2024/11/12 10:00


11月12日は「洋服の日」らしい、初めて知った。

何かの記念日かなと検索してみたらそうだった。

1872年、明治5年に「礼服ニハ洋服ヲ着用ス」として、
公家、武家風の礼服衣装が廃止され、役人は大礼服、通常礼服を
着用すると発令された日らしく、この日が11月12日。
時が流れて1929年に東京都洋服商工組合が記念日として「洋服の日」としたらしい。
ちなみに、「洋」服は「西洋」服の略。

けれど一般の人々にはピンとこなかったんだろうなと思う。
日常生活には未だ「和」服だったんだろうし、まだ「洋」服なんて、
普及もしていないだろうし、手に入るとしても高価で、限られた一部、
裕福な人々のモノだったんだろうと容易に想像出来る。
だから町中の景色のなかにもあからさまに、懐具合や暮らしそのもの、
そういうものが見え隠れして、区別されていたんだろうと思う。

実際に司馬遼太郎の著者を原作とした歴史ドラマ「坂の上の雲」のなかでも、
軍人、役人は小綺麗な西洋の服を着用しているけれど、
市井の人々は和服で日常生活をしていて、地域的格差もそこに見える。
このドラマは日清、日露戦争あたりの時代設定で、明治20年前後、
舞台は松山市と東京市と戦場が物語の中心になっているから、
わかりやすく「洋」服なんて普及していなかったことが見てとれる。
高嶺の花過ぎて、手に入ったとしても一張羅だったんだろうな、と。

立冬を過ぎてようやくはじめた衣替えで出してきたコートにしたって、
外套や合羽だったから、用途が違うものだったんだろし、
そもそも外套を着ることが出来る人も限られていたと思う。
撥水性の高い羊毛や毛くずを集めた、英国で言うところのホームスパン、
高熱、高圧で圧着したフェルトなんかが舶来品で出回って、
それを自国生産出来るようになってはじめて、一般の人々にも、
それまでは、柿渋などを厚塗りした羽織で雨風をよけていたものに代わり、
外套として出回り、和洋折衷の着こなしになったんだろうと思う。
まあでも、それはそれで、今見ると、粋な着こなしに思える。

それにしても、たった150年の間に日本という国が豊かになったんだなと思う。
好きだからついたくさん手に入れることになったコートを見ながら思う。
わずか150年で劇的に変貌した日本は、その間に何か大切なモノ、
日常生活のなかの大切なコトを失ってしまったのかなとも思う。
けれど、それが時代の変化、成長だと言われれば、そうだろうと思う。

実際に自分も20年ほど前には、日本の「洋」服で世界に進出する、
そういう想いを持って仕事をしていたから、西洋の服を着用して、
思う存分受け入れているし、納得しているし、楽しんでいる。
反対に今、「和服ヲ着用スルコト」と言われても抵抗があるし、
気恥ずかしいし、多分出来ない。出来たとしても馬子にも衣装になる。

今、生業としている酒だって洋酒が中心になっている。
日本酒や焼酎も扱うけれど、日本で作った「洋」酒のほうが人気で、
世界的にも評価を高めている矢先に、日本の酒造り全体、
日本酒、焼酎、泡盛などの伝統的な醸造酒の作りそのものが、
ユネスコの世界無形遺産登録に勧告されたと報じていた。
これを機に世界に日本のモノ作りの良さが知られることになるのは良いけれど、
自国内での普及、認識と評価対象になったことに微妙なズレも感じる。
世界無形遺産に登録された途端に有り難がり、宣伝され、
メディアに取り上げられ、広まりを見せるのだろうけれど、
そもそも、そういうカタチで飲むものではなく、風土そのものを、
その地域の食べ物とあわせていただくものだと思っている。
その食、「和」食も世界無形遺産登録されているから、
日本の食文化そのものが評価されて、素晴らしいものだと思うけれど、
自分自身も含めて、日常的に日本の食と酒を楽しんでいるかというと、
そうでもない現実があるのだろうと思う。
米よりパン、漬物よりサラダ、焼き魚よりムニエル、みたいな…。
思い返してみても、いつ日本酒を飲んだかなと考えても、覚えていない。

酒も服も味わい、見つめ直してみたい、そう思ってみたりもしている。
日本にありがちな、世界の評価が高まってはじめて価値に気づく、
気づかされることも多々あるけれど、自身の足下を見つめ直す、
そんな時期と年齢になってきていることは間違いない。

暦と季候が足並みを揃えた立冬の翌日、続々と雪化粧された様子が報じられた。
身体もまだ慣れていないうちから慌ただしく巡る季節に戸惑いながら、
自分の「外套」も厚手のモノも出しておこうかしら、と考えながら、
今になってようやくの衣替え、急に冷え込んだからマフラーも、と考えている。

そういえば、「襟巻き」って最近言わないですね。
襟巻きも「和」服由来だから、「洋」服由来のマフラーで良いんでしょうけど。
それにしても、こうやって消えていくんですね、「和」の言葉も…。

令和六年 立冬を過ぎてようやくの衣替えに慌てながら
栗岩稔