2025/02/11 10:00

トップスのチョコレートケーキを頂いた。
上京したばかりの渋谷にいた頃に憧れだった。
給料日になると西武百貨店のなかにあったティールームに行って、
これもまた美味しいカレーライスとチョコレートケーキを頂いた。
大切な人への贈り物に一本買う時にはドキドキしたけれど、
そうすることが出来た自分が誇らしく、大人になった気がした。
先日頂いたトップスの変わらないパッケージを見ているだけで、
36年間の東京生活が走馬灯のように駆け巡った。
最近は特にこういう楓に思いを巡らせることが増えた。
本当にあっという間に過ぎ去った。あっという間に歳を取った。
だから忘れないように備忘録代わりに書いておこうと思った。
今回は渋谷のこと。
36年前の6月1日午前8時の渋谷ハチ公前スクランブル交差点から始まった東京。
スクランブル交差点というものすら初めてだったし、人が多すぎて、
眺めているだけで渡れないあの朝、こんなに多くの人がいる街では暮らせない、
こんな街では到底出来ないという不安に襲われて、役目を終えたらすぐ帰ろう、
故郷で仕事を探そう、ぐらいに考えさせられた東京生活初日の渋谷。
けれど、あれから、あの日からすでに36年の日々が過ぎた。
渋谷にいた頃に好きだったモノ。
台湾料理店「麗郷」の腸詰め、居酒屋「かに谷」の昼のたらこ定食。
キリンシティのビールとチキンバスケット、ジャズバー「デュエット」
そこのフォアローゼスの並々と注がれたオンザロックとバターではなくソルトピーナッツ。
井の頭線ガード下のやきとり屋、同じく洋食屋のフレンチサラダとナポリタンと、
自分へのご褒美に極々たまに頂いたカニクリームコロッケ。
バー「門」のスクリュードライバー、バッハが流れる喫茶店、「セピアの庭で」の
やさしく語るマスターとの会話とブレンドコーヒーの時間。
数少ない休日のほぼ丸一日滞在して品定めしていた「東急ハンズ渋谷店」。
こういうモノで街に溶け込み、紛れ込み、馴染んでいった。
自分の好きなモノやコトが渋谷の街の自分の居場所になった。
でも、今でも残っているのは東急ハンズと台湾料理店「麗郷」しかない。
それだけでも時の流れと変化を感じる。あの街にいた頃が懐かしい。
あれからすでき30年以上過ぎた6月のある日、友人からの誘いで、
イタリア文化協会のイベントに参加するために渋谷の街で待ち合わせた。
住所とビル名だけで辿り着けるからと、当日は現場で落ち合うことにした。
けれど、自分の基点にしていたハチ公前交差点がそもそも違っていた。
慣れ親しんだ景色とは全く違っていた街の様相に焦った。
だから治下通路からのアクセスを試したけれど、これまた拡大、延長。
諦めて地上に戻り、地図検索しながらビル群の間を彷徨った。
ようやく見つけたそのビルに向かうウッドデッキで転けた。
あまりにも変わりすぎた街並みを見上げていたら、段差に気付かず、
たった一段の段差に気付かないほどに上ばかり見上げていて蹴躓いた。
30年ぶりのお上りさんになっていた。
せっかく誘ってくれた友人にはうずくまったまま再会して、挨拶と詫びで別れた。
申し訳ないと思ったけれど、それ以上は無理、というほどに痛かった。
後日の診察で、50歳を過ぎて弱っていた足の骨にヒビが入っていた。
3年前、慕ってくれている後輩がゲストバーテンダーという光栄で、
少し気恥ずかしい立場で渋谷のイベントに招いてくれた。
渋谷円山町のホテル街の一角にあるビルの屋根裏の酒場でとても楽しい夜だった。
たくさんの新たな出会いがあった夜、円山町という今もあまり変わらない街を、
迷うことなく終電車に余裕をもって、深夜の渋谷を眺めながら帰路に着いた。
道玄坂に降りるとあまりの人混みに圧倒されて、地下通路に逃げ込んだ。
迷うことなく行けるつもりが迷い、乗るべき地下鉄の改札がわからずに焦った。
結局、最終電車に飛び乗るはめになるほどに、深夜の渋谷地下通路を走った。
ゲストとして招かれたことがうれしく、感謝いっぱいだったその帰りに疲れた。
自宅最寄り駅の改札を抜けて地上に出ると本願寺が迎えてくれて安心した。
焦った、走った帰路だったけれど、やっぱり良い夜だと思えた。
昨年は音楽イベントに参加するため、夕方の渋谷の街を訪れた。
お誘いした男性とハチ公前交差点あたりで待ち合わせをしたものの、
36年前の朝を彷彿とさせる、あの時よりもたくさんかの人、
目眩がするほどに行き交う人の多さに、具合が悪くなり、
誘ってくれたイベント主催者、お誘いした男性双方に申し訳なく、
悪いことをしたけれど、とても無理だったので、そのまま渋谷を離れた。
銀座に戻り、JR高架下の馴染みのミュンヘンビヤホールでビールを呑んだ。
体調が悪かったことなどすっかり忘れて、うまいビールを頂いた。
つい先日、この酒場で東京の良いモノを知り尽くした美しく素敵な母娘から、
トップスのチョコレートケーキを頂いた。
90歳を超えてもなお美しい母親はかつて、オートクチュールのアトリエで働き、
自分が生まれる前の東京で華やかな服飾業界に身をおき、
後に自分も関わることになるメンズファッションの礎を気付いた方々とも交流があり、
近くて遠い時代の格好良い大人たちの話しを聞かせてくださった。
随所に出てきた名前の方々がいなければ自分は東京にいることはなく、
ましてや、今こうして銀座で酒場を預かっていることすらなかった、
そんなことを考えさせられたトップスのチョコレートケーキ。
まだ渋谷しか知らなかった東京生活のなかで自分へのご褒美だったチョコレートケーキ。
それを東京を知りつくし生き抜いてきた美しい女性から頂いた。
同じく美しい同世代の娘さんとは共通の知人の名前も出てきた。
それもこれも人の縁、そう強く感じて、とてもとても、ありがたかった。
パッケージを眺めているだけでもたくさんのことが駆け巡った。
もちろん、美味しく、ありがたく、じっくり味わいながら頂いた。
もちろん変わらず美味しかった。
変わらずあり続けるモノ、それがとても大切だと強く思った。
そうするためにするべきコトを心に誓った。
令和七年 変わらずあり続けるモノとコト…
栗岩稔