2024/12/03 10:00


11月終わりのある朝、いつもの喫煙所で。

季節の移ろいを感じている柿の木と青い空の対比の美しさに、
いつものように写真に収めていた。(と言ってもスマホのカメラでスマホに…。)
そこに、よく立ち話をする煙の友が元気に挨拶をしながら近づいた。
「今日の風は何色ですか?」
「今日は蒼、ですかね。」
そう言いながら、一瞬で消え行く白い煙を青空に吐いた。

私がSNSに投稿している写真には色がない。
色がないと言うより、あえてモノクロに加工している。
度々、何故かと訊かれる。
その答えはいつも、色を想像して欲しいと思うからとしている。
今の時代、何でもかんでも写真に収めて満足してしまうことが多いと思う。
もちろん、後になってひとりで見返すこともあるだろうし、
その収めた写真だけで会話をしている人たちもいると思う。
けれど、今そこの目の前に広がる人やモノを差し置いて、
スマホのなかの小さな写真だけで会話していることが何だか寂しく思う。
だからせめて、自分のモノクロ写真を誰かがSNS上で見た時に、
あれ、この色は何だろうとか、この影は何の影だろうとか、
その写真で少しでも想像してもらえたら、うれしい。

そもそも、写真という物は光を撮ることから始まったと考えているし、
その陰影だけで、モノのカタチを表現することが出来ると思っている。
その陰影で写したモノから想像を膨らませることが楽しいと思う。
昨今では、過去のモノクロ写真を判別してカラー化したものも見かける。
それらの写真を見るとよりその時代の世情がよく分かる。
それまで想像だけで感じていた色の答え合わせも出来て楽しい。
止まっていた写真のなかのモノが息づいてくるように思える。
かといって、こんか大層なことを言っているくせに、
一眼レフカメラでも何でもなく、ただのスマホで撮っている。
その機能を利用して明るくなりすぎる画面の色調や構図を調整している。
それが上手くいっているかどうかはわからないけれど満足している。
自己満足だと思われるかもしれないけれど、そう決めている。
人物はいれない。それがプライベートに関わることだからもあるけれど、
その写真に自分がいることも想像してもらっても良いかな、とも思う。

と、まあ、ウツラウツラと日々、時間の流れや季節の移ろい、
人の営みを感じながら,町を歩き、町に生きて、過ごしている。
こんな風に感じている自分が面白いし、こんな年齢になった自分が可笑しい。
何だかむず痒いような気もしているし、こんなんで良いんだっけ?
まあ、こんなんで良いんじゃないかな自分、とかとか。
何だかボヤボヤとツラヅラと考えている。

けれど時間は流れていく。流れていくことに不安を覚えることもあるけれど、
時間は勝手に流れていく。唯一全人類に平等に定められた時間は流れていく。
古の人々が決めた時間という枠のなかで生きている。
もちろん、それに抗うことは出来ないし、するつもりもない。
けれど、日々、目に映る町の景色や光を写真に収めることで、
何かを留めておけたら、それで良いと思う。
日々の生活のなかに、ほんの一瞬でも止まったように、
時間を止めたように映る景色が記憶に残せるのであれば、うれしい。

もう師走になる。
この一年もあっという間だった、あっという間の感覚的な速度が加速している。
ホント、速い。速すぎて追いつけないんじゃないか、自分。
そう思うこともあるから、自身のラストランの速度を早めていこうて思う。
この師走が心を亡くすことなく、美しく思えるように生きていきたい。

師走の冷たい風は何色でしょうか。
青だったり、蒼だったり、灰色だったりするかもしれない。
東京の風に雪混じりの白はなかなかないけれど…。

この冬、東京に雪は降るのでしょうか。

令和六年 桃栗三年柿八年、俺何年…。
栗岩稔