2025/04/01 10:00

「やよいさんって、三月生まれですか?」
「そう思うでしょ、でも四月生まれなのよね。女将が三月に私を産む気満々で、
名前まで決めてたのに、私が遅れて出てきて…。だから四月生まれのやよい…。」
「あら、そうでしたか。でもきれいな名前ですよね。しかも旧暦でいけば名前の通りだし。」
「そうね、ありがと」
そう言いながら、お気に入りのウォッカソーダのグラスをいつもの仕草で傾けた。
海辺の町の酒場の春にそんな会話をしたやよいさんは、きっと今では先代を継いで
老舗小料理屋の立派なおかみさんになっているんだろうな、とふと思い出すこの季節。
今日、四月一日は新年度という日本独自の区切りとけじめの日でエイプリルフール、
大正時代に日本に伝わり広まった四月バカで、「わたぬき」と読ませる日。
まさに、綿入りの布団の綿を抜いたり衣替えをしたりする季節が変わる日。
一年の四分の一が終わり、残すところあと四分の三になって始まる四月一日、四月バカ。
センバツでは十数年ぶりに春に出場した横浜高校が秋に続いて優勝して紙吹雪が舞い、
日本中に花粉が舞い、大陸から季節の風に運ばれてきた砂が舞い、
街ではチリも入り交り、春霞という美しい言葉とは裏腹に、かすみはくすみ、とも思う。
とにもかくにも四月が始まった。かといって何があるわけではないけれど、
とにかく、新学期だったり新年度だったりの新生活の気忙しいこの季節には、
ギリギリの作業らしく忙しく動き回る引っ越し業者のトラックを数多く見かけ、
公共交通機関では普段よりも混雑が激しい人の中に、真新しい制服やスーツ、
ピカピカのカバンや持ち物を身につけた姿を目にする。
その昔、♪ピッカピッカの一年生~、というCMソングがあったように、
キラキラして華やいで、活気溢れる季節なんだと思うけれど、自分は変わらない。
変わらない自分も含めて客観的に、俯瞰して街を眺めている自分に気付く。
ここ最近特にそうなってきていると思うし、そういう自分がいと可笑しい。
東京の至るところでは、ソメイヨシノが咲き乱れ、普段は手中のスマホだけで、
他のことには感心がないように思える人々も木々を見上げて写真に収めて満足して、
明治の頃に都市のための肺臓として整備された公園ではベンチに座る人が増え、
整えられた花壇の花々が咲き誇る、美しいけれど少し息苦しく、気恥ずかしいこの季節。
春めくという言葉を忘れるほどに暑かったり寒かったり、あっちこっちな今だけれど、
自然界は着実に季節が巡って、生命維持や種の保存のための営みがあって、
年々変動している気候に順応しているけれど、人間界は上手に対応出来ないかのように、
Tシャツ短パンの人、ダウンジャケットの人、カシミアマフラーにコートの人などなど、
さまざまな姿の人で溢れている光景に、わたぬきなんだよなーと思いながら、
三十年間愛用して擦りきれたペラペラの綿のコートを引っ張り出すこの季節。
つい先日久しぶりに、いつものようにエルメスのトワレ漂う女性がカウンターに座った。
いつもは夕暮れ前だけれど、その日は珍しく銀座で夕暮れに訪れた。
文化芸術全般に造詣が深く有名建築家のもとで働く感性豊かな彼女が言った。
「栗岩さんみたいに世の中を楽にっていうか客観的に見ていられるって良いわよね。
俯瞰して見ているって言うか、自分を世の中の輪の中に出し入れしている感じ、
育ちなのか生き方なのかが影響しているのかはわからないけれど、そう思うな…。」
そういうものか、そういう風に見えるんだなーと、これまた他人事のように聞いていた。
確かにここ最近特にそうなっている自分に気付いてはいたけれど、
別段意識してそうしているわけでもなく、極々自然に、達観してはいないけれど、
客観して見て物事や事象を判断して感じている、ような気がする。
「今日は命日でしょ。」と彼女が続けた。
「よく覚えてますね、直接的な関係はないのに…。」
「だってあの日もカウンターに座っていたしね、だから今日も…。」
もう何回目か忘れるほどに年月が過ぎたあの日。
師としてオヤジとして男として生き様を学び、多くを教えてくれたあの人の死もこの時期。
だからやっぱり、毎年毎年なんとなく色々なことを考える。
周りは華やいでキラキラしてピカピカだけれど、そんな世の中に
身を置くことが少し恥ずかしく、心のなかでは切なく懐かしい、
子供の頃にはどうしようもなく苦手で息苦しかったこの春という、
あと十四回のソメイヨシノの季節。
存在自体がウソにならないように。
バカだねーお前…、と言ってくれたことに改めて感謝しながら、
初めて出会った頃のあの人の年齢に近づく自分を今一度見直す春に。
令和七年 四月バカと名付けた古に敬意を表しながら
栗岩稔
追伸、ラジオから坂本龍一さんのピアノソロ、やっぱり切ないこの季節。