2025/01/28 10:00
1966年にそのビルが出来た。
銀座の真ん中、皇居から真っ直ぐに延びる晴海通りと外堀通りが交わるところ、
銀座の入り口で街に開かれた庭として建てられたそこは街に馴染んだ。
銀座で唯一企業名が入った通り、近隣商店会からの打診で命名された、
地下鉄の入り口でもあり、地下ではコンコースから入ることが出来る一体化された建物で、
その場でずっと街の一部としてそこにあり続けた。
1990年、上京して間もない頃からずっと、そこに行くことが楽しく、
刺激的で学びも多く、頻繁に訪れた。
日本では見ることの出来ないアメリカ雑貨店、外堀通りに面した半地下で、
帆船をイメージしたビアパブではオリジナルビールを楽しんだ。
フランスの名店、日本では唯一のレストランは高嶺の花だったけれど、
そこのお菓子を買って大切な人への贈り物にしながら、いつの日にかは、と眺めていた。
その建物にいること自体がカッコ良いと勘違いしながらも良い時間だった。
2021年夏、55年を経た建物の最期の100日間のためだけに作られた酒場を任された。
夢のような依頼とその費やした時間では、アメリカ雑貨店を立ち上げた人、
フレンチレストランの当時の支配人をはじめたくさんの人に出会うことが出来た。
何よりもその企業ブランドの少しだけの代弁者として使命を全うすることが出来て、
50歳を過ぎてようやく、バーテンダーとして人生の区切りとけじめが出来た。
2021年秋、その建物と歴史と共に酒場もなくなり、最期の100日間を見届けた。
あれから4年、2025年1月に新たな建物が銀座の入り口で街に開かれた公園として、
59年ぶりにその地に真新しい建物が出来た。次の50年後を見越しながら…。
開園の前日、その公園の思索から始めて10年以上、責任者として携わった男性が
多忙を極めるなかで、銀座の端っこで今預かるこの酒場を訪れてくれた。
日頃から自身のバロメーターとしているジンリッキーとおまかせのウイスキーでちょいソーダを、
けじめのようにじっくりと楽しんだ。
少しだけ疲れの見えたその佇まいに、勝手に少しだけ薄く作った2杯を飲み、
翌日からはじまる本番を前に良い時間でおわりとはじまりの酒
そういう酒の時間になったのであればうれしい。
その翌日、開園に立ち会いたいがためだけに数寄屋橋交差点を訪れた。
4年前に共に仕事をしたスタッフ、関係者の面々と再会して共に喜んだ。
久しぶりに涙腺が弛んでいるのに気がついたけれど、その瞬間を共に待った。
2025年1月26日午前11時、銀座ソニーパークが開園した。
その瞬間に痛く感動したけれど、中には入らず遠くから眺めながら立ち去った。
その日はそのまま30年来の友人、初めは当時いた会社の新規事業の後輩で、
共に東京のみならず、日本中を駆けずり回り苦楽を共にした男と酒を呑んだ。
サシで呑むこと自体もきっと30年ぶりに、銀座の端っこで酒を呑んだ。
当時の会社は25年前に解散、その後は田舎に帰り、新たな仕事に励み、
趣味でもあったデニムの事業を立ち上げた際には、こちらはオーダースーツ屋。
銀座で運営していたオーダークロージングサロンでオーダーデニムを扱うことになり、
無理を承知で彼に託し、そのシステムを作り上げてくれた。
当時はまだ誰もやっていなかったデニムパンツのオーダーシステム、
大量生産工場のラインを一本ずつ、一人のためのデニムパンツを流すという、
大それたシステムを構築してくれたことがとてもありがたかった。
その日は当時作ったデニムパンツ(幸いまだ体型維持!)をはいて彼に会った。
彼と、それこそ汗水流して働いていた当時、銀座地区では松屋銀座本店が取引先だった。
担当していた時には週に一度御用聞きのように顔を出していた松屋銀座本店は100周年を迎える。
昨年秋はそのプロローグイベントでの酒場で酒番として関わることが出来た。
本番としての今年も酒場が出来て関わる予定になってる。
仕事の内容が変わっても30年来ずっとお付き合いさせてもらっていることがうれしいし、
その大きくて大切な節目に立ち会い、関わらせてもらえることがありがたく光栄に感じる。
世界的な企業や銀座の歴史を作り見守ってきた百貨店や銀座に生きる人々、
その縁を深く、ありがたく、うれしく、感謝しながら、
目の前で広島弁満載で楽しそうに話す彼と酒を呑んだ。
ゆかいな酒席を共に出来る30年来の友人。
お互いに50歳を越えてオッサンになった。
たまたま同い年の娘を持つ親父になった。
二人が酒を酌み交わす良い午後になった。
少しというか、だいぶ酔った。
55歳を迎えた時に思い描いた5年後、還暦の自分に少しずつ、きっと、多分近づいている。
上京して35年、銀座に関わって20年、こんなにうれしいことはない。
夕暮れを迎え、大相撲千秋楽を観ながら、彼から頂いた広島菜の漬物でまた酒を呑んだ。
とても良い日曜日になった。
令和七年 立春を前に晴れたハレの日に
栗岩稔