊かな心を育む日として5月4日はみどりの日、国民の休日になり、後半の三連休を作り、
今日4月29日は、激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたすという趣旨で定められた「昭和の日」
だから今日は、少し前までみどりの日で今は昭和の日、今年は昭和100年。

明治維新という反乱、革命から100年後の1968年昭和43年に生まれ、
成年するまでが昭和で社会に出たのが平成元年、そして今が令和(何と、元号が3つ!)
現在もいまだに現役、現場で生きていることか出来ている。
自分なりの激動、激流の昭和生まれの人生を改めて省みてみた。
昭和の頃には思い悩み、生き様自体が迷路のなか、濁流のなかにあるような感じのなかで、
酒を覚え、遊びを覚え、流れに身を任せてアパレルブランドの会社に従事した。
その勤務先が地元に当時はまだあった百貨店という華やかな場所。
この時に二十歳を迎え、昭和の終わりを迎えた天皇崩御が年のはじまり。
この体験はとても影響が大きく、強く記憶に残っている。
百貨店内の照明は絞られ、BGMはなくなり、必要な案内のみになり、
華美なディスプレイは撤収され、店頭の社員全員が黒い喪章を付けて喪に服した一週間。
世間では、予定されていたイベント関連は中止、延期、私的なイベントや酒の席、
飲み会すらも自粛して、国全体が静かに悼んだあの時を鮮明に覚えている。
昭和天皇の存在と昭和という時代の終わりに対するそれぞれの人の想い、
天皇崩御の悲しみだけではない想いで溢れたような静かな期間だった。
2020年令和2年からはじまった、国全体が息を潜めて、マスクで顔を覆い、
人との距離感を保ち、他人に対して不信感を持ちながら緊張感に包まれたパンデミックの頃、
町に人がいない、重く暗い静けさの自粛とは違う厳かなかな沈黙、
30年以上も前でも色濃く記憶に残る昭和の終わりのあの日だった。
先日亡くなったカソリック、ローマ教皇フランシスコを悼み、
バチカン市国はもとより世界中の人々が悲しみに包まれながらも感謝し、
静かな沈黙を保っている光景にあの日を改めて思い出された。

その1989年は東西冷戦終結、ソビエト連邦解体、ロシアの誕生、
そして、東西ドイツの統合に向かうベルリンの壁が崩壊に世界が激変した一年間。
なかでも厳重な国境警備で東西を分断していた検問所が解放され、
双方の国、元々は同じ国民だった人々が喜びいっぱいで皆が通り抜け抱擁する姿、
高くて大きくて厚い壁に登り自らの手でハンマーを振り下ろし壁を壊す姿、
そこには自分と同世代の若者たちがたくさんいて、この大きな動きのはじまりには、
ライプツィヒはじまった学生たちの静かなる抗議運動があって、
それが国内全土に広がり国を動かし、世界をも動かした出来事。
その時の自分は東京渋谷の町で千鳥足だった。
バブル経済期には最盛期を迎えていたアパレルブランドで、
飛ぶような売れ行きに浮かれていたし、実績を作るためだけの仕事をして、
夜は酒を飲み、遊びまわり、毎日酔っ払ってから帰るという自分がそこにいた。
自分は何をしているんだろうと考えるきっかけになったし反省した。
自分はあんなに熱く生きているのか、生きていくことに一所懸命なのか、命懸けなのかと。
自分のなかの何かのスイッチが正反対に切り替わったぐらいに感じた出来事だった。
子供の頃の友だちの死で誓った彼の分まで生きるという、
忘れかけていた想いが再燃して、東京とい日本の首都で出来る限り生きてみようと思った。
ダメだったら帰るという逃げ道を作りながらそこにいた甘い考えは捨てた。
流されて流されて身を委ねて流れ着いた東京という大きすぎる街で、
この人生を、大それたことを言えば、勝負してみたいと思うことができた出来事だった。

その後はたくさんのこと、本当に多種多様な時間を経て、勝ち負けは別にして、
今でもこの街で生きていられる、生き残ることが出来ている。
独りよがりだった若い頃を経て、歳を重ねながらようやく、
人の縁というものに心から感謝出来るようになった自分が今ここにいる。
なんだか、人としてまだまだな感は否めないけれど、
少しずつ肩の荷が軽くなってきているような気がする反面、
身体は老化とともに重くなっている。だから今、背負っている肩の荷に
耐えられるように心身を維持するための進化を少しずつしながら、
目標地点と定めた残り14年間は真っ直ぐに生きてみたいと思っている。

今この世の中は、1989年に誕生したロシアが皇帝のように君臨する大統領に率いられて、
かつては同胞だった隣国と戦争を続け、昭和よりはるか前から続く、
隣国同士の宗教民族間の戦いがイスラエルで終わることなく繰り返されている。
世界中いたるところで、利権、覇権、情報、貿易の人間の姿が見えない戦争が続いている。
日本では、40年近く前に昭和の日と定めた時の、激動の日々を経て
復興を遂げた時代を顧み、将来を思った国になっているのだろうかと思っている。
平成、令和と立て続けに起こる震災、災害、人災、事件、事故と権力争い。
今でも激動の時代だし、復興どころか復旧すら出来ていないことが多々あるように思う。
この先、何十年も問題を抱える事故処理は進むどころかはじまったかどうか…。

昭和に生まれて成年になって迎えた平成、令和と決して平穏ではない時代、
幸か不幸か、自分の目で見て感じることが出来る状況で体験してきた。
この令和が何年続くか知る由もないけれど、今のこどもたちが大人になる時、
どういう国になっているのだろうかと不安が残る。
遠い未来では必ず歴史的な転換期として記録されようになっていると感じる今、
この時代を体験した以上は、将来を見るためにだけ長生きしても良いかな、なんて…。
そんなことを考えてみたりもする今日、昭和の日、かつてのみどりの日に。

令和七年 今年も迎えたことに安堵する昭和の日に
栗岩稔