2025/04/15 10:00

久しぶりに長く冷たい雨が降り続いた深夜、
東京の雨はシルバーグレイか場所によってはブルーグレイかなと考えながら、
季節外れの凍える手で傘を前にさしながら帰路を急いた。
そして、いつものように一日の終わりの一服のために、
いつもの喫煙所に向かうと、朝に晩に会う男性とまた会った。
同年代のお互いに対して労いの言葉を交わすと彼が切り出した。
「今日の雨は何色ですかね。ちょうど今、栗岩さんだったら
何色って言うかなって思いながら空を見上げていたんですよ。」
「あー、だから上を見ていたんですね。今日はシルバーグレイですかね、灰色ではなく。
東京の雨って色々な光に反射するから、それこそ色々、ですよね。
しかも、横からだったり前からだったりで降るから、音も色々だし。
この前の雪も部屋から見ていたら、下から舞い上がってましたよ。
これは田舎にいたら見られなかったなー、なんて思いながら…。
雨や風の色なんかも東京だから意識出来るようになったんですかね。雪は灰色だけど。」
「なるほど。いつからですか、そういう感性というか…。そういうものは私にはないなー。」
「いつからですかね。」
そんな会話で一日と一本のタバコを終えた夜、風呂に入りながら考えた。
たしかに、いつからだっけ、と冷えきった身体を深々と沈めながら、
どこかの温泉の入浴剤で乳白色の湯を見ていて、ふと気がついた。
そうだ!八神純子さんだ!当時流行っていた「水色の雨」「パープルタウン」だ!と。
子供の頃に聴きながら、雨なんだから水でしょ、なんで水色?とか考えていた。
水色の雨や紫色の街っていうのは都会の話で大きな街にいればそう見えるのかな、
自分が暮らす町では感じることがない色を東京とかニューヨークとかだったら、
そう感じられるんだろうな。でも自分にはあり得ないなーと諦め、納得していた。
憧れや羨望みたいなものはあったけれど決して行くことはないんだろうと決めていた。
あの時からだと気がついた。遠い遠い大都会のことだと考えていたあの頃だった。
いつしか妄想していた街に暮らすことになって、雨は様々、横や前から時には下から、
水色かどうかはさておき、雨模様が場所によって違う、そんなことに気がついた。
そして、ありがたいことに仕事で訪れることになったニューヨーク、マンハッタン。
その夜明けの街の色は八神純子さんが唄っていたように紫色だった。
当時憧れから購入して作り、部屋の壁にあった夜明けのマンハッタンのジグソーパズル、
あの色と同じだ!とマンハッタンの対岸の街から眺め、感じることが出来た。
ありがたいことに世界の街に行かせてもらったからこそ体感出来た人生だった。
そんな旅の色の記憶を考えながら、ついつい長風呂になった一日を終えた。
マンハッタンの多彩な色、白くてキラキラした旅の記憶。
25年前の数年間、大晦日までみっちり仕事をして元旦フライトで向かっていたある年、
JFK空港からマンハッタン市内に向かうイエローキャブの運転手が言った。
「君はラッキーだよ。なんせ昨日までは空港は閉鎖しだし、ハイウェイも封鎖さ。酷い雪だったよ。」
たしかに市内は雪景色だったマンハッタンには、人っ子一人見かけず、
踏み荒らされていない雪がキラキラ輝いて、とても美しいシルバータウンだった。
こんな時にいられる自分はたしかにラッキーだと、運転手の言葉を思い出しながら、
早速ホテルを出て誰もいないマイナス2℃のマンハッタンを散歩した。
普段は立ち寄ることがない、元旦から開いていたダイナーに立ち寄り、
熱々の焦げたベーコンと卵焼きとパサパサのマフィンと薄いコーヒー、
