2025/02/25 10:00

2004年に銀座に来て、20年以上過ぎたから今改めて備忘録として徒然と。
始まりは服飾業として、経営する側だった。
2004年夏には都内百貨店と有名セレクトショップに出店して事業が始まった。
新規取扱い店舗が増えるたびに店頭を任せる専門的な人を探して雇用した。
人員が先か取引先が先か円滑に進むか売上が上がるか、駆け足で怒涛の始まりだった。
同年秋には直営店2店頭を銀座で開業した。やっぱり人材と資金が必要だった。
あの頃(今でも?)人材を人財という人がいたけれど確かにそうで、とても大変だった。
あれから21年が過ぎてもなお思い出すのは、一人三役以上こなし、走り回った自分だった。
5年後には20倍近く35人の社員を数えるまでに広がった。
何だか今思うと全てがバラバラだったし、自身は特に出来ているつもりでいた。
人、人、人の毎日だった。
2009年の春、40歳を機に以前から決めていた通り独立した。
一人になってからは、たくさんの人に助けられた。本当にたくさん支えてもらった。
2011年立春を迎える日に自身の分身のような集大成の酒場を開業した。
不安と期待と挑戦の酒場が始まった翌月、3月11日に東日本大震災が発生した。
街中が明かりを落としていたけれど、周りにはいつも人がいた。
人のつながりというものを再認識した日々のなかで、
いつしか流行り言葉のように使われるようになった「絆」という言葉に違和感を覚えた。
糸偏に半分という漢字そのものに違和感を覚えたけれど様々な場面や報道で、
使っておけば間違いない的な使われ方が特に、とてもイヤだった。
こんな時こそ本当のつながりが大切なんだと実感していた。
その時に、2008年までの三十代の自分を反省した。
「人」に苦心したけれど、自らが人に向き合っていなかった、と強く思った。
2011年以降、人とのつながりやそれを紡ぐことを大切に感謝していられると思う。
もちろん、感情のコントロールが効かずに不快な思いをさせてしまったり、
自身がネガティブになってしまって表情や態度に出たりしても、そこにいた。
組織の上にいた時、直接お客様からいただいた苦言、同僚間の意見の食い違い、
感情的な部分のすれ違いや取引先との関係性など、とにかく色々なことがあった。
けれど、そもそも自分がダメだった。
酷い上司だったし、同僚だったし、店の人間だったし、取引先担当者だった。
今にして思えば、まだまだ未熟なことを省みず謙虚にもなれずに仕事をしていた。
でも、何かに突き動かされるように突き進んだ三十代だったけれど、酷く疲れた。
毎晩毎晩酒に逃げて、酒に酔って眠りに落ちた。心身健全ではなかった。
2011年以3月11日来、反省しながら前向きに、独り自身の酒場を中心に生きていた。
最低10年と心に刻んでいた酒場の記念すべき年にパンデミックが起きた。
街中が声を潜めていたけれど、いつも周りには人がいて、改めてつながりを実感した。
4年前の2月21日、10年間生きた酒場を終えて、深い感謝と日々反省の日々を終えた。
その夏、光栄な役目をいただき、また新たな挑戦と使命を全うする日々になった。
そんなこんなでたどり着いた五十代半ばを過ぎて、還暦までは残り3年。
改めて、人に対して感謝しながら生きているけれど、人としての器には自信はない。
だから未だに、真正面から真摯に向き合って生きていくことが出来ている。
常に学びと進化と避けられない老化を忘れずに生きていられると思う。
ほんの少しだけでも器の大きい人間になれれば幸いだけれど、
今でもその実感は全くないからきっと、死ぬまでこのままなんだろうと思う。
まあでも、何だか楽しみながら生きている自分も今ここにいる。
ホント、うまくいかないことばかりだけれど、人の邪魔にならないようにそこにいて、
使命を果たして天命を全う出来るまで生きていたい。
人事を尽くして天命を待つ、という言葉が身に染みる。
つい先日、ラジオから聞き覚えのない「フキハラ」という言葉が流れていた。
「フキハラ」ってなんだ?とラジオに耳を傾けてみると、
それは不機嫌な言動で他者に対して不快な思いをさせるハラスメントだと言っていた。
なんだそりゃ!と思った。少し前の「カスハラ」もそうだけれど、
ここのところ何でもかんでもハラスメント、パワハラ、セクハラはすでに定着(!?)、
モラハラ、マタハラ、マルハラなどなど、とにかくたくさんのハラスメントがある。
確かに、その当事者にとっては大変なことだし、善悪はっきりさせることが大切だけれど、
何だかな、という気持ちも拭えないけれど、否定はしない。
理不尽な物言いをしたり、言動に問題のある人がいるから、
守るべき人を守るということでは必要なことだと思う。
社会的弱者、立場の弱い人、上下関係、男女間といった現代社会の人間同士には
色々な関係があるし、そこには必ず感情が伴い、人間ならではのものとして存在する。
その感情をコントロールするのが理性だし、心を整えるのが道徳心とか倫理観だと思う。
相互理解と存在を認めあうことで初めて円滑な人間関係と社会か生まれると思う。
けれど、何でもかんでもハラスメントになっていったら、そもそもの行動自体が小さくなり、
小ぢんまりまとまっちゃうんじゃないか、あれもダメこれもダメ、こう言うとダメ、
だから言葉を変えたり、柔らかくしたり、この文章はダメだからこっちで、とか、
リスクをとらないような生き方になっちゃうんじゃないかって思ったり、
人と人の距離感が広がっていくんだろうな、とも思ったりしている。
大丈夫かな、人間社会と現代人とこれからの人類全て。
5年前のパンデミックで広かった物理的な距離感と心理的な距離感と猜疑心、
それが更に広がっていくんだろうなと思う。
外国人の居住者が急増したある町の消防団に外国人が加入した話のなかで、
共存する外国人とのコミュニケーションのために活動する外国人の団員の役割と、
その効果がとても印象に残ったけれど、なかでも災害時の避難所などで不安になった時、
その不安を和らげるためには、まずハグすることが良いし、大切なんだと言っていた。
西洋諸国の人たちがそうするように、日本人もしてみたら良いのではと。
かといって誰彼構わずハグしたら、それこそセクハラとか言われてしまうけれど、
心臓と心臓をあわせるハグ、なかなか難しいかもしれないけれど良いと思った。
何年か前にハラスメントについて、20年前から付き合ってくれている後輩で、
当時は部下で同僚、今では立派に服飾の店頭を運営している彼との雑談のなかで、
「あの頃の栗岩さんだったら、今きっとハラスメントで訴えられちゃいますね、色々と。」
苦笑いでしか返すことが出来ない自分に対して、笑いながら言っていた。
これまで栗岩稔に関わってくださったみなさま、本当にごめんなさい。
まだまだ、な自分ですがもう少しだけお付き合いいただけたら幸いです。
そうそう、そういえば、最近よく耳にする言葉は「寄り添う」と「安心安全」ですね。
本当に寄り添っていて、安心出来て、安全な人間社会だったら良いですけどね…。
令和七年 銀座備忘録のつもりが人について独り言
栗岩稔