2025/02/18 10:00

国立天文台の告知によると、今日2月18日火曜日は、
二十四節気の2番目「雨水」で雪が雨に変わる頃。
七十二候では「土脈潤起(つちのしょううるおいおこる)」
暖かな春の雨に変わり、大地に潤いを与え寒さもゆるみ眠っていた動物も目を覚ます頃。
だけれど、この冬の山間部では、冬眠しているはずの熊が町に降りてきて餌を漁り、
接岸しているはずの流氷が、ようやく今日になって接岸したりと、なんだかおかしな冬だった。
春になったと思ったら、大寒波に襲われて大雪が降ったと思ったら、気温が上がって、
雪崩注意報が出たり、とんでもない風が吹いて被害を出したりしている。
けれど、つい先日、いつもの山茶花の木でメジロのツガイを見かけて安心した。
今日からまた大寒波がくると天気予報でお知らせしてはいるものの、
街では季節が着実に移ろっていることに気付き、とても冷たい風が吹いていてもうれしい。
それにしても相変わらず乾燥している。今年は特に乾いていることが手荒れでわかる。
年齢的なものもあるだろうけれど、とにかく例年になく手が荒れている。
とにかく乾いている。乾燥しているし、水分も摂らないからなおのこと、カサカサになる。
この時期のほうが脱水状態になりやすいから気を付けるように、と医師が言っていた。
確かに、この時期は朝晩の大きなコップ2杯の水以外はほとんど水分を摂らない。
水分といえば、大好きなコーヒーとビールぐらいだけど、
利尿作用があるから体内の水分を体外に出してしまうし、
アルコールを消化するために水分を使う。だから足りていないのだろうと思う。
かといって水分をあまり摂らないことに変わりはないし、なかなか出来ない。
食事も油ものを摂ることがほとんどなくなっているから、乾くし荒れる。
かといって、油ものを食べたいかと言われても、そんな食欲はない。
そんなこともあわせて手が荒れる。右手の指先すべてか縦に割れた。
毎朝毎晩ハンドクリームを塗っていてもダメだった、けれど、あまり痛みはない。
長らくこの仕事をしている関係で慣れてしまっているけれど、やっぱりレモン、ライムは少々きつい。
今年は特に手が荒れているし、これから一番手荒れの季節だし、乾いている。
春の雨が降って暖かくなっても、自分にはまだ潤いは起きてこない。
残念ながら、もう少し先になるのだと思うから、それまでは我慢する。
自分も乾いているけれど、街も乾いている。
今目の前に広がっている都会の隙間の空き地にも枯れ葉が舞っている。
枯れ葉に混じってティッシュやらコンビニ袋やら大きな買い物袋が舞っている。
吹きだまりの角には誰かが履きためたように枯れ葉の山が出来ている。
街が乾いて荒んでいると思う。この路地裏でも毎日吸い殻を2、3本拾っている。
国産銘柄、見たことのない銘柄、紙巻き、電子、色々拾っている。
この街にいるのなら、せめて街に敬意を表して欲しいと思う。
けれど、今までずっと、きっとこれからも変わらない。なんだか切ない。
風が冷たいし、寒いし、風向きが変わっても、春の風になってもまだ、冷たい。
都会の風は特に寒々しいし、乾いていて、とにかく街が荒んでいる、と思う。
冷たく強い風が吹き荒れた日の午後に邪気について話しをする機会があった。
対処としては、ネガティブな人に接することで自分が負けないようにする。
そのための自身独自の何かを見つけてそれを実行するということになった。
自分自身はというと、塩をなめる。邪気を払いたい時にはだいぶ前からそうしている。
何か明解な理由があるわけではないけれど、日本古来の風習であるからそうしてみた。
店先で塩を盛ってあるのを見たり、告別式参列後のお清めの塩だったり、
イヤな客が帰ったあとの「塩を撒いておけ!」というドラマのお決まりの台詞や、
大相撲の取り組み前、軍配が返るまで仕切る時に塩を撒いていたり、だから。
精製塩ではなく天然の塩を少しなめるとすっきりする、ような気がする。
邪気を受け止めた時に、自分が負けないようにそうしている。あとは足がつる時にも…。
元洋服屋としての対処は、ダークカラーを選んでしまいそうなネガティブな時こそ、
明るい色を身につけるようにしている。黒や灰色が続いてしまわないように、
気分的だけではなく、体力的にもまいっているときも明るい色、好きなオレンジ色を選ぶ。
今こうして書いている文章もそうかもしれない。読んでいただいている人には申し訳ないけれど、
邪気やネガティブや後ろ向きな気にやられてしまいそうな時に書いて吐き出している。
最近特に、人間社会すべてが何だか荒れている、ような気がする。
冷たいけれど春の風が心地好く感じられない時はきっと、邪気を含んでいる、とも思う。
まあ、そんなことを考えて書いている時点で自分が若干負けているのだろうと思う。
邪気というか、ネガティブというか、バイオリズムの問題なのかな、とも思う。
だから、今日はこうして書いて見直して、オレンジ色のニットを着て、塩もなめた。
今年も銀座の柳の葉がすべて落ちることなく冬を終えようとしている。
このまま新芽が美しい季節を迎えることになるのかな、と眺めている。
静かに落ちる柳の葉はきれいだけれど、強風にあおられてしなる枝から舞うと散らかる。
でも街路では見かけることはなく、誰かがきれいに片付けている。
そういうことに気付くことが出来る自分にはまだ救いがあるのかなと思う。
いつかのラジオでパーソナリティーが言っていた、
「街がきれいなのは誰かがそうしているんだよ。小人がいるんじゃないよ!」って。
今目の前の空き地は管理者がいて管理する看板だけが立っている。
強風にあおられて揺れる看板と周囲に広がる仕切り幕の内側では、
小さな渦を巻いて柳の葉やら桜の葉やら、木の枝やら、空き缶、吸い殻、ゴミが舞っている。
隠すように張り巡らされた黒いシートの隙間から雑草が顔を出して育っている。
立ち入り禁止だから入れない、だから片付けたくても片付けられない。
せめて、この路地だけでも、出来るだけ、出来る範囲で、きれいにしていようと思う。
今日も吸い殻を3本拾って捨てて、石鹸でしっかり手を洗った。
だからまた、手が荒れてカサカサになって、また新しく指先が割れる。
街が荒んでいる、ように感じている自分も荒むし、手が荒れる、けれど、あと少しと思う。
そういえば、木の芽時、なんて言葉もあった。
木の芽時は気を付けろ、と誰かが言っていた。
令和七年 とにもかくにも乾いた街で
栗岩稔