2025/01/21 10:00

新春の酒場のある夜、明日と書いて「ぬくい」と言いますと名前を教えてもらった。
思わず固まって動きが止まるほどの驚きで聞き直した。
聞けば山形のある地域には多い名前だそうで、由来などはわからないという。
いつの日にか「ぬくいさん」を調べて、その地域を旅してみたくなった。
そういう自分の「栗岩」もなかなか珍しい名字らしく、
自分にとってはいたって普通、というか付いてまわって生きてきたけれど、
東京に来てからは特に珍しがられることが多く、実際に35年の東京暮らしでは、
たった一人だけしか、それすら奇跡的にだと思うけれど、出会っていない。
その「栗岩さん」も50年間生きてきて、自分の珍しい名字を検索してみたところ、
日本中に500人ほどいて、その中の一人がどうやら酒場をやっているらしい、
だから思いきって行ってみるかと訪ねてきてくれたのは数年前で、
お互いにその時、人生で初めて、きっと最初で最後に栗岩「さん」と呼ふ他人だった。
今でもこの酒場に訪ねてきてくれるけれど、いまだに栗岩「さん」と呼ぶことには慣れないし、気恥ずかしく、照れ臭い。
たまたま同席していた人たちは、栗岩さんが二人いることに驚いていた。
栗岩という姓は、新潟との県境、長野県飯山市に多く、父親の出身地でもあり、
生まれた集落はほとんどが同姓で、すべての家には屋号があって、
「北の家のみのる」と呼ばれた北の家は何故かというと読んで字の如くで、
集落の一番北側は見渡す限りの田んぼ、背後には山(その山はなぜか黒岩山)がひかえていた。
小学生の頃、地元紙に山菜採りの栗岩トメさんが熊に襲われたという記事が出た時、
担任教師にひどく心配されたけれど、親戚でも何でもなく、
父親の生まれた地域には多い名前で、そのあたりの話だと説明したことを思い出す。
飯山市にはたくさんいたけれど、地元上田市では我が家一軒しかなかった。
だから、地元で遊ぶ時には必ず下の名前「稔」と呼んでもらっていた。
そうしてもらわないと、家の所在がバレるという理由からで、
そもそも後ろめたいことをしていなければ良いのだけれど…、そうしていた。
だから今でも「稔」と呼ぶ人は大概地元の知人だと思ってもらって間違いなく、
特に呼び捨てになると、ごくごく身近な関係の女友だちということになるかと。
先日の「ぬくいさん」もそうだけれど、酒場ではいろいろな人に出会うことが出来る。
この小さな酒場を通して、この街に集まる人々の縮図も見られることが面白いし、
東京という街は昼も夜もたくさんの人、国内外問わずに寄せ付けていることを実感する。
国内では地方出身が大多数だと思えるのは特に今、新春の頃の雑煮の話題。
それぞれの家の雑煮なカタチを聞くと地域の風土が垣間見れて面白い。
角もち、丸もち、白みそ、しょうゆ、とり出汁、鰹出汁に昆布出汁、アゴ出汁、
焼きもちかそのまま入れるか、具だくさんか少ないか、などなど。
アゴ出汁、白みそ、丸もちあんこ入りなんていうのもあった。
反面、この時期に感じるのは江戸、東京の風習。
雑煮は小松菜と蒲鉾だけのとり出汁でシンプルに、松の内はいつまでか、
その松飾りの竹のカタチ、真っ直ぐか斜めか、飾り方や飾るモノ。
街では、新春出初め式や日本橋の江戸前海苔の老舗の初売りでの木遣り。
江戸が出来て約500年、東京になって150年。
その人々の暮らしと街に残る江戸のならわしと江戸しぐさを感じるし、
江戸は江戸川を越えるか否か、隅田川はどうか、下町はどこか、ホンモノの江戸っ子は、とか。
この小さな東京のそれぞれの地域でも風習や風土、風紀が違って興味深く、面白い。
近くて遠くに感じる銀座と日本橋、間に控える京橋、ここだけでもだいぶ違う。
そんな時期もなんだかんだで新春1月も20日を過ぎる。
暦の上では一番寒くなる大寒だけれど今週は気温が高く春の季候になるらしい。
明日と書いてぬくいさんの山形では待ち遠しい春に明日は温かい日になれば良い、
そう願いをこめて明日さんをぬくいさんとした、なんて理由だったら良いな、なんて。
栗の木があって、大きな岩がある山のふもとに暮らした人たちがいて、
民衆が姓名を持って戸籍を作らなければいけなかったあの時代に、
集落を檀家に持つ寺の住職が「栗岩」でどうだい、と半ばひとまとめで決めたのかな、
などと思いを馳せてみたりしながら、この150年の間に変わってきた人の暮らし、
そのなかでも変わらず自分を表す名前を持ち、その由来や風土を考えているだけで、
時の流れを感じ、季節の変化を感じると同時に、人類だけの時間軸の流れも感じる。
その流れをそれぞれに感じていたい、そう切に思う大寒の頃の東京暮らし。
東京暮らしを始めて、初めて知ったことがある。
あたりまえのようにあって、子供の頃から大好物だった「牛乳パン」
近所の商店やパン屋に普通に並んでいて、それぞれに少しだけ違って、好みがあった「牛乳パン」
当時よく遊び回り、近所に住んでいた友だちも大好物でひとつを分けあった「牛乳パン」
たぶん県内で子供時代を過ごした人たちそれぞれに普通にあった「牛乳パン」
それが東京にはなかった。
上京間もない頃、無性に食べたくなって買いに行ったけれど、何処にもなかった。
スーパー、コンビニ、パン屋さん、探しまわって初めて知った長野のパン。
今時に言うと、ソウルフードの「牛乳パン」
最近では地元の駅でお土産モノ扱いでご当地スナックと共に売っている。
つい先日、友だちの命日が近づいていたから買った「牛乳パン」
献杯ならぬ献パンとして、じっくり味わいながらいただいた、長野県上田市出身56歳。
令和七年 一番寒いはずなのに温い大寒に
栗岩稔