映画に出てくる絵に描いたアメリカの朝食がなんだかとても美味しく思えた。
雨で言えば、雨の街と言われるイギリス、ロンドンの灰色の記憶。
何度かの出張やたった一度の観光のなかで、雨に降られることのなかったけれど、
たった一日だけ雨のロンドンを体験したその時は、映画のワンシーンや
シャーロック・ホームズの物語を想像しながら散歩している自分が可笑しかった。
ただ、英国製のキルティングジャケットのモノの意味を体感し、
傘をささないロンドン市民の真似をしながら歩き、普段は買うことはまずない、
スタンドで買ったフィッシュ&チップスの湿ったチップスがやけに美味しく、
パブで飲んだ冷たくないエールビールが頗る旨く感じられた雨に霞んだ灰色の街。
ついでにパリの雨もやっぱり映画好きで完全にウッディ・アレンに感化されている、
そう自ら感じるほどに歩き続ける自分がそこにいて、ひとり楽しむ散歩の最中、
立ち寄ったカフェのカフェオレ、普段は買わないクロワッサンとともに、
雨のテラス席にいる自分がやけに可笑しかったパリの雨、青い灰色の記憶。
なかでも一番の記憶はイタリア、ローマの青の記憶。
数回の出張のなかで唯一休日を足して訪れたローマでひとり散歩をしながら、
見上げた青い空にイタリア人の色のセンスはこういう空の下に影響されているのかな、
そう思いながら、ふと目に入ってきた丘の上の美術館の看板。
展示内容は現代アートのインスタレーション、その言葉に吸い寄せられように訪れた。
順路に導かれながら入った展示室にあったのは、坂本龍一さんの作品、テーマは雨。
指示された場所に立つと、清みきった青い空から曇り空、流れる雨雲、落ちてくる雨。
もちろん音楽は本人のピアノの音色で演出されたその作品に、
その場に固まってしまうほどの感動と心が揺さぶられる何とも言い難い体験をした。
雨が好きでわが子にも美しい雨と名付けるほどの人物の映像表現に、
自分の雨好きが更に増したように感じた、青から白と灰色、透き通った水の色の記憶。
先日、久しぶりに故郷のサクラが咲く季節に帰省した。
子供の頃に慣れ親しんだ城址公園は堀の周りの千本桜が咲き始め、きれいな桜色に包まれていた。
まだ地元にいる頃には意識もせず、気付きもせず暮らしていたけれど、今は美しい、そう気づいた。
山はうっすら煙り、空もすっきり晴れることはない灰色で、まだ新緑にならない緑と桜色。
当時、特にこの灰色の時期は気持ちもグレイだったし、ぼんやり生きていた。
だから全く気づかなかったことに、今ではそのグラデーションとコントラスト、
その先にある次の季節の色を予感させる色に気付き、喜びすら覚える。
あの頃は雨が嫌いで面倒臭くて、花が咲いたら咲いたで唾をはきたくなるほどにくすんだ日々。
故郷を離れて35年の歳月が流れてようやく気がついた春霞。
こんな自分でいられることに改めて気づかされ、嫌いだった雨が好きになり、
山々の遠景、個性豊かな山の形、雄大な川の流れ、木々の芽吹き、花の開花が愛おしく、
こんな景色に包まれていたことのありがたさに、だいぶ時間が過ぎたけれど、気がつけた、
だいぶ遅く、遅すぎたけれど、今こうしていられることがうれしく、ありがたく、愛おしい。
これまで貴重な経験をさせてもらえたこと、その機会を与えてくれたみなさまに、
改めて、ありがとうございます。
あっという間に季節か流れた東京の今日、散り始めたソメイヨシノの花びらが、
雨のように雪のように、風に吹かれて舞い踊り、次の桜は風に激しく揺れる。
今日の風は桜色、今日の天気は晴れのち曇り、夜には春雷、花散らし。
この街を離れた時にはきっと思い出す、東京の街の色の記憶。
令和七年 春雷轟く桜吹雪に
栗岩稔