2025/04/08 10:00


4月8日は花まつり、お釈迦様の誕生日。
イエスの誕生日よりもこちらのほうが日本人には縁が深いような気がするけれど、
気づいたら近所の寺院を訪れる程度の自分も含めて馴染みは薄いと思う。
まあ、日本人にとってはお釈迦様やイエスより天皇の誕生日のほうが馴染み深く、
祝日だったりするけれど、いずれにしても日本の国の古来からのめでたい日。

このところ、この酒場を訪れる外国人観光客に日本のどこを観光するかの話のなかで、
京都、大阪、富士山などの定番観光以外で、これまでに、三組が高野山だと教えてくれた。
日本人ですら訪れることが少なく、観光でという候補にあまり上がらないと思うし、
神聖な場所に軽々しく行くのはどうかなぐらいに考えているかもしれないけれど、
外国人観光客にとっての高野山は、人気の場所のひとつだと聞いて驚いた。
外国人にとってはそれぞれに宗教心が強いから、日本の宗教の象徴的な地域で、
訪れたすべての人が日本という国の文化やその心に触れて帰って行くのだろうと思う。
それにしても印象が沸かず、知識として大本山たる寺院やその他の寺のもとに暮らし、
その生活のために、寺の僧侶の生活全般に携わり生きている人が送る日々を、
そのことに感謝しながら生活の基盤にしているんだろうなと考えている。
同じようで違う永平寺界隈の地域では内に向けて閉じられた地域で、
修行自体は厳しいことは同様でも、高野山、高野町では外向きなんだと思うし、
それぞれの宗教の教えに沿って、独自の生活習慣があるんだろうなと思う。
イタリアに行くと必ずと言っていいほどに訪れていたローマ、バチカン市国、
あんな感じなのかなと考えてみるけれど、まあこれだけ書いているのだから、
いつか死ぬまでには行こう、宗教とは全く別のところで行ってみるべきと考えている。

その宗教心というもので自身を振り返ってみると、子供の頃に座禅会に参加していたけれど、
かといって仏教徒というわけではなく、それよりも山や自然に対しての信仰心みたいなもの、
どこにでも神が宿ると考える八百万の神を信じる神道のほうが割りとすんなり入ってくる。
もしかしたら、かつては日本の山々に数多く存在していたけれど、明治政府によって否定され、
存続することが出来なくなった山伏、修験道の仏教神道にとらわれない山岳信仰、
そういうもののほうが、一番宗教心としては近くにあるのかな、と思う。
そういえばだいぶ前に訪れた高尾山や御岳山では妙に心が静かで清らかになったから、
やっぱり山岳信仰なのかなと思ったりもしている。
今この世の中では、金や権力、宗教、政治、権益や駆け引きの世界になっている。
そんな中で生き抜くためにはそれなりの覚悟が必要で息抜きする暇もないけれど、
そのなかでも冷静な判断が必要になってくるし、そのための情報収集能力が求められるけれど、
そこでフル回転している脳ミソや心身を少しだけでも休ませるために、
海や山や川を訪れたり、木々や草花に触れたりして人間以外の何かに関わることが大切だと、
自身も実感、体感、痛感している今日この頃、昨今では山に対する想いはだいぶ変わり、
子供の頃には当たり前にそこにあった山々を眺めていると更にそう思う。
だから、もう少し暖かくなって春山シーズンになったら山登りをしてみようかなと思う。
それこそ、高野山を訪れてみるのも良いかも、とか考えている。

そんなことを考えていながらも、また寒さがだいぶ戻り冷たい雨が降り続いたある日、
考えることを止めたい頭のために、久しぶりにテレビなどと思って番組表を探した。
放送開始100年だったこともあって、たくさんの興味深い番組が並ぶなかにアトムがあった。
1964年発表のこのアニメ作品で設定されているのは2004年の世界。
オープニングのナレーションでは「宇宙人のみなさん!」から始まるメッセージで、
地球の状況を説明しているそのなかで、都会の人口の半分はロボットだと言っている。
これが「鉄腕アトム」のはじまりで、冒頭から驚いた。
自分が生まれる前のものだから記憶にはもちろんない。
後でテレビで観たリメイクなのかテレビ版を観たけれど全く覚えていない。
だから、とても興味深く観た。とても面白かった。

交通事故で愛する我が子を亡くした科学者が、あまりの悲しみから、
最高技術を集めてロボットで我が子を作ると決め、完成したロボットに我が子の名を付けた。
ロボットの我が子「とみお」は、食事は出来ず、決して成長することなく、
人間ではないことに自ら気付き、嫌気が差した博士は「我が子」とみおを放り出す。
別の科学者が彼を救いアトムになり、それは全てのロボットの頂点に立つロボットで、
ロボット宇宙船のパーツに指示を出し、宇宙に向かうプロジェクトを担う。
同じく自分の子供を戦争で亡くした母親が憎しみが募りその復讐のために、
戦争のためのロボット艦隊を作り、戦いに挑むためのロボット開発を進める。
こんな物語ではじまることにとにかく驚いた。
人間が乗らずに攻撃をする戦艦と戦闘機、指揮する空母自体もロボットで、人間は指示するだけ。
宇宙開発を目指す宇宙船もロボットパーツで組まれ、人間は操縦席から指示するだけ。
まさしく今でしょ、これ、思った。
とある島の攻撃対象がウラニウム研究施設だったり、話が進んで、
月に向かう宇宙船と、そこに存在する覇権争い。
もちろん内容は違うけれど、とにかく今この時代に近い事が画面のなかで描かれていた。
今のほうがより進化しているから、AIなどの技術開発により高度になり、
その技術のおかげで今、リストアされて色付けされたアトムを観ることが出来るけれど、
1960年代半ばにすでに手塚治虫さんによって作り出されているこの世界。
これを当時観ていた子供たち、今の60代後半から70代のみなさまに
これを観た印象や今の時代との答え合わせを訊いてみたい、と強く思った。
手塚治虫さんをはじめ、日本のアニメーションを今でも世界に発信している今、
外国人観光客を引き付ける日本を代表するカルチャーの起源がここにあるんだと思った。

太古の昔から人類が作り上げてきたこの世界。
これまでと今とこれからの人間社会とどう向き合うか、
そんなことを改めて、無い知恵を絞って考えてみようかと思った4月のはじまり。
4月8日は花まつり。お釈迦様はその死に向かう時には花に囲まれていたと聞く。
決して死を迎えないロボットが迎えるのは故障、不要廃棄か破壊だけ。
そこに感情は伴わず生命はない。

いつしか観た映画「アンドリューNDR114」でロビン・ウィリアムズが演じたロボット、
アンドリューと名付けられた彼は感情があるという不良、欠陥品だった。
その感情を持ちながら進化し続け、何十年も生きて、全てを手に入れた先で、
最後に彼が望んだのは人間と同じように経過する時間という概念と寿命だった。
そんな死に行く生命の儚さと尊厳みたいなものを大切に生きていたいと思う。
そんなことを考える、花冷え、桜雨、花散らしという美しい言葉が身に染み入る春に。

令和七年 はかなきコトがうつくしいのかな…。
栗岩稔