2025/01/14 10:00


昭和100年、平成35年、戦後80年、令和7年の今年はこうなる。


様々な事象に考えを巡らせ過ぎて若干迷走気味の自分がいるけれど、
そのなかでも、発生から30年が過ぎる阪神・淡路大震災の記憶は鮮明に甦る。
仕事で頻繁に訪れていた神戸の街が一晩で一変したあの様子は忘れられない。
何だかとてつもない恐怖と自然に対する脅威を強く感じたことを覚えている。
その後も、中越地震、東日本大震災、熊本大地震、北海道胆振東部地震、昨年の能登半島沖地震。
日本全国北から南まで、ここに書ききれないほどの地震が起きている、世界中でも。

地球自体の地殻変動が起因しているのだろうけれど、地震以外の大災害は環境の変化、
産業革命以降の人類の営みが大きな影響を及ぼしているのだろうから考えてしまう。

災害時に淡々とカウントされる途絶えた生命の数が増えていくことが悲しいし、
その後の災害関連死と呼ばれている人間同士の関係性から起きる絶命がひどく切ない。
救えるはずだった、かもしれない生命が消えていく現実を見ながら、
何も出来ない自分がそこにいるし、何も出来ないことも受け止めて理解している。

そんなことを考えさせられる年のはじめ、今年はどうなるんだろうかとも考えている。
日本国内はもちろん、世界中至るところで起きる事象や終わることのない紛争や社会問題。
現代社会の闇のようなものを最近特に感じるけれど、ここにも何も出来ない自分がいる。
佳くも悪くも、大きな変化があるんだろうな、だから自分は地に足つけて
踏ん張って、軸がぶれないように生きていこう、そうするしかないから…。
そう思うけれど、一番恐れるべきは人間なのかな、とも思う。

先日、村上春樹著「かえるくん、東京を救う/新着社/2000年刊行」を読んだ。
その物語は、山手線一周ほどもある巨大なみみずが溜まりにたまった事象、
怒り、不満、鬱憤といった負の要素を飲み込んできたものの、それが大爆発して(させて)
1995年1月に関西地方に大きな地震を起こし、2月18日には関東地方、
東京新宿都庁の真下にいて、被災者15万人に及ぶ大規模災害を起こす準備をしている。
それを阻止しようとする2mほどもあるかえるくんと、平凡な会社員片桐。
誰にも知られることなく、ヒーローになるわけでもなく東京を救う、という話。
その予定時刻を過ぎた東京の街は何事もなかったように普段通りの一日が訪れている。
かえるくんと片桐だけがその事を記憶しているけれど、周りでは淡々と時が流れる。

久しぶりに読んでみると、以前は大きなみみずとかえるという設定に
少し抵抗感を覚えたけれど、今になるとより深く読み込むことが出来た。
人知れず、知らず知らずに溜め込んでいる人間の闇の部分がみみずで、
そもそも人間界が及ぼした悪影響に対して、自然界が警告したのもみみずで、
次は東京だぞ、日本の国の政治の中心地のこの街が壊滅的被害を受けたら、
国全体が危ぶまれる状態に陥るぞ、ということの警鐘なんだろうとも思う。
それを阻止したかえるくんは片桐にしか見えず誰にも知られていない。
片桐は東京という小さいけれど大きな街で一生懸命生きながら、諦め感が漂う独身男。
若い時に両親をなくし男手ひとつで二人のきょうだいを育て上げ、
今ではその二人とも交流がなく、独り大きな人の波や渦のなかで生きている。
大きなことを成し遂げた二人が誰にも知られることがなく、何事もなかったように、
もしかしたら全てが夢だったかもしれず、英雄になることもなく。
結果、傷ついたかえるくんは小さな虫の集団に食われ自然に還り、片桐は病床でそれを見る。
人間界のなかでは、ただひとり記憶に残した男、片桐。そこまで一気に読み終えた。
著者は、現代社会に対するメッセージを実際に起きた災害を題材に創作したなかに
強く大きな警鐘を鳴らしている、そんなふうに感じられるようになった自分、
その感性の変化と年齢の積み重ねからくる経験の数を実感した。

読み終えてすぐに、1995年3月に起きた地下鉄サリン事件を思い出した。
人間のエゴというか自己主張というか、ネジ曲がった社会に対する感情を、
同じ人間に無差別に撒き散らしたあの事件からも30年が過ぎる。
それを起こした宗教団体だって基は社会に対する不安や自身に対する不安などから
社会に居場所をなくした人々が救いを求めて教えを信じて集まったはずが、
それを支配した幹部と洗脳すらしたんだろうと思う行動、起こした事件。
決して忘れてはいけない人間の所業、それが「みみず」かもしれないし…。
相変わらず「世の中カネ」という現代社会では負の感情はたまり、闇に蓄積する。
いつしか「みみず」が超巨大になって、何か取り返しのつかない何か、
そんなことが起きなければ良いなと心底思う。
もし突然の災害や事故て生命が途絶えても自分は「健全」でいたい、そう思う。

「かえるくん」は現れないけれど、最期はかえるくんみたいに自然に還りたい。

令和七年 昭和100年 平成35年 戦後80年という節目に
栗岩稔

追伸、10歳の時に一緒に遊んでいた友だちが、目の前からいなくなって45年が過ぎる。
一緒で生命が消える、それを実感したあの感覚は絶対に忘れない、死の時まで絶対に。